さぁて――先生とKの「人間らしさ」の議論 / 二人の房州旅行からの帰還
「其時私はしきりに人間らしいといふ言葉を使ひました。Kは此人間らしいといふ言葉のうちに、私が自分の弱點の凡てを隱してゐると云ふのです。成程後から考へれば、Kのいふ通りでした。然し人間らしくない意味をKに納得させるために其言葉を使ひ出した私には、出立點が既に反抗的でしたから、それを反省するやうな餘裕はありません。私は猶の事自說を主張しました。するとKが彼の何處をつらまえて人間らしくないと云ふのかと私に聞くのです。私は彼に告げました。―君は人間らしいのだ。或は人間らし過ぎるかも知れないのだ。けれども口の先丈では人間らしくないやうな事を云ふのだ。又人間らしくないやうに振舞はうとするのだ。
私が斯う云つた時、彼はたゞ自分の修養が足りないから、他(ひと)にはさう見えるかも知れないと答へた丈で、一向私を反駁(はんばく)しやうとしませんでした。私は張合が拔けたといふよりも、却つて氣の毒になりました。私はすぐ議論を其處で切り上げました。彼の調子もだん/\沈んで來ました。もし私が彼の知つてゐる通り昔の人を知るならば、そんな攻擊はしないだらうと云つて悵然(ちやうぜん)としてゐました。Kの口にした昔の人とは、無論英雄でもなければ豪傑でもないのです。靈のために肉を虐げたり、道のために體を鞭つたりした所謂難行苦行の人を指すのです。Kは私に、彼がどの位(くらゐ)そのために苦しんでゐるか解らないのが、如何にも殘念だと明言しました。
(『東京朝日新聞』大正3(1914)年7月17日(金曜日)掲載 夏目漱石作「心」「先生の遺書」第八十五回より。太字下線は私が附した)
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私も先生なら――その致命的な誤謬に――やはり……気づかない…………