北原白秋 抒情小曲集 おもひで (初版原拠版) 骨牌の女王の手に持てる花
骨牌の女王の手に持てる花
わかい女王(クイン)の手にもてる
黃なる小花ぞゆかしけれ。
なにか知らねど、蕋(しべ)赤きかの草花のかばいろは
阿留加里(アルカリ)をもて色(いろ)變(かへ)へし愁(うれひ)の華(はな)か、なぐさめか、
ゆめの光に咲きいでて消ゆるつかれか、なつかしや。
五月ついたち、大蒜(にんにく)の
黃なる花咲くころなれば
忠臣藏の着物(きもの)きて紺の燕も翔るなり、
銀の喇叭に口あててオペラ役者も踊るなり。
されど晝餐(ひるげ)のあかるさに
老孃(オウルドミス)の身の薄くナイフ執るこそさみしけれ。
西の女王(クイン)の手にもてる
黃なる小花ぞゆかしけれ。
何時も哀(かな)しくつつましく摘みて凝視(みつ)むるそのひとの
深き目つきに消ゆる日か、過ぎしその日か、憐憫(あはれみ)か、
老孃(オウルドミス)の身の薄くひとりあるこそさみしけれ。
[やぶちゃん注:「かばいろ」漢字表記は「蒲色」「樺色」。蒲 (がま) の穂のような色で、かなり強めの赤みを帯びた黄色である。
「阿留加里(アルカリ)もて……」アルカリ(alkali:水に溶けると塩基性を示す物質の総称。通常はアルカリ金属・アルカリ土類金属の水酸化物を指す)の水溶液は赤色のリトマス試験紙を青色に変えるが、ここは特にそうした事実とは無縁に悲傷によって変質してしまう心の有様(ありよう)を換喩したものであろう。「アルカリ」は元はアラビア語で「海の草の灰」の意である。
「大蒜(にんにく)の」「黃なる花咲く」単子葉植物綱キジカクシ目ヒガンバナ科ネギ亜科ネギ属ニンニク Allium sativum は、品種によっては五月から七月にかけて開花するものもあるが(その場合は花の色は白或いは薄い紫を帯びた白。但し、通常は栄養を取られてしまうので咲く前に摘花するのが普通)、ここで「黃なる花咲く」というのは花ではなく、花を顕在的には咲かせない品種の、とう立ちした端に出来る黄色の地味な塊である総苞を指しているものと思われる。
「忠臣藏の着物」を白黒のくっきりしたツバメに形容したのは面白い。但し、サイト「文化デジタルライブラリー」の「文楽編 仮名手本忠臣蔵」によれば、『赤穂浪士の討ち入り装束といえば、誰もが袖に山形模様[雁木模様(がんぎもよう)]の揃いの羽織を思い浮かべるでしょう。しかしあの装束は『仮名手本忠臣蔵』の創作であり、実際は、頭巾に兜(かぶと)、鎖帷子(くさりかたびら)を着込み、上に黒の小袖、火事装束に似せた黒ずくめであったようです』。『火事装束に似せたのには訳があります。「火消の姿」「火の廻りの役人」は、単なる消防士ではなく、公権力の警察機能そのものの象徴で、禁中・公家・武家の門内へ案内なしに出入りできました。この姿であれば、吉良家への深夜の強制捜査・家宅捜索とみなされ、見て見ぬふりをされたのです』とあり、実際には全身黒ずくめで、白のポイントはなかったのである。]
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