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2020/07/25

三州奇談續編卷之八 唐島の異觀

 

    唐島の異觀

 氷見の唐島は、萬葉の頃は聞かずと雖も、國君を始め奉り、風騷の人の秀歌あまた聞ゆ。事多ければ略す。地は氷見の川口を離(はな)るゝ事十二町[やぶちゃん注:一キロ三〇九メートル。]、海中に孤立せり。遠望愛すべく、島に上(あが)りて又驚くに堪へたり。凡(およそ)竹生島(ちくぶしま)・江の島に類(たぐひ)す。元(も)と坤輪(こんりん)より岩を疊みて涌出(ゆうしゆつ)せる物なれば、風景豈(あに)俗物ならんや。大躰は前段に記す如く、遠くは佐渡を望み、近くは能越の嶺嶽累々と廻(めぐ)らし、海深く、蒼濱白砂(さうひんはくさ)、舟の行違(ゆきちが)ふものは浪に敷くに似たり。既に渡舟(わたしぶね)岸に至れば、石を飛び岩を這ひて上る。坂中(さかなか)鳥居あり。大巖(おほいは)には必ず六道能化(のうげ)の兄息子を彫む。本堂は辨財天、三間四面許(ばかり)莊嚴(しやうごん)せり。四方欄干の緣を廻る。大凡(おほよそ)堂景備前の島「あぶとの觀音」に類(るゐ)す。爰も向うの海中の飛島(とびしま)を「あぶが崎」と云ふ。能州にも「あぶや」の號あり。思ふに「あぶ」は蠻音(ばんおん)ならん。水を「あぶ」などいふ如く、舟路には蠻語の入交(いりまぢ)るものにこそ。扨(さて)堂の後ろの下り坂、岩をくぐり石に迫りて、刀頭(たちがしら)に蟹這ひ履下(りか)に蜷(にな)を踏む。甚だ江の島の奧の院金龜山(きんきさん)より「兒(ちご)が淵(ふち)」に下る邊(あたり)に似たり。「胎内くぐり」と云ふ岩を出で、波かゝる平岩に飛移れば、此岩橫に臥すこと二十丈許、又一路あるに似て銀漢にや續くらんと疑はる。此岩の五六町[やぶちゃん注:五四六~六五四メートル半。]波路を隔て「牛島」あり。又「机が島」あり。其形(かた)ち相似たれば號(なづ)く。牛は臥牛にして生けるが如し。海荒き日は牛頭の波數丈に打上り、唬々吼々(がうがうこうこう)として聲あるが如し。三所の龍灯は、必ず爰の波底より出づと云ふ。都(やが)て唐島の岩は洲入りて捉ふるに易く、能く傳へば此島を一周するに危ぶからず。岩間々々土自らありて、草樹色々生ひたり。近年大樹大松枯れてなし。是れ遊人多く火を焚きて慰み、或は岩穴に火藥をつめて大鳥銃の術をまねびなどして、巖半ば死(しに)枯るゝ如くなりし故ともいふ。鳥居の邊(あたり)には淸水の出づる大石あり。「義經の水乞石(みずこひいし)」と號(な)づく。一年(ひととせ)開帳のありし時は、爰に判官渡り住みて日を重ねられしことなど、詞(ことば)をかざる僧ありしと聞く。必ず虛ならん。石穴には辛螺(にし)・蛸など群り住みて、遊人肴(さかな)に不足なし。釣竿を下せば黑鯛といふ物かゝりて、又々一興をなす。此山を廻(めぐ)るに、必ず和國になき面影を見ることあり。草木石貝に限らず。折々怪しきものを得るといふ。名(な)空(むな)しからず。友文鵝(ぶんが)なる男興じて咄す。

「里諺に此堂の緣にうつむきになり、股の間より海畔を望めば、必ず異國の人家か蠻界の人家を見ると云ふ。故に多く『唐(もろこし)を見ん』とて、内股の間に首を入れて興ず。人家或時はふしぎにも見え、又見馴れざる所の見ゆることもあり。先年開帳の時は、麓の岩間に荼店を設けて、岩間を直(ぢか)に生洲(いけす)となして鯛・蛸の類(たぐひ)を放し置き、酒を賣りしに、人々多く押合ひて食するに、其頃我も渡りて酒に興じ、打倒れて夢も半(なかば)の頃、早や人大方歸り盡きて淋しくなりし頃、不圖(ふと)目覺めて彼(かの)俗諺を思ひ出して、股より覗き見しに、山上より來る一人あり。唐裝束(からしやうぞく)を着し、髮は女の如く唐子髷(からこまげ)にして、手に大旗を持來(もちきた)る。大いに怪しみ、

『不思議不思議』

と感ずる間に、異人(いじん)間近(まぢか)く來り、

『ハンメリハンメリ』

といふ。驚きて手に持つ旗を見れば、

『ハシリカンフラ』

と書き付けあり。扨は藥賣殿(くすりうりどの)にてありしと初めて知りしが、時しも此内股より覗く所へ來かゝりしは、渠(かれ)も又應(わう)の遁(のが)れざることありしにやと、をかしく歸りしぞ。今日も岩間岩間探し給へ、異物あるべし」

とて終日遊ぶ。

[やぶちゃん注:「唐島」は既出既注であるが、メインだから再掲する。氷見漁港から三百メートル沖合にあり、濃い緑に包まれている小さな島。県指定の天然記念物に指定されました。氷見漁港の守り神を一度は見ておきたいものです。にある小島の無人島で、氷見市丸の内にある曹洞宗海慧山海慧山光禅寺(グーグル・マップ・データ。漫画家藤子不二雄A氏の生家。昨年の三月に友人らと訪れた)が全島を所有し、唐島は同寺の境内とされており、島内には弁天堂・観音堂・「火ともし地蔵」・「弁慶の足跡」・「夫婦岩」などがあり、昔から地元の信仰を集めている。光禅寺を創建した明峰素哲が唐の大火を消し鎮め、その返礼に唐から島を贈られたという言い伝えから、「唐島」と呼ばれる。地質学的には石灰質砂岩から成る。遠い昔、十九の頃、演劇部の後輩の女性と、他の連中が泳いでいる間、何か訳あって泳がずに寂しそうにしていたので、誘って船で行ったことがあった。

「萬葉の頃は聞かずと雖も、國君を始め奉り、風騷の人の秀歌あまた聞ゆ」「万葉集」巻第十九の四二三二番歌に出る「雪の島」を唐島とする説は、既に「多湖老狐」で否定した。「國君」は加賀藩第三代藩主前田光高。既出既注だが、再掲すると、徳川光圀撰の「新百人一首」の第二十四番に、「加越能少將光高」として、

 なごの海やうら山かけてながむれば

    やまとにはあらぬ波のからしま

とある。万葉で売らんかなの氷見ならば、唐島の和歌を集成したページを誰か作っていようと調べたが、見当たらない。調べる気も起らない。悪しからず。

「竹生島」言わずもがな、琵琶湖北部に位置する島。現在は全域が滋賀県長浜市早崎町に属する(グーグル・マップ・データ。左のサイド・パネルの写真がよかろう)。正直、小さな唐島と比較するのはどうかなと思う。

「江の島」言わずもがな、私の思い出だらけでくしゃくしゃになった神奈川県藤沢市江の島(グーグル・マップ・データ。同じく左のサイド・パネルの写真がよかろう)。比較は同前。

「坤輪」「乾坤(けんこん)」で判る通り、「坤」は易学に於いて「天」を意味する「乾」とともに万物を生成する「地」の表象であり、単純にこの大地は「坤輪」という地軸によって支えられていると考えられた。

「能越」能登国と越中国。

「蒼濱」「蒼」は海の色。

「六道能化(のうげ)の兄息子」「六道能化」六道の巷 (ちまた) に現われて衆生を教化し救う地蔵菩薩のこと。「兄息子」は「一番年上の息子」や「年かさな息子」を指すが、意味が判らぬ。或いは「兄・息子」で大きい地蔵や小さい地蔵のことか。そう読んでおく。

「三間四面」五メートル四十五センチ四方。

『備前の島「あぶとの觀音」』広島県福山市沼隈町能登原にある臨済宗海潮山磐台寺(ばんだいじ)の本尊十一面観音。瀬戸内海に面した阿伏兎(あぶと)岬(先端の高所)にあるので「阿伏兎観音」とも呼ばれる。私は「阿伏兎観音」を見たことはないが、写真を見るにロケーションは唐島の比ではなく、悪いけれど、記憶の中の唐島のそれは如何にもしょぼかった。グーグル画像検索「阿伏兎観音」もリンクさせておく。

『向うの海中の飛島を「あぶが崎」と云ふ』「牛島」「机が島」グーグル・マップ・データ航空写真を見ると、唐島から東北沖合三百メートル圏内に三つの岩礁を現認出来る。海図を見ても同じ方向に六つほどの岩礁或いは暗礁に近いものを認める。これらのうちの孰れかであろう。スタンフォード大学の「參謀本部」の「邑知潟(オウチガタ)」(明治四二(一九〇九)年作図・昭和九(一九三四)年修正)を見ても、同じ東北沖に明らかに三つの岩礁を認める。地元も漁師の方に聴けば、総ての岩礁や岩根に名があるはずだが。何方かお調べ戴けまいか?

『能州にも「あぶや」の號あり』西能登であるが、石川県羽咋郡志賀町安部屋(グーグル・マップ・データ)があり、その海岸も安部屋海岸と呼ぶ。しかし、だいだい、ここで言うなら、唐島の北北東八キロ半の位置にある虻ガ島(グーグル・マップ・データ)をこそ言うべきであろう。

『思ふに「あぶ」は蠻音(ばんおん)ならん。水を「あぶ」などいふ如く、舟路には蠻語の入交(いりまぢ)るものにこそ』この「蠻音」「蠻語」は外来語・外国語の意。仏教用語で仏に供える水を「閼伽(あか)」と呼ぶが、これはサンスクリット語由来の「アルガ」(ラテン文字転写「argha」)の漢音写であり、一説にラテン語の「水」を意味する「aqua」(アクア)もそれが語源だという話を聴いたことがある。

「刀頭」麦水は御用商人の次男であるから帯刀していないので、単に頭の上の方の謂い。

「蜷」腹足類。巻貝。

「江の島の奧の院金龜山」伝承によれば、弘仁五(八一四)年に弘法大師空海が金窟(現在の江の島の南にある「お岩屋」)に参拝し、国土守護・万民救済を祈願して社殿(岩屋本宮)を創建し、神仏習合によって金亀山与願寺(よがんじ)という寺院になったとする。詳しくは私の「新編鎌倉志卷之六」或いは「鎌倉攬勝考卷之十一附錄」をどうぞ。

「兒が淵」江の島の最西端(グーグル・マップ・データ航空写真。サイド・パネルの写真を見られたい)。由来となった若衆道の悲話は同前の「新編鎌倉志卷之六」の「兒淵(チゴガフチ)」の条を見られたい。麦水はそこに「下る邊に似たり」(爼岩のことと思う)などと言っているが、唐島は凡そ及ばない。

「二十丈」約六〇メートル六〇センチ。唐島の現在の裏手(東北の富山湾側)は四十五メートルもない。但し、当時とはかなり島の形も潮下線も異なると考えられるので、これは信じてよかろう。

「銀漢」銀河。天の川。

「唬々吼々(がうがうこうこう)」読みは「近世奇談全集」に従った。後半を「くく」と読んだのでは迫力を欠くように思われる。「唬」は「脅(おど)す・脅(おびや)かす・驚かせる」の意があり、「吼」は獅子吼(ししく)で知られる通り、「獣がほえる・わめく・どなる」の意。そうした意味と、激しい波濤の立てる音のオノマトペイアと考えてよい。因みに、十六小地獄(八大地獄の周囲に付属する小規模な地獄)の一つに「吼々処」(くくしょ)と呼ばれる地獄がある。ここには恩を仇で返した者や自分を信頼してくれる古くからの友人に対して嘘をついた者が落ち、獄卒が罪人の顎に穴をあけて舌を引き出し、それに毒の泥を塗って焼け爛れたところに、さらに毒虫がたかる、という苦痛を繰り返すという。

「三所の龍灯は、必ず爰」(牛島)「の波底より出づと云ふ」「朝日の石玉」の本文及び私の注を参照。朝日山上日寺にある「龍灯の松」に「大晦日の夜、三ヶ所一團となりて牛島より來りかゝると云ふ」とある、それ、でである。なお、そこに同寺の背後にある山を泰澄が牛に駕してやってきたとあるから、或いはこの「牛島」は、単に形のシミュラクラではなく、その泰澄が跨った牛が最後に化したというような伝承があるのかも知れない。

「洲入りて」砂州が島の周囲に形成されて。

「大鳥銃」不詳。「近世奇談全集」では「鳥銃」の部分に『てつぱう』とルビする。ということは大銃(おおづつ)・大砲のことではなかろうか。とすれば、ここも「おほづつ」と読む方がいいし、躓かずにすんなり読めるではないか。

「義經の水乞石」不詳。現存しないか。日本海から東北果ては北海道にまで無数にある義経伝説の一つとして理解は出来る。すぐ近くの雨晴海岸にある義経岩(グーグル・マップ・データ)もそれで、こちらは風雨に見舞われ、弁慶が岩を押し上げて穴を作って雨宿りしたという古跡があり、その時の「弁慶の足跡」もちゃんとあったやに記憶している。雨晴海岸は私の青春のアンニュイの海岸である。

「一年開帳のありし時は、爰に判官渡り住みて日を重ねられし」彼の生涯にそんな平穏な日々はなかったことは馬鹿でも判る。

「辛螺(にし)」外套腔から出す粘液が辛い味を持っている食用の腹足(巻貝)類の総称であるが、辛くない巻貝にも有意に当てられている。テングニシ(軟体動物門腹足綱前鰓亜綱新腹足目アクキガイ超科テングニシ科テングニシ属テングニシ Hemifusus ternatanus:肉もワタも美味い)・アカニシ(アクキガイ超科アクガイ上科アクキガイ科チリメンボラ亜科チリメンボラ属アカニシ Rapana venosa:刺身が美味い。「薙刀鬼灯」はこの種の卵囊である)などがあるが、ナガニシ(アクキガイ超科イトマキボラ科ナガニシ亜科ナガニシ属ナガニシ Fusinus perplexus:身が美味いが、身を出すのに殻割しかないのが面倒)・イボニシ(アクキガイ科レイシガイ亜科レイシガイ属イボニシ Thais clavigera:塩ゆでの辛みがなんとも言えず美味い)はとくに辛い。

「黑鯛」スズキ目タイ科ヘダイ亜科クロダイ属クロダイ Acanthopagrus schlegelii

「文鵝」不詳。麦水の友人でこの名となれば、俳句仲間であろう。

(ぶんが)なる男興じて咄す。

「里諺に此堂の緣にうつむきになり、股の間より海畔を望めば、必ず異國の人家か蠻界の人家を見ると云ふ」股覗きはせずとも、富山湾名物蜃気楼であろう。それともファタ・モルガーナか?(イタリア語:Fata Morgana:モーガン・ル・フェイ(Morgan le Fay)のイタリア語の呼び名。「アーサー王物語」に登場する女でアーサー王の異父姉にして魔女とされる。イタリアでは彼女がメッシナ海峡に蜃気楼を作り出し、船乗りを惑わして船を座礁させてしまうという伝説が残されており、一説に死に至る真の悲しみに沈んだ者にのみ見えるともされる) 無論、ここでの「股覗き」とは異界を覗くための非日常的行動としての呪的な意味を持っているものではあるが、ただ「股覗き」というのはここの場合、視線が海水面に非常に近づくため、或いは温度・湿度・屈折率が通常の目の高さとは異なることから(その時の太陽の位置も関係してくる)、蜃気楼或いは浮島現象等が見えやすくなるのかも知れないなどと私は夢想した。

「人家或時はふしぎにも見え」というのはまさに蜃気楼である。私も六年間伏木いた内で、数度、見たことがある。一度は巨大なタンカーが沖を航行しているかと思ったのだがが、よく見ると、それは自分の立っている背後の海端の石油タンク群なのであった。

「麓の岩間に荼店を設けて、岩間を直に生洲となして鯛・蛸の類を放し置き、酒を賣りし」江の島の稚児が淵から爼岩や「お岩屋」にかけての岩礁帯で、近代まで、ほぼ同じようなことが行われていた。酒客の出す金銭に応じて、海に入り、鮑などの魚介を採って供するのである。実際には予め海中に網で生け簀を沈めてあったものかとも思われる。私の「『風俗畫報』臨時増刊「鎌倉江の島名所圖會」 江島」の文章(記者が酒に酔って岩場で転倒して怪我をするシーンがある)や挿絵、同じく『山本松谷「江島・鵠沼・逗子・金澤名所圖會」挿絵 江の島お岩屋(龍窟)の図』を見られたい。また、芥川龍之介の「大導寺信輔の半生――或精神的風景畫――」(リンク先は私の古い電子テクスト)の「六 友だち」を読まれたい。江の島の「潜り」の少年や海女に主人公(芥川龍之介自身)の友人である男爵の長男が硬貨を海に投げ入れて獲らせるという差別的なシークエンスが描かれている。彼らは実はまさにそうしたことを生業としていた者たちなのである。ロケーションは江ノ島、時は旧制高校時代の四月であるから、明治四四(一九一一)年四月及び翌年の四月或いは大正二(一九一三)年四月となる。

「山上より來る一人あり」酔っているから、向きも判らず、海を見ずに島の方を見てしまっているのである。滑稽の極みで、面白い。

「唐裝束(からしやうぞく)を着し」彩色豊かな、妙ちきりんな服だったのをかく見違えたのである。

「唐子髷」中世から近世へかけての、元服前の子供の髪の結い方の一つ。唐子(中国風の服装や髪形をした子供)のように、髻 (もとどり) から上を二つに分け、頭の上で二つの輪に作ったもの。近世には女性の髪形となった。

「ハンメリハンメリ」不詳。個人ブログ「秋残り」のこちらに、『ハンメルという、音をめる、という。半音を上げ下げるハンメリという。メリヤッセという』とある。大阪弁らしいが、このブログ記事全体が、失礼乍ら、何を書いておられるのか、よく判らぬ。観賞用多肉植物に単子葉植物綱キジカクシ目ススキノキ科ハオルシア属Haworthia の中に、Haworthia mirabilis 'hammeri'(アオルシア・ミラビリス・ハンメリ)という名の種がいるようだ。現代の日本人には愛好家が多いらしく、オークションや栽培記載に、この名が掛かってはくる。英文サイトのこちらに同種の記載と写真が載る。それによれば、南アフリカの喜望峰の東のスウェレンダム(Swellendam)というところが原産地らしい。ドイツ語に「hummel」という語がある(発音は「ヒュンメル」だが、文字列だけを見ていると「ハンメリ」と読みそうになる)がこれは「マルハナバチ」(膜翅(ハチ)目細腰(ハチ)亜目ツバチ上科ミツバチ科ミツバチ亜科又はマルハナバチ亜科マルハナバチ族マルハナバチ属 Bombus)を表わすという。どれもピンとこない。小学館「日本国語大辞典」にも載らない。判らぬ。オランダ語か、ポルトガル語か。識者の御教授を乞う。或いは酩酊した人物が、股覗きで頭に血が上って聴いているのだから、当てにならぬので、聴き違いをそのままに妖しい外国語のように記しただけのことかも知れぬ。

「ハシリカンフラ」「近世奇談全集」は『バシリカンフラ』とする。やはり孰れでも不詳。小学館「日本国語大辞典」にも似たものさえも載らぬ。しかし、酩酊している文鵝はこの言葉を聴いて相手が異界の異人ではなく、当たり前の薬売りであったことを認知している以上、これには意味がなくてはおかしい。当時の失われた富山弁なのであろうか? 同じく識者の御教授を乞う。

「藥賣」所持する三谷一馬氏の「江戸商売図絵」(一九九五年中公文庫刊)の「薬」のパートの絵図を見るに、しっくりくるような姿の者はいない。その冒頭にはまさに越中富山の「反魂香売り」が載るが、それは大きな縦長の箱を天秤棒で前後に担いで行商する形である。旗を持っているのは同書では一人だけで、それは「石見銀山鼠取受合」の文字を青地に白く染め出した旗であったとあり、幟(のぼり)は縦五尺で、『大体貧乏そうな服装が多い』とあるし、そもそもがちっぽけな唐島に石見銀山を売りに来るのもヘンだから違う。お手上げ。相応しい薬売りの姿を見つけられた方がおられたら、是非、御一報を!

 本篇は「三州奇談」の中では疑似奇談で可笑しく面白いエンディングという点でも特異点と言える。なお、「学校の怪談」や口裂け女の追跡でブレイクした民俗学者常光徹氏の「異界をのぞく呪的なしぐさ」PDF)に珍しくこの「三州奇談續編」の本篇の一部が活字化されているのであるが、惜しいことに『著者の麦水自身も関心があったようでご開帳で島に渡った際に見ている。そのとき見えた唐装束の異人は実は旗を持って歩いてきた薬売りだったとオチがついている』と読みを間違えている。これが素人なら何も言わない。都市伝説(アーバン・レジェンド)研究の騎手たる常光氏だからこそゆゆしき問題なのである。私がこの章の電子化をしない限り、私がここで常光氏の誤読を指摘しない限り――「三州奇談」(そもそも厳密には「三州奇談続編」でなくてはいけない)に麦水がそれを経験したと載っているという誤認が、これからずっと一人歩きして行ったであろうからである。そうした致命的な誤りが真実扱いされるというのが噂話=都市伝説の病理だからである。常光氏は自らそうした噂話形成の病的なミスを犯してしまっている――からなのである。

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