石川啄木 詩集「あこがれ」(初版準拠版) めしひの少女
めしひの少女
『日は照るや。』聲は靑空(あをぞら)
白鶴(しらつる)の遠きかが啼き、──
ひむがしの海をのぞめる
高殿(たかどの)の玉の階(きざはし)
白石(しらいし)の柱に凭(よ)りて、
かく問(と)ひぬ、盲目(めしひ)の少女(をとめ)。
答(こた)ふらく、白銀(しろがね)づくり
うつくしき兜(かぶと)をぬぎて
ひざまづく若(わか)き武夫(もののふ)、
『さなり。日は今浪はなれ、
あざやかの光の蜒(うね)り、
丘を越(こ)え、夏の野をこえ、
今君よ、君が恁(よ)ります
白石(しらいし)の圓(まろ)き柱の
上半(うへなか)ば、なびくみ髮(ぐし)の
あたりまで黃金(こがね)に照りぬ。
やがて、その玉のみ面(おも)に
かゞやきの夏のくちづけ、
又やがて、薔薇(ばら)の苑生(そのふ)の
石彫(いしぼり)の姿に似たる
み腰にか、い照り絡(から)みて、
あまりぬる黃金の波は
我が面(おも)に名殘(なごり)を寄せむ。』
手をあげて、めしひの少女、
圓柱(まろばしら)そと撫(さす)りつつ、
さて云ひぬ、『げに、あたたかや。』
また云ひぬ、『海に帆(ほ)ありや。
大空(おほぞら)に雲の浮ぶや。』
武夫(もののふ)はつと立ちあがり、
答ふらく、力(ちから)ある聲、
『ああさなり。 海に帆の影、──
いづれそも、遠く隔(へだ)てて、
君と我がなからひの如、
相思ふとつくに人(びと)の
文使(ふみづかひ)乘(の)する船なれ、
紅(くれなゐ)の帆をばあげたり。──
大空(おほぞら)に雲はうかばず、
今日(けふ)もまた、熱き一日(いちにち)。──
君とこそ薔薇(ばら)の下蔭(したかげ)
いと甘き風に醉(ゑ)ふべき
天地(あめつち)のの幸福者(さひはひもの)の
我にかも厚(あつ)き惠(めぐ)みや、
大日影(おほひかげ)かくも照るらし。』
少女(をとめ)云ふ、『ああさはあれど、
君はただ身ゆるこそ見め。
この胸の燃ゆる日輪(にちりん)、
いのちをも燒(や)きほろぼすと
ひた燃えに燃ゆる日輪、
み眼(め)あれば、見ゆるを見れば、
えこそ見め、この日輪(にちりん)を。』
武夫(もののふ)はいらへもせずに、
寄り添ひて强(つよ)き呟(つぶ)やき、
『君もまた、えこそ見め、我が
双眸(さうばう)の中にかくるる
たましひの、君にと燃ゆる
みち足(た)らふ日のかがやきを。』
かく云ひて、少女を抱き、
たましひをそのたましひに、
唇(くちびる)をその唇(くちびる)に、
(生死(いきしに)のこの醉心地(ゑひごゝち))
もえもゆる戀の口吻(くちづけ)。──
口吻(くちづけ)ぞ、ああげに二人(ふたり)、
この地(つち)に戀するものの、
胸ふかき見えぬ日輪(にちりん)
相見ては、心休むる
唯(たゞ)一(いち)の瞳(ひとみ)なりけれ。──
日はすでに高(たか)にのぼりて、
かき抱く二人、かゞやく
白銀(しろがね)の兜(かぶと)、はたまた、
白石(しらいし)の圓(まろ)き柱や、
また、白き玉の階(きざはし)、
おほまかに、なべての上に
黃金なす光さし添へ、
高殿(たかどの)も戀の高殿(たかどの)、
天地(あめつち)も戀の天地(あめつち)、
勝(か)ちほこる胸の歡喜(くわんき)は
光なす凱歌(かちどき)なれば、
丘をこえ、靑野をこえて、
ひむがしの海の上まで
まろらかに溢(あふ)れわたりぬ。
(乙巳三月十八日)
[やぶちゃん注:「圓柱(まろばしら)そと撫(さす)りつつ、」及び「武夫(もののふ)はつと立ちあがり、」の太字は底本では傍点「ヽ」(初出では「ひた燃えに燃ゆる日輪」の「ひた」にもあるが、こちらにはない)。句点の後の字空けは見た目を再現した。
「かが啼き」「かかなく」の名詞形。「かかなく」(但し、清音)は「鳴(かかな)く」「嚇(かかな)く」で鳥などが荒々しく激しく鳴くの意の万葉以来の古語。
初出は明治三八(一九〇五)年四月号『明星』。初出の同詩は「国文学研究資料館 電子資料館」の「近代書誌・近代画像データベース」のこちらからを読むことが出来る。有意な異同は認めない。]
« 石川啄木 詩集「あこがれ」(初版準拠版) 草苺 | トップページ | 石川啄木 詩集「あこがれ」(初版準拠版) (無題にて『⦅この集のをはりに⦆』という後書めを持つ終詩)・與謝野鐡幹の跋文・奥附 / 石川啄木詩集「あこがれ」(初版準拠版)オリジナル附注~完遂 »