今日――先生はKの「覚悟」を致命的に誤読し――掟破りの卑劣な先手に着手してしまう――
「Kの果斷に富んだ性格は私によく知れてゐました。彼の此事件に就いてのみ優柔な譯も私にはちやんと呑み込めてゐたのです。つまり私は一般を心得た上で、例外の塲合をしつかり攫(つら)まへた積で得意だつたのです。所が「覺悟」といふ彼の言葉を、頭のなかで何遍も咀嚼してゐるうちに、私の得意はだん/\色を失なつて、仕舞にはぐら/\搖(うご)き始めるやうになりました。私は此塲合も或は彼にとつて例外でないのかも知れないと思ひ出したのです。凡ての疑惑、煩悶、懊惱(あうなう)、を一度に解決する最後の手段を、彼は胸のなかに疊み込んでゐるのではなからうかと疑ぐり始めたのです。さうした新らしい光で覺悟の二字を眺め返して見た私は、はつと驚ろきました。其時の私が若し此驚きを以て、もう一返彼の口にした覺悟の内容を公平に見廻したらば、まだ可かつたかも知れません。悲しい事に私は片眼(めつかち)でした。私はたゞKが御孃さんに對して進んで行くといふ意味に其言葉を解釋しました。果斷に富んだ彼の性格が、戀の方面に發揮されるのが卽ち彼の覺悟だらうと一圖に思ひ込んでしまつたのです。
私は私にも最後の決斷が必要だといふ聲を心の耳で聞きました。私はすぐ其聲に應じて勇氣を振り起しました。私はKより先に、しかもKの知らない間に、事を運ばなくてはならないと覺悟を極めました。私は默つて機會を覘(ねら)つてゐました。
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一週間の後(のち)私はとう/\堪へ切れなくなつて、假病を遣ひました。奥さんからも御孃さんからも、K自身からも、起きろといふ催促を受けた私は、生返事をした丈で、十時頃迄蒲團を被つて寐てゐました。私はKも御孃さんもゐなくなつて、家の内がひつそり靜まつた頃を見計つて寢床を出ました。私の顏を見た奥さんは、すぐ何處が惡いかと尋ねました。食物(たべもの)は枕元へ運んでやるから、もつと寐てゐたら可からうと忠告しても吳れました。身體(からだ)に異狀のない私は、とても寐る氣にはなれません。顏を洗つて何時もの通り茶の間で飯を食ひました。其時奥さんは長火鉢の向側から給仕をして吳れたのです。私は朝飯とも午飯とも片付かない茶椀を手に持つた儘、何んな風に問題を切り出したものだらうかと、そればかり屈託してゐたから、外觀からは實際氣分の好くない病人らしく見えただらうと思ひます。
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私は仕方なしに言葉の上で、好(い)い加減にうろつき廻つた末、Kが近頃何か云ひはしなかつたかと奥さんに聞いて見ました。奥さんは思ひも寄らないといふ風をして、「何を?」とまた反問して來ました。さうして私の答へる前に、「貴方には何か仰やつたんですか」と却て向で聞くのです。
(『東京朝日新聞』大正3(1914)年7月30日(木曜日)掲載 夏目漱石作「心」「先生の遺書」第九十八回より。太字傍線は私が附した)
なお、今日この日、7月30日は明治天皇の祥月命日に当たるのである――
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