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2020/06/03

三州奇談續編卷之四 兩妖の異說 / 三州奇談續編卷之四~了

 

    兩妖の異說

 前件に說(と)ける「笠松の大山伏」、「一の瀨の小山伏」、兩方眞(もこと)に驚くに堪へたり。既にして是を老狐・長獺(ちやうだつ)とす。然れども爰に異說あり、何れか是ならん[やぶちゃん注:孰れが正鵠を射ているのであろう?]。

 湯涌の村人の話に、此二十年許(ばかり)もさきの事にてやありけん、越中川上戶出(かみといで)村の何某、此湯に入ること十廻(とをめぐ)り許も逗留のことありしに、或時一兩日も山に臥して歸り、夢のやうに語られしことを聞くことありし。此人は軍書を好み、天地を論じ、英雄を評判して心を慰(い)し、且の[やぶちゃん注:読みも意味も不明。「の」は衍字ではないか? 「近世奇談全集」では「の」がない。]奇石奇物を好み、さまざま寄せられし人なりしが、爰に於ても奇石を思ふ癖止まざりしにや、或日入湯にも倦(う)み果てたりと思はるゝ日、只一人出で、此一の瀨より水上を探して、川傳ひに道もなき所を、奇石を求めんと攀ぢ登られしことありしが、縱橫に道を踏みて、凡五六里餘りも來りやしぬらんと思ふに、更に心に叶ふ石も得ず、茫然として彳(たたず)み、かたへの大石の上にたらたらと[やぶちゃん注:とろとろと。]打睡(うちねむ)りける所に、暫くして夕風寒く目覺(めざ)めて見るに、其所(そのところ)違(ちが)ひたるやうに覺え、石の傍らに鹿の踏分(ふみわ)けたる如き一つの道あり、

『いかさま是に隨ひ見ん』

とて、又此道につきて一二里許も行く所に、次第に道廣くなり、並木と覺(おぼ)しきものも折々ありて、側(かたはら)に怪しき柴門(さいもん)あり。

 家居(いへゐ)の美々(びび)しきに驚きて、暫く立ちやすらへば、内より異樣なる衣服したる老人杖にすがり立出で、

「何者ぞ」

と問ふ。

 戶出の人、則ち爾々(しかじか)の趣を語りしかば、其翁此人をつくづくと見て、

「人相賤しからざる所あり、惡黨にはあるべからず、語り合ひて苦しからざる躰(てい)ぞや。我も浮世のゆかしきに[やぶちゃん注:人界の浮世が少し懐かしくはあるので。]、一夜宿り給へ、物語りせん」

といふ。戶出の人も、日暮に及べば『幸ひを得たり』と思ひ、夢の心地して從ひ入るに、其座敷の結構云ふ許りなし、只事とも見えず、戶出の人も驚き、

「そも爰は如何なる所にて何人(なんぴと)ぞ、御名をば何と申すぞ」

と尋ねしに、翁曰く、

「爰は硫黃山(いわうぜん)の麓なり。我名は云ひがたし。然(しか)れども我れ常に孔雀明王の經を日々に誦するにより、人々異名をして我が名を『役(えん)の小優婆塞(せううばそく)』と云へり。其元(そこもと)の心の欲(ほつ)する處も略々(ほぼ)知り、軍理(ぐんり)をも申さん。求め給ふ石も探し得させけん。爰に休み給へ」

とあり。

 戶出の人荒膽(あらぎも)を取られ、只恐れ入りて、忝(かたじけ)なき由(よし)申して緣端に僅(わづか)に座しければ、

「近う來(こ)られ」

と度々仰せられ、錦のしとね給はり、終におづおづ此上に登り座す。

 翁則ち手をたゝければ、童子出來(いできた)り、翁の言葉に依りて菓子・茶など運び出づる。是又美麗にして凡(ぼん)ならず見えしかば、大に怪しみ、是を問ふに多く答へず。

 則ち童子に令(れい)して、

「兩山伏を迎へ來れ」

と云ひ付けられ、

「今宵稀に俗客あり、來りて興せられよ。玉(ぎよく)あらば持來(もちこ)られよ」

と命じ給ふに、童子畏(かしこま)り飛ぶが如くに去りて、忽ち歸り來り、

「追付け見ゆるよし」

を申してけり。

 然して家内より人多く出で、座を連ね興をなす。

 暫くして二山伏も來(きた)る。

 衣服輝く許なり。則ち「笠松の大山伏」、「一の瀨の小山伏」となり。

 各(おのおの)禮をなし、酒宴始まり、順番に舞(まひ)をなして興ず。舞歌(まひうた)ありと云へども、多く古詩古韻の類(たぐひ)にして、自ら發する歌詠もありと見ゆれども、記し留むることを得ず。

 二人の山伏、戶出の人に近よりて、

「仰(おほせ)にまかせて暫く此玉を持參せり」

とて、前にさし置く。

 戶出の何がし、再拜して是を請取りて見るに、光り輝く木株(きのかぶ)、同じく光り渡る枝石(ゑだいし)たり。

 大に悅びて是を戴く。是より愈々戯れて曲舞(くせまひ)度々なり。

 終に興終りて各々辭し歸らんとす。

 翁是を許す。

 戶出の何がしも辭せんとす。

 主人曰く、

「夜を明(あか)して歸り給へ。道必ず知るべからず。暫(しば)しの夜の間、ともに枕して舊を語らん。」

 戶出の何がし恐れ愼みながら、漸々(やうやう)傍(かたはら)に座す。

 既に寂内の人々寢靜まりて、夜いたく更けたりと見ゆ。

 戶出の人、老先生の來歷を問ふ。然れども只笑ひて云はず。曾て兩山伏の實(まこと)を問ふに、先生曰く、

「いらざることなれども語るべし。彼等は皆一小物(いちせうもつ)なり。『笠松の大山伏』・『一の瀨の小山伏』とて、大山伏は山椒魚(さんせううを)の精(せい)なり、小山伏は河鹿(かじか)の氣(き)なり。彼等が献ずる處、何ぞ珠(たま)にあらん。我れ今一物(いちもつ)を贈らん」

とて、自ら立ちて殿中の梁(うつばり)の先の龍の頭(かしら)を引拔きて授く。

 甚だ大にして戴き得べからず、只大(おほき)に驚く許なり。

 先生笑ひて、

「後(のち)に手頃の物となるべし。」

 又歌ひて曰く、

「寳玉不ㇾ足ㇾ求。理不ㇾ足ㇾ信。聖賢不ㇾ足ㇾ則。天地不ㇾ足ㇾ尊。嗟呼汝只去。」

 戶出の人(ひと)理(ことわり)を知ることなし。

 又天下の興廢、古今の治亂、英雄の古人の名を指して尋ぬるに、先生笑ひて答へず。

「予が論ずる所は槽粕(さうはく)のみ。」

 暫くして口號(くちづさ)みて曰く、

「帝は是(これ)事成るの名、賊は是事敗(や)ぶるの名にて、皆同物なり。尋ぬべからず。治亂又云ふべからず。」

 戶出の人出でんとす。然るに彼處に暫く寢(しん)につくに、忽ち夜明けしかば、

「又こそ」

と暇(いとま)申して歸らんとす。

 時に以前の翁も見えず、又家内の人もなし。徒(いたづ)らに躊躇して、終(つひ)に空堂(くうだう)に向ひて禮謝して歸る。

 去りて五十步許にして、後を顧るに寂々として、家居(いへゐ)の高樓など消失(きえ)せて、暫く此間に悉(ことごと)くなし。只亂山(らんざん)の中にして、人の住むべき筈もなし。

 袂にありし寳玉を出(いだ)し見るに、皆消えて一滴の水となり、形もなし。只老先生の輿へられし梁頭(りやうとう)の龍形(りゆうがた)の物のみ減少して僅(わづか)に殘る。今は愛翫とすべき程なり。終に色々と道を求め、漸(やうや)くにして立歸る。

 また此所(ここ)に至らんと思ふに、道求むべからざるを知る。

 日暮に及ぶ頃に、飛驒より出づる商人(あきんど)に逢ひて、湯涌の湯元に歸ることを得たり。

 依りて人にも語り、つくづく其夜の事どもを思ふに、ふしぎ晴れず。

 少しく道を得し心地して、是より戶出の人は我が住む方に歸られしと、湯涌の里人(さとびと)物語なり。

 此話も又證とすべくば、二山伏は魚物(ぎよぶつ)の精ならんか。而して彼(か)の老先生、「役の小優婆塞」と云ひしは何物ぞ。後人考へ給へ。其與へられし龍頭石は、今に殘りて一奇翫となり、眼中・鬚・眉の尖りたる所など、皆小刀を以て彫れるが如し。然して石なり。今故ありて金城に來(きた)る。尋ねて弄翫し給へ。其主は紅蓼庵(こうれうあん)の主人なり。此家に來りても怪ある事を聞く。主人に逢ひて奇話を聞き得べし。

[やぶちゃん注:本話は前話までのエピソードに対するDVDのサーヴィス特典画像みたようなものである。

「戶出」現在の高岡市戸出地区。この付近(グーグル・マップ・データ)。

「硫黃山(いわうぜん)」医王山(いおうぜん)(グーグル・マップ・データ)。湯涌温泉の東北直近で、通常、標高八百六十九メートルの最高ピークである白兀山(しらはげやま)を医王山と呼んでいる。

「役(えん)の小優婆塞」「役の行者」(えんのぎょうじゃ)のこと。七世紀末に大和の葛木(かつらぎ)山にいたとされる呪術者。役小角(えんのおづぬ)とも呼ぶ。「続(しょく)日本紀」によれば、役君小角(えのきみおづぬ)とあり、秩序を乱したので六九九年に伊豆に流されたとする(それでも自在に空を行き来したという)。ここに出る鬼神「前鬼」・「後鬼」を使役して諸事を手伝わせたとされる。修験道の祖とされ、山岳仏教のある各山に役の行者の伝説が残る。

「軍理」兵法。彼が平生、「軍書を好み、天地を論じ、英雄を評判」することが趣味であることを語り合わずして察知しているのである。

「荒膽を取られ」驚愕の比喩表現。

「しとね」ここは座布団の意。

「曲舞(くせまひ)」本来は日本の中世芸能の一種で、「久世舞」とも書き、「舞々 (まいまい) 」ともいう。謡と鼓の伴奏に合せて、男が直垂 (ひたたれ) ・大口の装束で扇を持って舞うのが本来であったらしいが、女や稚児の曲舞も盛んに行われた。起源は不明であるが、鎌倉末期から記録に現われ、南北朝時代には京都の祇園会(ぎおんえ)に南都 (奈良) から女曲舞が来て舞車(まいぐるま)の上で舞ったという。室町時代になると次第に衰え、世阿弥の「五音(ごいん)」によると、曲舞の舞手が絶えて、南都の百万という女曲舞の系統を引く賀歌の末流以外は残っていない、とある。室町中期からは曲舞の一派の幸若舞(こうわかまい)が盛んになり、曲舞と同義語のようになった。曲舞は他の音曲と異なり、拍子を根本とする節の多いリズミカルな曲節が特色であったが、観阿弥により大和猿楽に取入れられ、謡(うたい)の改革がなされた。「五音」には「白鬚」「地獄」「西國下り」などの曲舞があげられてあるが、これは原曲ではなく、観阿弥らにより作られたものである。また謡曲中の「クセ」は、曲舞を取入れた部分である(以上は「ブリタニカ国際大百科事典」に拠った)。ここは幸若舞と同じ意でとってよいとは思われるものの、但し、本文で、「多く古詩古韻の類(たぐひ)にして、自ら發する歌詠もありと見ゆれども」、余りに古風な内容で詞の意味が判らぬ部分もあれば、「記し留むることを得ず」という点では幻しの「曲舞」の原型を舞い謡っている可能性が強い。それだけ、この動物の変化(へんげ)である「山伏」らが数百年生きながらえてきたことを物語るシークエンスでもあるのである。

「山椒魚」両生綱有尾目サンショウウオ上科 Cryptobranchoidea の小型(二十センチメートル以下)のサンショウウオ。医王山には現在、サンショウウオ科ハコネサンショウウオ属ハコネサンショウウオ Onychodactylus japonicus(全長が十~十九センチメートル)が棲息することがよく知られている。

「河鹿」「清流の歌姫」とも称される、とても綺麗な鳴き声で鳴く無尾目ナミガエル亜目アオガエル科カジカガエル属カジカガエル Buergeria buergeriウィキの「カジカガエル」で聴ける。なお、医王山はカエル亜目アオガエル科アオガエル亜科アオガエル属モリアオガエル Rhacophorus arboreus の繁殖地としても知られる。

「寳玉不ㇾ足ㇾ求。理不ㇾ足ㇾ信。聖賢不ㇾ足ㇾ則。天地不ㇾ足ㇾ尊。嗟呼汝只去。」訓読すると、

 寳玉は求むに足(た)らず。理(ことわり)は信ずるに足らず。聖賢は則(のつと)るに足らず。天地は尊(たつと)ぶに足らず。嗟呼(ああ)、汝、只だ、去れ。

であろう。原拠不詳。以下の見解も含めて、頗る道家色が強い。

「眼中・鬚・眉」原文は中黒無しの「眼中鬚眉」なので、「がんちゆうしゆび」と読んでいるかも知れぬ。

「紅蓼庵」不詳。

 本篇を以って全五篇が完全なワン・セットとなっている「三州奇談續編卷之四」は終わっている。]

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