北原白秋 抒情小曲集 おもひで (初版原拠版) 水蟲の列
水蟲の列
朽ちた小舟の舟べりに
赤う列(なみ)ゆく水蟲よ、
そつと觸(さは)ればかつ消えて、
またも放せば光りゆく。
[やぶちゃん注:「水蟲」これは渦鞭毛植物門ヤコウチュウ綱ヤコウチュウ目ヤコウチュウ科ヤコウチュウ属ヤコウチュウ Noctiluca scintillans と考えてよい。「いや、夜光虫は赤くなんか光らない!」――どこに、赤く光ると書いてある? これは入り江の岸に近くにある「朽ちた小舟の舟べりに」「赤う列(なみ)ゆく」のであって、赤く光っているなどとはどこにも書いてない(本邦に棲息する自発的・疑似自発的発光生物で明らかに鮮やかに赤く光るものはいないだろう)。ヤコウチュウが大発生すると昼間に赤潮として現認出来る。その色は濃く、毒々しい赤錆色・赤茶色を呈する。春から夏にかけての水温上昇期に大発生が起こり易く、かなりの頻度で発生を見ることが多いが、発生規模が狭く小さく、本種自体に毒性を認めないことから、深刻な海洋生物被害を引き起こすことは稀れである。ホタルと同じく「ルシフェリン(luciferin)―ルシフェラーゼ(luciferase)反応」(後者の酵素によって前者が酸化されて発光するシステム。因みに、この名は「堕天使・悪魔」である「ルシファー」(Lucifer:原義は「光りをもたらす者」である)に由来する)による。ウィキの「ヤコウチュウ」によれば、『ヤコウチュウは物理的な刺激に』反応して『光る特徴があるため、波打ち際で特に明るく光る様子を見る事ができる。または、ヤコウチュウのいる水面に石を投げても発光を促すことが可能である』とある通りである。「それじゃ、光り方がおかしいじゃないか?!」って? わざわざちゃんと白秋は掬うシーンに「そつと觸(さは)ればかつ消えて」と言っているじゃないか。静かに掬ったその一毬(ひとまり)を「ぱっ!」と海面に「またも」捨て「放せば光りゆく」のは少しもおかしくはないのだよ。因みに、「夜光虫」を扱った最も優れた深い思索に富んだ散文詩は、私は小泉八雲の「夜光蟲」であると思う。私が電子化した岡田哲蔵訳で読まれたい。私は何度も夜光虫を見たが、八年前、隠岐の海士町で夜に乗った半潜水型海中展望船「あまんぼう」で見たそれには激しく感動した。]
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