今日、先生は、おぞましい最終兵器を起動させてしまう――
○上野公園。
K 「……どう思う?」
先生「何がだ?」
K 「……今の俺を、どう思う?……お前は、どんな眼で俺を見ている?……」
先生「この際、何んで私の批評が必要なんだ?」
K、何時にない悄然とした口調で。
K 「……自分の……弱い人間であるのが……実際、恥ずかしい……」
先生、Kを見ず一緒に歩む。先生、黙っている。
K 「……迷ってる……だから……自分で自分が、分らなくなってしまった……だから……お前に公平な批評を求めるより……外に仕方がない……」
先生、Kの台詞を食って。
先生「迷う?」
K 「……進んでいいか……退ぞいていいか……それに迷うのだ……」
先生、ゆっくりと落ち着いて。
先生「……退ぞこうと思へば…………退ぞけるのか?」
K、立ち止まる。黙っている。
先生、少し行って止まる。しかし、Kの方は振り返らない。暫くして。
K 「…………苦しい……」
先生、振り返る。
K、のピクピクと動く口元のアップ。
先生の右の眼鏡アップ。表面に映るKの小さな姿。
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實際彼の表情には苦しさうな所があり/\と見えてゐました。もし相手が御孃さんでなかつたならば、私は何んなに彼に都合の好い返事を、その渇き切つた顏の上に慈雨の如く注いで遣つたか分りません。私はその位の美くしい同情を有つて生れて來た人間と自分ながら信じてゐます。然し其時の私は違つてゐました。
(『東京朝日新聞』大正3(1914)年7月26日(日曜日)掲載 夏目漱石作「心」「先生の遺書」第九十四回よりシナリオ化と末尾引用)
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○上野公園。(続き)
振り返った先生の右の眼鏡アップ。表面に映るKの小さな姿(そのままの画面で)。
先生「精神的に向上心のないものは馬鹿だ。」
K、微かにびくっとする。間。ゆっくりと先生の方へ歩み始めるK(バスト・ショット。僅かに高速度撮影で、散る枯葉を掠めさせる)。
カット・バックで先生(バスト・ショット、Kよりも大きめ。僅かにフレーム・アップさせながら)。
先生「精神的に向上心のないものは、馬鹿だ――。」
Kの後頭部(やや上から魚眼レンズの俯瞰ショット。僅かに高速度撮影)。間。
K 「馬鹿だ……(間)……僕は馬鹿だ……」
K、ぴたりとそこで立ち止まる。K、うな垂れて地面を見詰めているのが分かるように背後から俯瞰ショット。
先生の横顔(アップ)。ぎょっとして顔を上げる。何時の間にか先生の前にKの姿はない。カメラ、ゆっくりと回る。先生がさっきの進行方向を向くと、Kの後姿。のろのろとフランケンシュタインの怪物のように歩むK。
(『東京朝日新聞』大正3(1914)年7月27日(月曜日)掲載 夏目漱石作「心」「先生の遺書」第九十五回をもとにシナリオ化)