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2020/06/14

今日――「私」が遂に「先生」の手紙(遺書)の冒頭を読む――

 私は纖維の强い包み紙を引き搔(か)くやうに裂き破つた。中から出たものは、縱橫(たてよこ)に引いた罫の中へ行儀よく書いた原稿樣のものであつた。さうして封じる便宜のために、四つ折に疊まれてあつた。私は癖のついた西洋紙(せいやうし)を、逆に折り返して讀み易いやうに平たくした。

 私の心は此多量の紙と印氣(いんき)が、私に何事を語るのだらうかと思つて驚ろいた。私は同時に病室の事が氣にかゝつた。私が此(この)かきものを讀み始めて、讀み終らない前に、父は屹度(きつと)何うかなる、少なくとも、私は兄からか母からか、それでなければ伯父からか、呼ばれるに極つてゐるといふ豫覺があつた。私は落ち付いて先生の書いたものを讀む氣になれなかつた。私はそわ/\しながらたゞ最初の一頁(ページ)を讀んだ。其頁は下(しも)のやうに綴られてゐた。

 「あなたから過去を問ひたゞされた時、答へる事の出來なかつた勇氣のない私は、今あなたの前に、それを明白に物語(ものかた)る自由を得たと信じます。然し其自由はあなたの上京を待つてゐるうちには又失はれて仕舞ふ世間的の自由に過ぎないのであります。從つて、それを利用出來る時に利用しなければ、私の過去をあなたの頭に間接の經驗として敎へて上(あげ)る機會を永久に逸するやうになりますさうすると、あの時あれ程堅く約束した言葉が丸で噓になります。私は己を得ず、口で云ふべき所を、筆で申し上げる事にしました」

 私は其處迄讀んで、始めて此長いものが何のために書かれたのか、其理由を明かに知る事が出來た。私の衣食の口、そんなものに就いて先生が手紙を寄こす氣遣ひはないと、私は初手(しよて)から信じてゐた。然し筆を執ることの嫌ひな先生が、何うしてあの事件を斯う長く書いて、私に見せる氣になつたのだらう。先生は何故私の上京する迄待つてゐられないだらう。

 「自由が來たから話す。然し其自由はまた永久に失はれなければならない」

 私は心のうちで斯う繰返しながら、其意味を知るに苦しんだ。私は突然不安に襲はれた。私はつゞいて後を讀まうとした。其時病室の方から、私を呼ぶ大きな兄の聲が聞こえた。私は又驚いて立ち上つた。廊下を駈け拔けるやうにしてみんなの居る方へ行つた。私は愈(いよ/\)父の上に最後の瞬間が來たのだと覺悟した。

『東京朝日新聞』大正3(1914)年6月14日(日曜日)掲載 夏目漱石作「心」「先生の遺書」第五十三回より。但し、太字は私が施したもの

   *

遂に、遺書の冒頭が、我々の前に直に開示される。しかし、気をつけなくてはいけない! この遺書の冒頭は単行本の「先生と遺書」パートでも繰り返されてはいないのである。「先生と遺書」パートは意図的に不完全にされているのである。我々は「先生の遺書」を全部完全に読んだ気になっているが、それは漱石マジックなのだ! 本初出でもそのパートの頭は、

『‥‥私(わたし)は此(こ)の夏(なつ)あなたから二三度(ど)手紙(てかみ)を受(う)け取(と)りました。』

であり、「こゝろ」単行本初版でも、 

『… 私(わたくし)は此(こ)の夏(なつ)あなたから二三度(ど)手紙(てがみ)を受(う)け取(と)りました。』

と始まるのである。単行本の冒頭『… 』(三点リーダに不自然な字空け)はママで(恐らく『……』の後ろの植字工による脱活字ミス)、岩波「漱石全集」に至って、

『……私(わたくし)が此夏(このなつ)あなたから二三度(ど)手紙(てがみ)を受(う)け取(と)りました。』

という表記に落ち着き、現行、総ての本文はこうなっている。

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