今日――出現する――Kの「精神的に向上心がないものは馬鹿だ」という言葉――
たしかその翌る晩の事だと思ひますが、二人は宿へ着いて飯を食つて、もう寢やうといふ少し前になつてから、急に六づかしい問題を論じ合ひ出しました。Kは昨日自分の方から話しかけた日蓮の事に就いて、私が取り合はなかつたのを、快よく思つてゐなかつたのです。精神的に向上心がないものは馬鹿だと云つて、何だか私をさも輕薄ものゝやうに遣り込めるのです。ところが私の胸には御孃さんの事が蟠(わだか)まつてゐますから、彼の侮蔑に近い言葉をただ笑つて受け取る譯に行きません。私は私で辯解を始めたのです。
(『東京朝日新聞』大正3(1914)年7月16日(木曜日)掲載 夏目漱石作「心」「先生の遺書」第八十四回より。太字は私が附した)
この時、既にKの中にお嬢さんへの恋情が蠢いていたと私は思う。それを強く否定するアンビバレンツの限定された絶対的でなくてはならぬ「精神」側が断固として絶対真理命題としてKに語らせた――語らせてしまった――この「精神的に向上心がないものは馬鹿だ」というKの絶対の言葉が、遂にKの命を奪う先生が使用してしまった――使用すべきでなかった――最終兵器となる――