今日、先生は明確にKを靜攻略のために――絶対必殺の仇敵・魔物・祟りを齎す強力な魔人――と意識することに注意せよ!
(以下、引用は私の『東京朝日新聞』大正3(1914)年7月23日(木曜日)掲載 夏目漱石作「心」「先生の遺書」第九十一回から。太字・下線・記号番号は私が附した)
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「二人は各自(めい/\)の室に引き取つたぎり顏を合はせませんでした。Kの靜かな事は朝と同じでした。私も凝と考へ込んでゐました。
私は當然自分の心をKに打ち明けるべき筈だと思ひました。然し①それにはもう時機が後れてしまつたといふ氣も起りました。何故先刻(さつき)Kの言葉を遮つて、此方(こつち)から②逆襲しなかつたのか、其處が③非常な手落(てぬか)りのやうに見えて來ました。責(せ)めてKの後に續いて、自分は自分の思ふ通りを其塲で話して仕舞つたら、まだ好かつたらうにとも考へました。③Kの自白に一段落が付いた今となつて、此方(こつち)から又同じ事を切り出すのは、何う思案しても變でした。私は此不自然に打ち勝つ方法を知らなかつたのです。私の頭は悔恨に搖られてぐら/\しました。
④私はKが再び仕切の襖を開けて向ふから突進してきて吳れゝば好(い)いと思ひました。私に云はせれば、先刻(さつき)は丸で不意擊(ふいうち)に會つたも同じでした。私にはKに應ずる準備も何もなかつたのです。私は午前に失つたものを、今度は取り戾さうといふ下心を持つてゐました。それで時々眼を上げて、襖を眺めました。然し➄其襖は何時迄經つても開きません。さうしてKは永久に靜なのです。
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①Kに先陣の先駆けを奪われた先生
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②Kを靜争奪戦の一騎打ちに於ける絶対必殺の敵と意識する先生
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③Kに先陣先駆けを奪われた致命的失策を後悔する先生
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④無策の内――未だに自分を信頼しきっているKが手ぶらで自分のところに馬鹿正直に再び無手ぶらで進み出てきて(「突進」はKを先生が敵として形容したそれに過ぎないことに注意)、先に食らった不意打ちによって失った最重要拠点の奪還を何としてもせねばならぬという激しい焦燥に駆られる先生
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「然し」前線の逆茂木「は何時迄經つても開」かず《開いたままになるのは何時かを考えて見よ》、「さうして」仇敵「Kは永久に靜」なものである
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私はわざとKの室を回避するやうにして、斯んな風に自分を往來の眞中に見出したのです。
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★ここでK(の部屋)を中心とした円運動で先生が往来へ出るということに注意。
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私には第一に彼が解しがたい男のやうに見えました。何うしてあんな事を突然私に打ち明けたのか、又何うして打ち明けなければゐられない程に、彼の戀が募つて來たのか、さうして平生(へいせい)の彼は何處に吹き飛ばされてしまつたのか、凡て私には解しにくい問題でした。私は彼の强い事を知つてゐました。又彼の眞面目な事を知つてゐました。私は是から私の取るべき態度を決する前に、彼について聞かなければならない多くを有つてゐると信じました。同時に是からさき彼を相手にするのが變に氣味が惡かつたのです。私は夢中に町の中を步きながら、自分の室に凝と坐つてゐる彼の容貌を始終眼の前に描き出しました。しかもいくら私が步いても彼を動かす事は到底出來ないのだといふ聲が何處かで聞こえるのです。つまり私には彼が一種の魔物のやうに思へたからでせう。私は永久彼に祟られたのではなからうかといふ氣さへしました。
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★Kを明確な強力にして真面目な恐るべき攻略し難い敵・魔物・永久の祟りを齎すまがまがしき存在と認知してしまう先生
★当然のこととして索敵行動に出ることを自覚表明する先生(遺書を読む学生の「私」に対してである)
この白々しい自己正当化の表現に気をつけるべきである。既にして先生はKを排除すること以外には考えていない、そんな余裕はないのは以上で明らかであり、ここにはK排除計画の策定とその結果が齎す既成事実を先送りしつつ、当時の自己合理化を――遺書を読む学生の「私」に対して――行っているという事実を忘れてはいけない。
「こゝろ」の「読み」の難しさは、読者が遺書を読む学生の「私」と一体になって読み進む立場を忘れないようにしながらも、全くの「現代の一読者」として自己の人生観・恋愛観に比してそれを批判的視点から読むという、読み手側の二重構造があることにある。しかも、面倒なことには、作者漱石はそれを意識しては書いてはいないという点である。漱石にしてみれば、遺書以前の部分で読者である「あなた」は、作中の学生「私」なのだと決めつけているものと考えてよい。無論、当時は、それでよかった、と私は思う。しかし、先生とKがもくもくと歩いた房州の景色が既に今や幻しとなってしまったように(少なくとも今の房州ではあのシークエンス全体をロケすることは不可能である)、その作者の無言の要請は私は現代に於いてはほぼ無化されると思うのである。少なくとも、肝心なシークエンスでは、我々は――学生の「私」――から離れて――今の「あなた」として読まねばならない箇所が必要だ――と私は切に思うのである。
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