北原白秋 抒情小曲集 おもひで (初版原拠版) 幻燈のにほひ
幻燈のにほひ
わが友よ、わが過ぎし少年の友よ、
汝(な)は知るや、なつかしき幻燈の夜景を、
ほの靑きほの靑き雪の夜景を、――
水車(みづぐるま)しづかにすべり、霏々として綿雪のふる。
ふりつもる異國の雪は陰影(かげ)の雪おもひでの雪。
いつしかと眼に滅えぬべきかなしみの映畫なれども、
その夜には
小(ちい)さなる女の友の足のうら指につめたく、
チクタクと薄き時計もふところに針を動かす………
いとけなきわれらがゆめに絕間(たえま)なくふりつもる雪。
ふりつもる「時」の沈默(しじま)にうづもれて滅(き)ゆる昨日(きのふ)よ。
淡(あは)つけきわが初戀のかなしみにふる雪は薄荷(はつか)の如く、
水車しづかにすべり、ピエローは泣きてたどりぬ。
ほの靑きほの靑き幻燈の雪の夜景に
われはまた春をぞ思ふ、
マンドリン音(おと)をひそめしそのあとの深き恐怖(おそれ)に、
ふりつもる雪、ふりつもる雪、…………ゆゑわかぬ性の芽生は
靑猫の耳の顫へをわが膝に美くしみつつ。
[やぶちゃん注:「霏々として」「ひひとして」。雪が飛び散るように降りしきる様子を言う。]
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