北原白秋 抒情小曲集 おもひで (初版原拠版) 梅雨の晴れ間
梅雨の晴れ間
廻(まは)せ、廻(まは)せ、水ぐるま、
けふの午(ひる)から忠信(ただのぶ)が隈(くま)どり紅(あか)いしやつ面(つら)に
足どりかろく、手もかろく
狐六法(きつねろつぱふ)踏みゆかむ花道の下、水ぐるま…………
廻(まは)せ、廻せ、水ぐるま、
雨に濡れたる古むしろ、圓天井のその屋根に、
靑い空透き、日の光
七寶(しつぱふ)のごときらきらと、化粧部屋(けしやうべや)にも笑ふなり。
廻(まは)せ、廻せ、水ぐるま、
梅雨(つゆ)の晴れ間の一日(いちにち)を、せめて樂しく浮かれよと
廻り舞臺も滑(すべ)るなり、
水を汲み出せ、そのしたの葱の畑(はたけ)のたまり水。
廻(まは)せ、廻せ、水ぐるま、
だんだら幕の黑と赤、すこしかかげてなつかしく
旅の女形(おやま)もさし覗く、
水を汲み出せ、平土間(ひらどま)の、田舍芝居の韮畑(にらばたけ)。
廻(まは)せ、廻せ、水ぐるま、
はやも午(ひる)から忠信(ただのぶ)が紅隈(べにくま)とつたしやつ面(つら)に
足どりかろく、手もかろく、
狐六法(きつねろつぱふ)踏みゆかむ花道の下、水ぐるま…………
[やぶちゃん注:「忠信」実在した義経の家臣で義経四天王の一人である佐藤忠信(仁平三(一一五三)年或いは応保元(一一六一)年?~文治二(一一八六)年)を登場人物(狐の変化)としてモデル・インスパイアした「義経千本桜」(延享四(一七四七)年大坂竹本座初演。二代目竹田出雲・三好松洛・並木千柳の合作)のトリック・スター「狐忠信」こと「源九郎狐」のこと。同外題についてはウィキの「義経千本桜」を参照されたい。ここは田舎歌舞伎のその舞台を見た少年期の記憶(それを真似した自分自身の記憶を含む)を素材としている。
「狐六法(きつねろつぱふ)」(「六方」は「六法」とも書く)ここは「義経千本桜」の四段目の口 「道行初音旅」(=「吉野山」)での、非常に知られた花道への引っ込みで見せる独特の「狐六方」のこと。YouTube の衣裳地歌舞伎氏の『岐阜の地歌舞伎「義経千本桜 吉野山道行の場」をみる』を見られたい。]
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