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2020/07/07

三州奇談續編卷之七 竹の橋の猪塚

 

 三州奇談後編 卷 七

 

    竹の橋の猪塚

 天心豈測り知らんや。安永三四年の頃は、北越の嶺々野猪多く渡り來て田畑を損ふ。山畔(やまばた)の土民甚だ憂(うれひ)とす。是に依りて國君村々に猪を狩らせらる。

「一頭を得る者は幾何(いくか)の米を與へん」

と命令ありて、早く猪を捕へ盡さんとす。幸哉(さひはひかな)天も是に荷擔ありけん。同五年六年大雪降りて、此猪ども居を失ひ、路を誤ちて里民の爲に悉く得られて、終に一疋の殘るものなく、此害を消したり。此事を司どる人數人、仰(おほせ)を承りて是を吟味ありしに、

「遠路(えんろ)より猪を運ぶに人力の勞(らう)あり」

とて、尾のみを斬りて是を證とし、褒美の米を渡さる。里民悅び貪り、人々競ひて數日に數千の野猪を捕り盡して、一時(いつとき)に奉行所に積重(つみかさね)ぬ。扨(さて)事終りて、其尾數千を燒きて塚となし、梵字を彫りて石碑を立て、一杯の土をかき寄せて、塚印の石を壺の形(かた)ちとし、橫に奉行數人の名を刻む。其中に何の金平と云ふ人あり。この人武門に秀名有ればにや、其邊の里民

「金平塚金平塚」

と呼ぶ。功の一人に歸するや、人の號(とな)へはあやしきものなり。其地は「竹の橋」の前なる山、東方の路邊にあり。戲れに或人この塚を沙汰して曰く、

「何の金平なる人は武藝聖學(せいがく)の人と聞けり。然るに猪塚に名を記せらる。曾て聞く、其鬼に非ずしては祭るべからずとは聖敎(せいけう)なり。况んや此獸國害をなす。斬りて民の害を去るに祭るは何事ぞや。思ふに此人々虎狼の一族にあらずんば、麋鹿(びろく)の緣者なるべし」

と云ふに、かたへの人答へて曰く、

「此塚を築く催し、全く名を後世に傳へんと欲す。是には佛緣を求(もとむ)るに若(し)くはなし。俵藤太(たはらのとうだ)秀鄕龍宮に功ありて、種々の賜(たまは)り物ありしに、卷物・米俵などは家用となるべきに、秀鄕分別(ふんべつ)して釣鐘を貰ひ來りて三井寺に寄進す。是無用に似たれども、反(かへ)りて此鐘の爲に俵藤太が手柄の千古に顯然たり。民間の人も能く聞き傳ふ。兎角佛緣に寄らずんば久しき名は得るに難し。又理(ことは)りなり」

と呵々(かか)。

[やぶちゃん注:標題「猪塚」は「ししづか」と訓じておく。

「安永三四年」一七七四年~一七七六年。

「國君」加賀藩第十代藩主前田治脩(はるなが)。

「金平塚」【202079日改稿】いつも情報を戴くT氏より、「石川県河北郡誌」の「第二十五章 笠谷村」の「〇名跡」の項に「猪塚」があり(リンク先は国立国会図書館デジタルコレクションの当該ページ)、そこに河北郡笠谷村杉瀬に猪塚がある旨の記載と、「三州奇談」の本篇が引用されてあって、猪塚には「安永六年丁酉二月十五日金剛佛子沙彌□道書」と彫られているとあるとの御指摘を戴き、さらに現在の場所は石川県河北郡津幡町字杉瀬であり、塚が現存することを御教授戴いた。当該部を電子化しておく。

   *

猪塚。北陸本道なる杉瀨より、舊道を東に進むこと約四丁[やぶちゃん注:四百三十六メートル。]にして同字内に猪塚あり。高さ約四尺徑一尺三寸なる圓柱狀の碑を立つ。石の前面及び右方には梵字を刻し、左方には所修一切衆善業利益一切衆生故□□盡皆正廻□除正死冥菩提、安永六年丁酉二月十五日金剛佛子沙彌□道書とあり。碑は周圍約六間[やぶちゃん注:十一メートル弱。]の土饅頭上に立ち、前方九尺に二間[やぶちゃん注:約三メートル六十四センチメートル弱。]の空地あり。傳へいふ安永の頃此地野猪多くしえ作物を害すること甚し。土人之を狩り、其死屍をこ〻に瘞めし[やぶちゃん注:「うづめし」或いは「うめし」。]なりと。

   *

調べてみたところ、「津幡町役場」公式サイト内に「猪塚」があって、

   《引用開始》

 津幡運動公園に入る手前の小高い丘に、駆除したイノシシの供養碑「猪塚(ししづか)」が立っています。1774(安永3)年から翌々年にかけて大雪が続き、山奥でエサがないイノシシが多く出没し、山里の作物を食い荒らしました。そのため、藩では役人を派遣して大規模なイノシシ狩りが行われ、数千頭が殺されました。村人たちは証拠として尻尾を持っていくと、イノシシ1匹につき米1升の褒美(ほうび)がもらえました。その尾を集めて埋め、供養した石碑がこの猪塚です。

 石碑は高さ1.36メートル、直径0.39メートルの円柱状で、正面に梵字(ぼんじ=古代インドの文字)と建立の年(安永6215日)、銘文が刻まれています。

2011年(平成23年)51日 津幡町文化財(有形民俗文化財)指定

   《引用終了》

とあった。私の調べ落しで、いつも乍らT氏に感謝申し上げるものである。

「竹の橋」地名ならば、石川県河北郡津幡町字竹橋がある。ここは倶利伽羅峠越えの西の麓に当たり、越中富山との路辺でもあるから、候補地としてはすこぶる適格であるように私は思う。

「聖學」通常は特に儒学のことをかく言う。ここは深く儒学を学んだ者の謂い。

「麋鹿」大鹿と鹿。前の「虎狼」は猪の天敵であるから、こちらは鹿と餌で競合するからであろう。

「俵藤太秀鄕龍宮に功ありて……」藤原俵藤太秀郷(寛平三(八九一)年?~天徳二(九五八)年又は正暦二(九九一)年)。『小泉八雲 鮫人(さめびと)の感謝  (田部隆次訳) 附・原拠 曲亭馬琴「鮫人(かうじん)」』の私の「俵屋藤太郞」を参照。

「呵々」「かんらからから」と大声で笑うこと。]

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