甲子夜話卷之六 14 伶人多氏、浴恩老侯と贈答の事
6-14 伶人多氏、浴恩老侯と贈答の事
京伶人多大和守【久敬】下りし折から、樂翁招てひたもの催馬樂を學ばれしに、大和歸京に臨みけるときかくなん、
君にこそ拾はれにけれいせの海の
なぎさによれるかひもなき身を
其時、樂翁の返し、
打よする心計に日をふれど
なぎさの玉は手にもとられず
一時の戲といへど風雅なることなり。大和も伶工には珍らしき風致なりき。
■やぶちゃんの呟き
「伶人多氏」「多」(おほの)「大和守【久敬】」雅楽演奏家多久敬(おおのひさかた 明和九(一七七二)年~弘化二(一八四五)年)。
「老侯」「樂翁」白川藩藩主・老中松平定信(宝暦八(一七五八)年~文政一二(一八二九)年)。老中失脚は寛政五(一七九三)年。
「ひたもの」ひたすら。
「催馬樂」「さいばら」。古代歌謡の一つ。平安時代に民謡を雅楽風に編曲したもの。笏拍子(しゃくびょうし:当初は二枚の笏を用いたが、後に笏を縦に中央で二つに割った形となった。主唱者が両手に持って打ち鳴らして用いる)・和琴(わごん)・笛・篳篥(ひちりき)・笙(しょう)・箏(そう)・琵琶(びわ)などで伴奏した。
「伊勢」文化九(一八一二)年に定信は家督を長男の定永に譲って隠居(文化九(一八一二)年3月)隠居しているが、実際には藩政の実権は以前として掌握していた。定永の時代に久松松平家旧領伊勢桑名藩への領地替えが行われているが、これは定信の要望により行われたものとされている。定信の白川藩藩祖定綱以来の先祖の地は伊勢桑名であった。
「心計に」「こころばかりに」。
「戲」「たはむれ」。
« 今日、あのKの「覺悟?……!……覺悟なら……ないこともない……」という決定的な台詞が発せられてしまう―― | トップページ | 甲子夜話卷之六 15 儒者の歌 »