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2020/07/06

三州奇談續編卷之六 八幡の怪婚


    八幡の怪婚

 冠婚葬祭は人間の大禮なり。羨妬(せんと)は人情の常なれども、其情(じやう)を押(おさ)ゆる者は人間に禮義あればなり。狐の中には敎(をしへ)あらじ、故に情を盡して是をまねぶ。實(げ)にも官あがりは渠(かれ)が常にして、嫁入は雨の催す夜を時とす。喪禮は唐黍(たうきび)の鎗(やり)、卯の花の白無垢、麻木(あさき)の灯籠。折々に郊外の火屋(ほや)を說く。稀に廓中(くわくちゆう)にもありとなり。大谷刑部が屋敷の沙汰も聞ゆ。祭りは御頭(おかしら)らの稻荷殿に取られて、其沙汰は聞えず。去れども寫すに於ては、なんぞ爲し得ざるべき。是人中を羨み妬むの間、こころ擬疑の念より出づ。所口は元と在名なり。畠山某が城の山の尾七つに分れし、此所に都會して七尾町の號ありしに、畠山氏泯滅(びんめつ)して我が國祖の君この所ヘ七尾の町を移して、所口とも云ひ、七尾とも稱す。今に七尾・所口兩方に名目(めいもく)殘りて小村あり。この所の唱へも、七尾と云ひ所口とも稱す。折々替ると云ふ。是又擬疑なり。擬疑・狐疑相近し。殊に七尾の號は、九尾の官足らざる物の類(たぐひ)なれば、狐妖の人情に相交(あひまぢは)るも又圖るべからず。

[やぶちゃん注:妙に辛気臭い始まりである。一篇の終わりも如何にもな人生訓的なのも気に入らぬが、メインの話はすこぶる諧謔味に富んで面白いですぞ(ネタバレになるのでこれ以上は言わぬ)! なお、幾つかの人名・地名はもう既にさんざん注しているので、飽きたから、挙げない。悪しからず。前を読め!

「火屋」火葬場。

「廓中」城中。

「大谷刑部が屋敷の沙汰」「三州奇談卷之三 程乘の古宅」の不詳部分の一つの参考にはなる。

「去れども寫すに於ては、なんぞ爲し得ざるべき」稲荷社の祭儀に祭りは専ら取られてしまったが、しかしそれの真似を下級の妖狐がすることは、どうして出来ぬことがあろうか、いや、出来る。

「是人中を羨み妬むの間、こころ擬疑の念より出づ」意味不明。「擬疑」という語も不審。或いは、稲荷が人々にすこぶる崇敬されるのを(或いは人の風俗全般を)羨み妬む結果として、心に「俺だってお狐さまだぞ!?」という不満が投射されて稲荷(或いは人間)を真似て行われるものである、の意か。

「泯滅」「泯」も「ほろびる」の意で、滅んで無くなること。]

 

 此地に近年の話あり。安永四五年の頃とかや。時も尾花の夕そよぐ頃なりしに、七尾の二里訟り傍らに八幡(やはた)村と云ふ所あり。馬次郞とて公領の大庄屋ありしが、同役矢田村次郞左衞門方より嫁を迎ふ。此矢田村も七尾の西半道許傍らにして、七尾の町を通り行く邊筋なり。此二家は下人も多く遣ふ者なれば、七尾の町にも多く知音(ちいん)あり。奉公人などには親類の者も多し。されば

「いづれの日は嫁入の通るぞ」

とて、町外などには人も立出で見はやしける。其中に是を羨み妬む者もやありけん。又は狐狸のそゝのかしたるにやありけん。若き者ども何ぞ思ひ付きして慰さまんとなり。

「嫁取あればとて、二里餘の道を態々(わざわざ)石打(いしうち)に行くも煩らはし」

と云ひ合せて、油に鍋炭(なべずみ)を濃く交ぜて、各(おのおの)手に塗りて是を侍つ。是も曠行(ハレユキ)の嫁入の附々(つきづき)には、「貌(かほ)洗うてやる」とて手を以て面(かほ)を撫(なづ)ること、此邊(このあたり)の仕馴(しなれ)の謔禮(ぎやくれい)とにや。

[やぶちゃん注:「安永四五年」一七七五年~一七七七年。

「八幡村」現在の七尾市八幡町(やわたまち:グーグル・マップ・データ。以下同じ)。

「公領」幕府領であるが、実際には加賀藩預地である。

「矢田村」七尾市矢田町(やたまち)。

「曠行(ハレユキ)」珍しく原文のルビ。この「曠」は不審(敢えて言うなら「遮るものがなくて明らか」の意しかしっくりこない)だが、泉鏡花の「錦染滝白糸――其一幕――」の冒頭の台詞に、『お曠衣(はれ)のように綺麗きれいですわ』とある。花嫁御寮の「晴」れ(遮るものとてない「ハレ」の場)の嫁入り「行」列の意であろう。

「附々」対応した定番の行い。

『「貌(かほ)洗うてやる」とて手を以て面(かほ)を撫(なづ)ること』運命共同体としての結束の強かった伝統的村社会にあっては、他の村へ嫁を出す場合、その嫁の村の人々が、形式上、その嫁入り行列や婚礼を邪魔するような行動(騒擾や悪口、先に出た石投げ、及び、天秤棒などで行列の行路を阻むなど)をとる習俗は古くは非常に多く見られた(私は嘗てこの習俗を調べたことがあるのである)。但し、後の展開を考えると、彼ら若造どもが以下でやったことは、先例がないことであったとしか思えない。ちょっと、やり過ぎたって感じだ。

「仕馴」極めて普通にそうした一般常識から外れた行動が行われることが、特定の行事の場合に限り、当たり前に一般化していること。

「謔禮」そのように戯れてふざけ、ちゃちゃを入れることが、諧謔的に許された、婚礼時のトンデモ慣習(謂わば礼式)となっていたことを指す。]

 

 去れば嫁入の行列、七尾の町に入りし頃は黃昏過ぐる頃なれば、物のあやめもしられず。

「幸(さひはひ)よし」

と各(おのおの)立出で、

「『顏あらひ』の祝ひせん」

とて、各(おのおの)手を以て供中(ともぢゆう)の顏を殘らず撫廻(なでまは)し、

「あやかり者よ羨し、能く能く醉(ゑひ)給へ」

などゝ云ひ戯れて。供の者どもは、二里餘の道をかゝへ居れば、心急がれて何事も忘れ行く。

[やぶちゃん注:「二里餘」現在の矢田町と八幡町では実測で端と端でも六キロメートルもないが、恐らく、両家ともに知られた名士であればこそ、七尾の市街を遠回りして見せたのであろう。

「かゝへ」嫁入り行列での自分に課せられた役割としてその送りを担うの意であろう。]

 

 秋の日早く入り、「驛路の鈴の聲は夜山(よやま)を過ぐる」となん聞くに、是はさし荷(にな)ふ簞笥(たんす)の

「くわんからくわんから」

と鳴りて心勇み、道照らす松明(たいまつ)に添ひては、只走りに走り着く。

[やぶちゃん注:「驛路の鈴の聲」「えきろのすずのこゑ」と読んでおく。「驛鈴」(えきれい)は本来は古代の律令制に於いて駅使や公用の使者に対し、下付されたもので、駅馬使用の許可証に相当し、それを振り鳴らして駅子・駅馬を徴発するのに用いたものであるが、ここはその古式を想起して洒落た表現を持ち出し、実際の嫁入り道具の簞笥のガッタンゴトンを諧謔しただけのことである。]

 

 然るに八幡の大庄屋方には、何くれとなく

「今日は曰延びて明日來る筈」

とやらん云ふ沙汰して、心たるみ氣怠りし所を、俄に此嫁入行列(よめいりぎやうれつ)正(ただ)して急ぎ入る。媒(なかうど)の何某(なにがし)先づ入りて、輿入(こしいれ)の趣(おもむき)を述べ、音物(いんもつ)の品々を飾り立つる。馬次郞方待受け居る者ども各(おのおの)出で、則ち供の者どもを別間へ通し、先づ三里許[やぶちゃん注:ママ。]の道を來(きたれ)る勞(つか)れを直し、衣紋をもつくろはす。其中に灯を點ずる者ども、不圖(ふと)心付きて此人を見るに、上下(かみしも)・袴の出立(いでたち)は人と見えながら、皆顏は黑斑(くろまだら)にして、其人(そのひと)其(それ)人とも見えず。何れを見ても怪しく油ぎり黑みて、目ばかり

「きよろきよろ」

と光りければ、待女郞(まちぢやらう)なども出見て、おきまどはせる白菊の、白きうへには白くすべき今宵なるに、

「此顏つきは何事ぞ」

と恐る。

 家内の者ども

「是は怪し。扨は此嫁御は例のお賓頭婁(おびんづる)どのにこそ。扨は我々斯く詰居(つめゐ)ては野狐には欺(あざむか)れしものを」

と、先づ主人の馬次郞に告げて申しけるは、

「只今の嫁入の供の人々を見るに、上下・袴の出立は人ながら、顏は慥に狐狸の類(たぐひ)にて、例のことと覺えたり。迫付け尾を出し逃げ行くべし」

とて、

「別間に居並ぶ者どもにぬかり給ふな」

と云ふ。

 馬次郞打うなづき、驚きを押へて申さるるは、

「されども慥に仲人は相違なし、先づ陰ながら覗くべし」

とて、一間に居並ぶ者どもを見渡しけるに、何れも服は常ながら、顏は各(おのおの)異類異形(いぎやう)の者なり。

 彼の相模入道の天王寺の曜靈星(いうれぼし)を舞はれし席に似たれば、人々彌々(いよいよ)妖怪とす。

 馬次郞腹を立て、

「是は必ず此(ここ)名高き近邊の『捨輿野(すてよの)の源次郞狐』などが所爲なるベし。汝等誑(たぶら)かさるゝことなかれ。我々も手傳ひて渠(かれ)をからめ取らん。倂(しか)し先づ靑松葉にてふすべ見るべし」

と下知して、大庭に靑松葉を堆(うづたか)く焚き立て、其烟を別間の方へ煽(あふ)ぎ込み、三桝太夫流の辛き目を見するに、供の者ども大きに困り、貌(かほ)しがめ低臥(うつぶし)になり、あちら向き、各(おのおの)こらへ兼ねて見えけるにぞ。

「扨(さて)氣味よし大(おほい)に弱りたるぞ。袴腰のあたりに氣を付けよ。紐とは見えても尾なるべし。煽げや煽げや」

と云ふ所へ、媒の者立出で、

「是はけしからぬふすべやうかな、先づ煙を外へやり給へ」

と云ふに、其中に汗の貌(かほ)押ぬぐひたるありしが、是等(これら)常の人とも見えしかば、馬次郞方にも思案を付け、色々評議ありて、

「先づ風呂をたてゝ裸にして見るべし。狐は湯に入(いり)得ぬ物と聞く。試みよ」

と下知するに、其趣を通じ、

「先づ先づ遠方を大儀なり、飯も出來たれども、先きに風呂より入らるべし」

と云出だしければ、各(おのおの)煙を遁(のが)るゝを悅び、段々に湯に入りしに、顏の墨落ちて本(もと)の人間となる。昔の實盛は池水にて墨を流し、今は又風呂にて貌の墨を洗ひ流しゝは、天晴(あつぱれ)是も北國の古儀なるらん。

 扨人々出合ひ、愈々

「尾はなきか」

と、衣服を柹の葉とくらべ見て、後大きに笑ひになり、其夜目出度く事濟みけり。

 されども聟殿などは油斷なく、翌日に至る迄嫁御の物云ひを伺ひ、詞のあどなきやうなるも心置きしが、三日めに舅來りてぞ安堵の思(おもひ)をなしたりと聞えし。

 一兩日は狐の沙汰に落ちて、所々より樣子も尋ねに來(きた)る。又音信進物も見合せし人も多かりしとなり。

 是尤もかやうに驚くべき事にあらざりしかども、彼(かの)賓頭婁のことありしより起りしといふ。

 此(この)ビンヅルの事は前年の事なり。

 七尾一本杉町茜屋【今の居は七尾の中小路町にて、小山屋吉兵衞というふ是なり。】と云ふ者の所に、嫁取の事ありしに、翌日に至り嫁御を起せども言語なし。怪みて能く能く見れば、木像の賓頭婁なり。

 是に依りて大いに驚く。

 然るに小島村の妙觀院には、

「其夜佛間の賓頭婁紛失せし」

よしにて、大いに尋ね、漸々(やうやう)に聞合せて是を返す。

「此賓頭婁の貌(かほ)に白粉(おしろい)ぬりてありし」

とて、今に其白粉のまゝにて安置なり。

 人々拜みて、「嫁入の像」とて怪談の一ッとす。

 是を嫁御とて守護し來り、飮食を恣(ほしい)まゝにして立去りし供の者は、人にてやありけん、狐狸にてやありけん、其實否知れず。賓頭婁の殘りしより、妖怪の事には決せしとなり。其宴會を顧み思ふに、怪しき事共多し。賓頭婁も女聲にて物宜(もののたま)ひしよし沙汰あり。

 然れば狐怪か、人妖か、混(こん)じて一つの如し。虛ある時は是を實(じつ)にし、實ある時は是を虛にす。妖術修練の狐狸なる哉。

 世にはかゝる座敷の内より不圖見出されて、尾を顯はし逃げ行きしなど、噺(はなし)に多く聞えけるに、此七尾の狐妖形(かた)ちあらはれず。二談共に人か獸か、奇々妙々なり。是又一等を出でたる狐狸の所爲にやあらん。

「思ふに、狐心(こしん)の人世(ひとのよ)には多きものなり。分けて『尾』の字付きたる里、眞(まこと)に恐るべし」

と云ひしに、答へて云ふ。

「あなかしこ七尾のみを其所とな思ひ給ひそ。金澤とても『尾山』の別號あり。又『尾』の字なき所にも、狐(きつね)躰(てい)の人は多し。今の世ぞ油斷すべからず」

と、此所に背の兀(ごつ)たる「合浦」といふ人の示しなり。

[やぶちゃん注:「何くれとなく」何だかんだ言っているうちに、の意か。思うに――この日がある種の占いではよくない日であるから、或いは――というようなことを言った者があったのかも知れぬ。そうでなければ、「今日は曰延びて明日來る」などということを言う奴はあるまいよ。

「音物(いんもつ)」贈答品。進物。

「待女郞」民俗社会で、婚礼の際に戸口で花嫁の到着を待ち受け、家内に導いて付き添って世話をする女。「待女房」「待上﨟」などとも呼ぶ。

「お賓頭婁(おびんづる)」漢字表記は「御賓頭盧」が普通。釈迦の弟子で、十六羅漢の一人。サンスクリット名「ピンドーラ・バーラドバージャ」の漢音写「賓頭盧頗羅堕闍(びんずるはらだじゃ)」の略。優陀延王(うだえんおう:生没年不詳)の大臣の子として生まれた。出家して、獅子吼(ししく)第一と称されたほどに人々を教化(きょうげ)して説得する能力が抜群であったとする。王は彼の法を聞いて深く仏教に帰依したともされる。後世、仏の教えを受けて末世の人に福を授ける役を担った人として受けとられ、法会には食事などを供養する風習が生じ、中国では彼の像をつくって食堂(じきどう)に安置した。一方、本邦では、専ら本堂の外陣(げじん)に彼の像を安置し、信者が自身の病んだ箇所と同じ部分を撫ぜると平癒するという「撫で仏(ぼとけ)」の風習が俗信として強く広がった。

「相模入道の天王寺の曜靈星(いうれぼし)を舞はれし席」「相模入道」鎌倉幕府の得宗最後の執権北条高時。「曜靈星」は「妖霊星」で彗星のこと。「太平記」巻第五に放埓する高時が芸能者を呼び寄せて遊ぶうち、「天王寺のや、ようれほしを見ばや」と囃子(はやし)すのを聴くも、彼らが消え失せる怪異が語られる。一方、それを聴いた京の藤原南家の儒者藤原仲範がこの星こそ亡国の予兆であると言ったことが記される。それは「天王寺」が聖徳太子の建立であり、まさに本邦で最初に仏法が根づいた霊地であって、この謎めいたフレーズこそが仏法による予言、とりもなおさず、鎌倉幕府滅亡のそれを示すと言う展開となっているのである。

「捨輿野の源次郞狐」不詳。「捨輿野」は地名と思われるが、判らぬ。

「三桝太夫」伝承と歌舞伎の外題や鷗外の小説「山椒大夫」で知られる「さんせう太夫」のこと。

「實盛」言わずもがな、斎藤実盛。以下が判らぬという凡夫は、私の『今日のシンクロニティ「奥の細道」の旅 66 小松 あなむざんやな甲の下のきりぎりす』を見られるがよい!

「其夜目出度く事濟みけり」なのに、「されども聟殿などは油斷なく」となら、初夜はなかったと読むべきであろう。

「あどなき」子供っぽいような。あどけない感じに。

「心置きしが」人間ではないのではないかという疑義を持っていたが。

「狐の沙汰に落ちて」狐が化けて嫁入りしたという噂が瞬く間に広がって。

「音信」祝いの伺い。

「七尾一本杉町」七尾市一本杉町

「中小路町」不詳。

「小島村の妙觀院」七尾市小島町にある小嶋山妙観院。但し、現在、その賓頭盧像があるかどうかは不詳。残念乍ら、なさそう……(涙)

「今に其白粉のまゝにて安置なり」いいね♡

『人々拜みて、「嫁入の像」とて怪談の一ッとす』いいね♡

「一等を出でたる」ただの妖狐を抜きん出た。

「金澤とても『尾山』の別號あり」「尾山」とは「二つの川に挟まれた台地の先端の山の尾」という意で、金沢は実際に古くは「尾山」と呼ばれており、金沢城の別名は尾山城であった。

「兀たる」とび抜けて背の高い。頭が切れることを匂わせてもいよう。

『「合浦」といふ人』不詳。この名は如何にも俳号っぽく、麦水の俳人仲間であろう。]

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