先生は今日 故郷を去り――永遠の真の《故郷喪失者》となった――
私は國を立つ前に、又父と母の墓へ參りました。私はそれぎり其墓を見た事がありません。もう永久に見る機會も來ないでせう。
私の舊友は私の言葉通りに取計らつて吳れました。尤もそれは私が東京へ着いてから餘程經つた後の事です。田舍で畠地などを賣らうとしたつて容易には賣れませんし、いざとなると足元を見て踏み倒される恐れがあるので、私の受け取つた金額は、時價に比べると餘程少ないものでした。自白すると、私の財產は自分が懷にして家を出た若干の公債と、後から此友人に送つて貰つた金丈なのです。親の遺產としては固より非常に減つてゐたに相違ありません。しかも私が積極的に減らしたのでないから、猶心持が惡かつたのです。けれども學生として生活するにはそれで充分以上でした。實をいふと私はそれから出る利子の半分も使へませんでした。此餘裕ある私の學生々活が私を思ひも寄らない境遇に陷し入れたのです。
(『東京朝日新聞』大正3(1914)年6月25日(木曜日)掲載 夏目漱石作「心」「先生の遺書」第六十三回より。下線太字は私が附した)