今日遂にKが登場する――
私は其友達の名を此處にKと呼んで置きます。
(『東京朝日新聞』大正3(1914)年7月5日(日曜日)掲載 夏目漱石作「心」「先生の遺書」第七十三回冒頭)
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以下と比較せよ――
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私(わたし)は其人を常に先生と呼んでゐた。だから此處でもたゞ先生と書く丈で本名を打ち明けない。是は世間を憚かる遠慮といふよりも、其方が私に取つて自然だからである。私は其人の記憶を呼び起すごとに、すぐ「先生」と云ひたくなる。筆を執つても心持は同じ事である。餘所々々(よそ/\)しい頭文字抔(など)はとても使ふ氣にならない。
(『東京朝日新聞』大正3(1914)年4月20日(月曜日)掲載 夏目漱石作「心」「先生の遺書」第一回冒頭)
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Kの養子先も可なりな財產家でした。Kは其處から學資を貰つて東京へ出て來たのです。出て來たのは私と一所でなかつたけれども、東京へ着いてからは、すぐ同じ下宿に入りました。其時分は一つ室によく二人も三人も机を並べて寐起したものです。Kと私も二人で同じ間(ま)にゐました。山で生捕られた動物が、檻の中で抱き合ひながら、外を睨(にら)めるやうなものでしたらう。二人は東京と東京の人を畏れました。それでゐて六疊の間の中(なか)では、天下を睥睨(へいげい)するやうな事を云つてゐたのです。
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「檻の中で抱き合ひながら」という同性愛的(プラトンの「パイドロス」に拠れば、男女の愛は賤しく、男同士のそれこそが至高の愛の形である)比喩を忘れてはならない!――
「K」とは何者か?
実はこれは先生のトリック・スターではないか?
「我輩は猫である」の先生は「苦沙彌先生」でK、「坊つちやん」の「清」もK、そして漱石の本名も夏目金之助で「K」である。
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以下、懐かしい私の板書。
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◎Kのプロフィル(Ⅰ)
・同郷(新潟)の幼馴染みで浄土真宗の僧侶の次男
→実家は(先生と同じく)財産家。
・医者の家に養子に行く
→当然のこととして養家の跡継ぎとして医者にならねばならない。
・Kは「強い」
→我々は二人とも「真面目」であったが彼は私より遙かに「強い」。
・Kは常に「精進」という言葉を使用
→寺に生れたからでもあるが、Kは実際の僧よりも遙かに僧らしい性格であった。
・Kは実生活に於いてもその「精進」を完全実践
→私はそんなKを内心畏敬していた。
・Kは中学時代から宗教・哲学を好んで語った
→そうした関心の主因が僧である父の直接の影響なのか、それとももっと血脈的な彼の属した寺という家系に属すものであるかは定かではないが、兎も角私には難しい問題ばかりで困らせられた。
・Kは「道のためなら」養父母を欺いても構わないと公言
→医師になる気は全くない。「道のため」の学問を自律的に選び取る覚悟を持つ。
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