甲子夜話卷之六 15 儒者の歌
6-15 儒者の歌
儒士の歌と云ものは多くは無きものなるが、林羅山の歌は木下氏の編る「視今集」に載たり。又その弟永喜の歌とて、人の傳る所を錄す。
心ちよからぬおりふし筆とりて
殘すとは書をかねども水莖の
跡やはかなき形見ならまし
夏草
しげりあひて道も夏野の草の葉の
そよぐ方にや人通ふらん
■やぶちゃんの呟き
「林羅山」(天正一一(一五八三)年~明暦三(一六五七)年)は江戸初期の朱子学派儒学者。林家の祖。羅山は号で、本名は信勝。出家後の号道春(どうしゅん)の名でも知られる。独学のうちに、朱子学に熱中し、慶長九(一六〇四)年と藤原惺窩と出逢い、翌年、彼が羅山を推挙して徳川家康に会い、二十三歳の若さで家康のブレーンの一人となった。慶長一二(一六〇七年)、家康の命により僧形となった。寛永元(一六二四)年には就任したばかりの第三代将軍徳川家光の侍講となり、さらに幕府政治に深く関与していった。
「木下氏」秀吉の正室高台院の義理の曾孫木下(豊臣)秀三。
「視今集」木下秀三撰「和歌視今集」。正徳元(一七一一)年成立。
「永喜」林永喜(えいき 天正一三(一五八五)年~寛永一五(一六三八)年)は羅山の実弟で儒学者・歌人。羅山とともに江戸幕府に仕え、初期の幕政に参画した。兄に道学を、歌道家に和歌を学び、慶長九(一六〇四)年に藤原惺窩に対面して啓発を受けた。度々、漢和聯句会に参加し、慶長一三(一六〇八)年には一華堂乗阿と「源氏物語」について論争している。
「かねども」「兼ねども」か。
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