今日、先生はKの「前に跪まづく事を敢て」し、遂にKを「私の家」に連れて来てしまう――
Kはたゞ學問が自分の目的ではないと主張するのです。意志の力を養つて强い人になるのが自分の考だと云ふのです。それには成るべく窮屈な境遇にゐなくてはならないと結論するのです。普通の人から見れば、丸で醉狂です。其上窮屈な境遇にゐる彼の意志は、ちつとも强くなつてゐないのです。彼は寧ろ神經衰弱に罹つてゐる位(くらゐ)なのです。私は仕方がないから、彼に向つて至極同感であるやうな樣子を見せました。自分もさういふ點に向つて、人生を進む積だつたと遂には明言しました。(尤も是は私に取つてまんざら空虛な言葉でもなかつたのです。Kの說を聞いてゐると、段段さういふ所に釣り込まれて來る位、彼には力があつたのですから)。最後に私はKと一所に住んで、一所に向上の路を辿つて行きたいと發議(はつぎ)しました。私は彼の剛情を折り曲げるために、彼の前に跪まづく事を敢てしたのです。さうして漸(やつ)との事で彼を私の家に連れて來ました。
(『東京朝日新聞』大正3(1914)年7月8日(水曜日)掲載 夏目漱石作「心」「先生の遺書」第七十六回より。下線太字は私が附した)
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「兎に角あまり私を信用しては不可ませんよ。今に後悔するから。さうして自分が欺むかれた返報に、殘酷な復讐をするやうになるものだから」
「そりや何ういふ意味ですか」
「かつては其人の膝の前に跪づいたといふ記憶が、今度は其人の頭の上に足を載せさせやうとするのです。私は未來の侮辱を受けないために、今の尊敬を斥ぞけたいと思ふのです。私は今より一層淋しい未來の私を我慢する代りに、淋しい今の私を我慢したいのです。自由と獨立と己(おの)れとに充ちた現代に生れた我々は、其犧牲としてみんな此(この)淋(さび)しみを味はわなくてはならないでせう」
私はかういふ覺悟を有つてゐる先生に對して、云ふべき言葉を知らなかつた。
(『東京朝日新聞』大正3(1914)年5月3日(日曜日)掲載 夏目漱石作「心」「先生の遺書」第十四回より。同前)
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先生は「私の家」と言っている。私(藪野)が先生ならせめても「私の下宿屋」へと書く。それが当然であり、普通である。このさりげない表現にから、下宿屋の主人である「奥さん」の「止せ」という制止を振り切ってまでKを連れ込んでしまうことが出来るのは、取りも直さず、先生が事実上の半ば意識的にも――この「家」と「奥さん」と「靜」の支配者になっているとどこかで自任してしまっている――ということに気づかねばなるまい。それは社会的自立者であることの無意識の自認であり、総ての事柄が自分の要求通りになる、通りにする、と先生が自己肥大を起こしているのだと私は思うのである。