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« 今日、先生はKの「前に跪まづく事を敢て」し、遂にKを「私の家」に連れて来てしまう―― | トップページ | 三州奇談續編卷之七 異蛇の長年 »

2020/07/08

三州奇談續編卷之七 異人投ㇾ金

 

    異人投ㇾ金

 佛緣眞(まこと)に世說(せせつ)を壓する大いなる哉(かな)。英氣(えいき)山を拔く項羽も、烏江(うかう)の草臥(くさぶし)に眞意の妄執(まうしふ)を歎き、忠魂潔烈(けつれつ)たる鐘馗(しようき)大臣も、「發起菩提心(ほつきぼだいしん)なるべし」と高らかに諷(うた)ふ。天下の大難の冥魂、及び熊坂(くまさか)が如きに至る迄、諸國一見の僧に歎き願はざる者なきは謠言(えうげん)の妙なり。

[やぶちゃん注:標題は「異人、金(きん)を投(とう)ず」と読んでおく。なお、一点、「妄執」は原文「忘執」とあるのを、特異的に訂した。「近世奇談全集」はそのままで「まうしふ」とルビするが、有り得ない。

「世說」世上の風説。世間の噂。

「烏江」「垓下の戦い」で劉邦との敗れた項羽が最期を迎えた長江の渡し場。但し、ここは知られた「史記」の史実に基づくものではなく、謡曲「項羽」(作者不詳。複式夢幻能で中入の夢の中では虞氏の霊も登場する)を踏まえた表現である。詳しくは「名古屋春栄会」公式サイトの「項羽」がよい。

「鐘馗」中国で疫病神を追い払って魔を除くとする神。目が大きく、顎髭が濃く、緑色の衣装に黒い冠、長い靴を履き、剣を抜いて疫病神を摑む姿に象(かたど)られる。玄宗の夢に現れて自らを「鍾馗」と名乗り、「嘗て進士の試験に落弟して自殺した者だが、もし自分を手厚く葬ってくれるならば、天下の害悪を除いてやろう」と誓約し皇帝の病気を治したという伝説に基づく。本邦では専ら端午の節句の幟にその像を描いて五月人形に作る。ここはやはり謡曲「鐘馗」(金春禅竹作とされる複式夢幻能)で、唐土終南山の麓に住む者が都に上るために旅に出ると、鐘馗の霊が現れ、鬼神を退治して国土を鎮めるという誓願を示すそれに基づく。終曲の後シテの台詞に「鍾馗及第の。鍾馗及第のみぎんにて。われと亡ぜし惡心を。翻へす一念發起菩提心なるべし」とある。詳しくは小原隆夫氏のサイト内の「鐘馗」がよい。

「天下の大難の冥魂」複式夢幻能の殆んどの後シテはそう言える。

「熊坂」熊坂長範(ちょうはん:義経伝説に登場する平安末期の大盗賊。美濃などに出没し、旅人を襲った。陸奥に下る京の富商橘次(きつじ)を美濃青墓(あおはか)の宿に襲ったが、却って牛若丸のために討たれたとも、金売吉次(かねうりきちじ)に伴われた牛若丸が美濃赤坂宿で熊坂を討ったとも言って一定しない)の霊をシテとした複式夢幻能(作者不詳)。旅の僧が美濃国赤坂の里を過ぎると、所の僧が呼びかけ、「さる者の命日を弔ってほしい」と庵室に誘う。そこには武具が多く備えられ、不審を述べる旅僧に、「物騒な里ゆえ往来の者の難儀を救うため」と語る。夜も更けると、僧の姿も庵室も消えている。松陰に夜を明かす旅僧の前に、熊坂長範の亡霊が現れ、大長刀(なぎなた)を振るい牛若丸と戦った末の無念の死を語り、回向(えこう)を願って消え失せる。現在能「烏帽子折(えぼしおり)」の一件を旅僧の幻想として夢幻能の形で描いたもので、同装の僧が対座する前段は他の能にない特色であり、哀愁と豪快さの対比との同居が見事な佳作である(ここは小学館「日本大百科全書」に拠った)。詳しくは小原隆夫氏のサイト内の「熊坂」がよい。

 

 安永七年の夏の事とにや。加州森下村(もりもとむら)の片邊りに住める敎任坊と云ふ道場坊ありき。其身未だ衣を纏ふ官なしといへども、辯よく一向の安心を說く。

[やぶちゃん注:「安永七年」一七七八年。

「森下村(もりもとむら)」私は現在の石川県金沢市南森本町(グーグル・マップ・データ)を中心とした一帯と踏む。スタンフォード大学の「國土地理院圖」の「金澤」(明治四二(一九〇九)年作図・昭和六(一九三一)年修正)で同じ位置を見ると、そこに大きく『森本村』と縦に書いた、その北西の鉄道と「北陸道」との間に同じく縦書きで『森下』とあるからである。旧「森下村」が「もりもとむら」と読むことは、ウィキの「森本村」で確認出来、そこに旧「森本村」は現在の『北陸本線森本駅周辺にあた』り、『当初は河北郡役所が置かれていた』とあるから、相応に人口を持った村であったことが判る。以下に出る森下川(もりもとがわ)もそこを流れているのが判る。

「其身未だ衣を纏ふ官なしといへども」正規の僧職の位を得ているわけではなかったが。

「一向」一向宗(浄土真宗)。]

 

 此故に村々の知音(ちいん)を「御談講」と稱し、隙日(ひまび)なく廻りけるに、或日森下川(もりもとがは)の橋の上にて、獵師の如き人に逢ふ。曾て面(つら)を見覺えたる人に非ず。終にかたへの茶店に腰掛けて、天氣の晴るゝを語る。茶話(さわ)過ぎて彼(かの)人敎任に申すは、

「貴坊は能く佛意を辨(わきま)へ人々を悟さるゝと聞く。我輩も中年過ぎて候に、佛法とて聞分けたる事なし。願はくは悉く化度(けど)し給へ。」

 坊曰く、

「是は事々(ことごと)しき御尋(おたづね)かな。我等何と佛經を辨へ申すべき。されども御聞きと候へぱ、同行中(だうぎやうちゆう)に語りたる事ども御聞きと覺えたり。隱し申すべき事にもなし。存じたる分は申すべし。併(しか)し爰は往來喧(かまびす)しき街なり。我が庵(いほり)に直(なほ)り給へ。十四五町[やぶちゃん注:一キロ半から同半強。]傍(そば)の村にて候」

と云ふ。彼人

「さらば」

と庵に伴ひ、委(くは)しき一向一心の安心の領解(りやうげ)を說きしが、彼の獵師躰(てい)の人尋ねて曰く、

「御敎化(ごきやうげ)大方吞込み候得ども、猶不審の御座候。金澤の町にて大會(たいゑ)の諷(ふう)[やぶちゃん注:「様子」の意であろう。]を聞きしに、此趣は天狗(てんぐ)鳶(とび)と化し、蜘(くも)の圍(ゐ)[やぶちゃん注:網。]にかゝりたるを、或僧助けしかば、此禮に靈山の大會をなして見せたる謠なり。事は物語りの虛談ならんながら、理(り)を云はゞ天狗先に僧に約して、『信を起し給ふな、信を起し給へば我身の爲に惡しく候』と、懇(ねんごろ)に斷りしを、僧背(そむ)きて信を起して、天狗にからき目見せたるとなり。是帝釋(たいしやく)のいかなる取捌(とりさば)きぞ。僧の方へも不念の事を咎めずしては叶はぬことなるを。僧は阿房(あはう)をも尊み、天狗をもぢり羽になすは不捌(ふさばき)千萬の事なり。」

[やぶちゃん注:以上の猟師の語る話は「十訓抄」が原話で、よく知られている。私の『柴田宵曲 續妖異博物館 「佛と魔」(その1)』で原話を示してあり、それを原拠とする「小泉八雲 天狗の話 (田部隆次訳)」(原文英文は前のリンクに示してある)も電子化注してあるので、是非、参照されたい。

「帝釋」梵天とともに仏法の守護神。十二天の一柱で東方を守る。須弥山(しゅみせん)頂の忉利天(とうりてん)の主神で喜見城に住む。ベーダ神話のインドラ神が仏教に取り入れられたもの。天帝釈。ここは単に正法(しょうぼう)の代表・象徴として示したもの。

「阿房」阿呆。愚か者。当て字。]

 

 坊曰く。

「是は我等が知らざることながら、佛法さへ信ずれぱ、なんでも帝釋の勝たさるゝこと、下界にての流儀と覺えたり。思ひ廻せば、我が宗門惡人を本(もと)として善人を次(つぎ)とす。佛法は惡人の爲に立て、其役に懸る薩陀(さつた)達は愚を助け煩惱をいたはる。理(ことわり)の大いなるものに至りては、世間の善惡は皆惡なり。かゝる小理に志を挫(くぢ)くべからず」

と云ふに、獵師合點の行くことや有りけん。

[やぶちゃん注:「我が宗門惡人を本として善人を次とす」言わずもがな、唯円の「歎異抄」に現われる「悪人正機」説。

「薩陀」「薩埵」が一般的。菩薩、則ち、修行者のこと。]

 

「其悅び御禮謝すべき物なし。御坊は定めて折節身の震(ふる)ふこと持病なるべし。是は肩の間に腫(はれもの)あり。爰に虫あり。是がなすことなり。虫大いなれば大病に至りてむづかし。早く去りて進ずべし。無事に長生(ちやうせい)し給へ」

と云ふ。

『付け込みて錢(ぜに)にても取る者か』

と思ひて、

「いやいや夫(それ)には及ばず無用なり」

と云ひけるを、彼(かの)者笑ひて、

「扨々心廻(こころまは)りの人かな、我ら實(げ)に申すを、世の賣藥の如く思ひ給ふか。先づ肩をぬぎ給ヘ」

とて、無理に肩ぬがせ、あたりにありし人に見するに、渠(かれ)が云ひし如く腫ありしかぱ、傍(そば)の人も少しく信とす。

[やぶちゃん注:「心廻り」ここは用心深く気を回して猜疑することを言っていよう。]

 

 此者髮剃(かみそり)を借りて皮をたち破るに、痛むことなし。

 彼人曰く、

「虫の上を斬るときは少ししくしくとすべし、痛む筈にはなし」

とて、靜かに一寸許りの虫三筋(すぢ)引出だして捨つ。

 其跡に藥を附くるに、暫くして疵癒えたり。

 扨申すは

「是にて息災長命なり、最早害なし」

と云ふ。此僧も爰に至りて驚き、少し謝儀せんと思ふ心付きけるを、彼者早く知りて、

「貴僧の一謝に及ぶべきや。我こそ一謝すべけれ、せめて是を參らせん」

と、懷より紙包の物取出だして投與へて立去る。

 是を見るに小判三兩あり。僧大に驚き、

「是は受くべき理(ことわり)に非ず」

と、頓(やが)て飛出で道かくるに行方なし。あたりの人に尋ぬれども知れず。是非なく歸りて小判を改むるに、「眞鍮(しんちう)」と打出しの銘ありて、則ち能く金を知る人に見するに、

「是れ金(きん)に非ず、又他の物に非ず、砂金と云ふべき山出しの儘の金なり。文字の打出し如何にも心得難し。突徒の用ふる物か」

と吟味すれども、夫(それ)にも異なり。不思議晴れやらず。

[やぶちゃん注:「眞鍮」銅と亜鉛の合金、或いは「鍮石」で自然銅の中でも優れたものを指す。しかし金(きん)ではないので、この鑑定人は「心得難し」と言っているのである。

「突徒」「とつと」であろうが、意味不詳。「突」には「犯す」の意があるから、無頼の徒の意か。]

 

 則ち郡方(ぐんがた)を廻る役人衆へ訴へけるに、此咄(はなし)を聞きて、金(かね)の事よりは先づ其醫術の妙藝なるに驚き、

「夫は逢度(あひた)きものなり。今暫く見合せられよ。重ねて來るか、又は何方にても行合ひなば早速知らせん」

と、方々へ命じ、

「色々尋ね度きこともあり」

とて、彼の坊を證人として、多く人を用ひて近鄕を探し𢌞るに、最早半年の餘(よ)に及ぶと云へども消息なしと。是いかなる異人ぞ。

[やぶちゃん注:「見合せられよ」事態を考慮して、何かのお裁きを求めるのは差し控えて様子を見るようにされるがよい。郡方の役人はその猟師の医術が藩主の気に入るに違いないと考えたのである。]

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