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2020/07/03

甲子夜話卷之六 11 御留守居役依田豐前守の事蹟 / 12 同

 

6-11 御留守居役依田豐前守の事蹟

依田豐前守は名高き人なり。町奉行勤役中の事等、世人の口碑に傳る所多し。晚年に御留守居となれり。常に親戚に語るには、我等やがて老耄すらん。其時は早く告聞せよ。是ぞ親類の好みなるべしと諄々言けり。先朝の時、松島と云へる大年寄、權威を後房に振ひ、誰有て咎る者も無りし頃、素人狂言する者等を、女乘物に載せて大奧に入れて、劇場の眞似をさせて常の樂とせり。老女の斷ある女乘物は、御廣敷御門の出入たやすき例なりしかば、一日、松島續合の女なりと稱して、彼狂言する輩を載たる乘物二十挺、御廣敷の門を入れんとす。その日豐州當直なりしが、番の頭を呼び、松島の親類書持出べしとなり。番の頭、其書付を持出れば、開き見て、松島の從弟までの續ある女は三人のみなり。女乘物三挺は通すべし。其餘は追返すべしと苦々しく指圖したれば、十七挺の乘物御門に入ることを得ず。其日の催し空しく成しとなり。又老職田沼氏の妾の、御内證の方【津田氏。後蓮光院と號】へ御實否を候ずるとて出ること有しとき、田氏に阿附せる輩、その取扱を上通にせんとす。そのとき豐州堅く執て肯ぜず。これ等の事より内外の首尾よからぬやうになり行き、遂に同僚より内沙汰にて、老病を以て辭職すべしと云事になりしとき、豐州近親を招き、かねがね我等老耄せば早く告られよと賴置しに、左は無くして、果して老耄を以て罪を得んとす。親族の甲斐も無き事よとて、歎息したるまでにて、己を擧たることを生涯云はざりしとなり。

 

6-12 同

此豐州の近親、ある日早朝に急用ありて、豐州の宅に至り謁を乞ふ。直に奧に通るべしとの答により、寢間の次まで來れば、豐州古き白小袖を着て、出て對面す。用談畢りて其人云ふ。常に白無垢を着せられ候や。豐州の答に、夜中は火事その佗いかなる急忙の事あらんも量られず。白小袖着すれば、夫らの時に雜人に混ぜざる爲なりと云。其氣象の高きも亦かくの如くなりし。

 

■やぶちゃんの呟き

6-11

「依田豐前守」江戸中期の旗本依田政次(元禄一六(一七〇三)年~天明三(一七八三)年)。書院番依田政有の嫡男として生まれた。享保元(一七一六)年十四歳の時に第八代将軍徳川吉宗に拝謁、享保一〇(一七二五)年に小姓組に入り、小納戸・徒士頭と昇進して目付となった。そこから作事奉行を経て、能勢頼一の後任として宝暦三(一七五三)年に北町奉行に就任、明和六(一七六九)年まで務めた後、さらに大目付へと栄進し、同時に加増されて千百石の知行を得た。晩年は留守居役となり、大奥の監督に尽力したが、大奥の女中たちと反目し、天明二(一七八二)年に老齢を理由に致仕、翌年、享年八十一で逝去した。北町奉行在任中には、山県大弐・藤井直明・竹内敬持らが策動したとされる「明和事件」(幕府による尊王論者弾圧事件)の解決に手腕を振るい、彼らに死罪・獄門・遠島などの処分を下している。他にも札差と旗本の間で生じた対立が激しくなった際に仲介を務め、一方で踏み倒しや不正な取立てを行う者に対しては徹底した調査を行って厳罰に処し、不正の横行を抑止することに尽力している。以上はウィキの「依田政次」に拠ったが、講談社「日本人名大辞典」には、将軍徳川吉宗の食事を試食する膳奉行となったが、医師が「問題なし」とした献上品の鶴を「新鮮ではない」といって食膳に出さなかったところ、この話に感心した吉宗に重用されたという事蹟が載る。ちょっと不審なのであるが、彼は実際には「和泉守」であるのに、諸史料や関連記載では確かにそこら中で「豊前守」とする点である。識者の御教授を乞うものである。【2020年7月4日追記】いつもお世話になっているT氏より以下のメールを頂戴した。

   《引用開始》

依田平次郎政次については、以下で事蹟が判ります。それを見ると。

叙任時の名乗りは和泉守で、その後に豊前守に改めていることが判る。
「寛政重脩諸家譜 第二輯」(514コマ)

叙任は宝暦二(一七五二)年十二月『二十一日依田平次郞政次作事奉行となる』(右下後ろから九行目)に連動して、同十二月二十四日『作事奉行依田平次郞政次從五位下に叙し和泉守と稱す』(左上五~六行目)
「国史大系」第十四巻「惇信院殿御實紀卷十六」(316コマ)(惇信院殿は徳川家重の戒名)

次いで、翌宝暦二(一七五三)年四月『作事奉行依田平次郞政次七日町奉行とな』るとあって(右上二行)、そこでの名乗りは「和泉守」になっている。

同「国史大系」第十四巻「惇信院殿御實紀卷十六」(320コマ)

明和三年(一七六四)二月十一日に『町奉行依田豐前守政次』『三百石加秩』(加秩(かちつ)は加増に同じ)とあり(左上本文後ろから七~八行目)、この時の名乗りは『豐前守』となっている。
同「国史大系」第十五巻「浚明院殿御實紀」(107コマ)(浚明院殿は徳川家治の戒名)

以後、天明二(一七八一)年十一月十一日致仕(『十一日留守居依田豐前守政次老免し寄合となる』)まで『豐前守』となっている。

同「国史大系」第十五巻「浚明院殿御實紀」(351コマ)

という事で、町奉行在任中に名乗りを変更したようです。

   《引用終了》

『老免』は「老耄を理由に辞職することを願い出てそれを許す」の意であろうか。さても、そこで「名乗り」について調べてみたところ、「江戸東京博物館」公式サイト内の「レファレンス事例集」の『大岡越前守忠相の官職名「越前守」などにみられる「○○守」という名称はどのようにつけられたのか?(2007年)』に、

   《引用開始》

  大岡越前守忠相、吉良上野介義央、などに見られる「○○守」「○○介」のことを「受領名」「官職名」などといいます。もともとは7世紀半ば以降の律令制において成立した国司の職名でしたが、室町時代以降は名前ばかりの官位として、公家や武士の身分、栄誉の表示にすぎなくなり、明治維新まで続きました。江戸時代においては、徳川家康が慶長11年(1606)に武家の官位執奏権を手に入れ、以降は将軍が朝廷に奏請する権利を持ちました(『徳川幕府事典』他より)。
 官職名は領地とは関係のない場合が多く、「近世武家官位の叙任手続きについて」(『日本歴史』第586号)によれば「家の慣例や“好み”により選択して申請し、それを幕府が許可するという仕組み」で、「贈答儀礼として、将軍に官位御礼を行い、朝廷に官金(物)が納められ」ました。
 『近世武家官位の研究』では「幕府より諸大夫を仰せ付けられると、即日に希望の名乗りを「伺書」という形で幕府に差し出し、決定された」例を挙げ、「同姓同名とならないか、老中など然るべき役職にある者の名前に抵触しないかなどを吟味し、支障がなければ当人が伺出た名乗りをそのまま認めたのであろう」としています。伊達家や島津家が代々名乗ることの多い「陸奥」や「薩摩」、また幕府の所在地である「武蔵」などは名乗ることを憚られていたようです。

   《引用終了》

とあることから推測すると、当初の「豊前守」が同僚かそれ以上の上司或いは当時彼から見ると憚られる大名などの高位の人物の名乗りと同じであることから、政次がそうした理由で変更願いを出し、それが許されて名乗りが変わったもののように思われた。T氏に心より御礼申し上げる。

「勤役」「きんえき」。

「傳る」「つたふる」。

「告聞せよ」「つげきかせよ」。

「好み」「よしみ」。

「諄々」「じゆんじゆん」。よく分かるように丁寧に言い含め聞かせるさま。

「先朝」彼が大目付となった明和七(一七七〇)年は光格天皇の御代。「甲子夜話」は文政四(一八二一)年十一月甲子(きのえね)の夜の起稿で、次代の仁孝天皇の代である。これを将軍家の先代家治の意でとっても、齟齬はないが、普通、先の将軍を「先朝」とは言わぬだろう。

「松島」松島局(生没年未詳)は江戸幕府第十代将軍徳川家治の乳母であり、大奥の御年寄。本名は不詳。ウィキの「松島局によれば、元文二(一七三七)年、第九代将軍徳川家重の嫡男竹千代(後の家治)の乳母として召し出され、江戸城西の丸御殿へ入り、宝暦一〇(一七六〇)年に家治が第十代将軍に就任するに『伴って本丸御殿へ移り、将軍付き御年寄として大奥を取り仕切った』。『家治の将軍就任同年から』明和九(一七七二)年まで『長らく筆頭御年寄の地位に君臨し』、『絶大な権力を振るっていたが』、安永三(一七七四)年からは同じく将軍付き御年寄であった高岳が筆頭となっており、松島局は忽然と表舞台から姿を消した。生没年、墓碑なども明らかとなっていない』。『前将軍・家重の御次として仕えていたお知保の方を老中・田沼意次と共謀して家治の側室に推薦したと言われている。その後、大奥の女中であったお品の方を自分の養女にし、同様に側室に推薦したとされる。このお品は、家治の御台所』五十宮倫子(いそのみやともこ)『が京都から江戸へ下向する際に随行した女中であり、松島局・田沼派の権力拡大を危惧した御台所付き上臈御年寄・広橋が、その威光をはばかり、あえて於品を松島局の養女としてから側室に差し出したという説もある』とある。

「後房」大奥。

「誰有て」「たれありて」。

「咎る」「とがむる」。

「無りし」「なかり」。

「樂」「たのしみ」

「斷ある」「ことわりある」。事前に申し出て許可を得てある。

「御廣敷御門」「おひろしきごもん」。平川門から入った位置にあった大奥と外部にある唯一の入り口で、常時、厳しい警備が行われていた。

「續合」「つづきあひ」。直系の近親親族。

「載たる」「のせたる」。

「番の頭」「ばんのかしら」。

「親類書」「しんるいがき」。近親親族であることを記した証明書。

「持出べし」「もちいづべし」。

「田沼」田沼意次。

「妾」「しやう」。側室。

「御内證の方【津田氏。後蓮光院と號】」「號」は「ごうす」。蓮光院(元文弐(一七三七)年~寛政三(一七九一)年)は将軍徳川家治の側室。徳川家基の生母。俗名は知保、智保。父は津田宇右衛門信成。養父は伊奈忠宥。寛延二(一七四九)年より、大御所徳川家重の御次として仕え、宝暦一一(一七六一)年に家治付の中﨟となった。宝暦一二(一七六二)年に長男竹千代(後の家基)を出産するが、家治の正室倫子女王に子がいなかったため、大奥の松島局の勧めもあり、倫子の養子として育てられた。しかし、明和八(一七七一)年に倫子が死去して以降は、お知保の方は御部屋様(男子を生んだ正式な側室扱い)となり、家基とともに暮らしたが、その家基も安永八(一七七九)年に十八歳の若さで急死するという不孝に見舞われた。享年五十五で亡くなり、文政一一(一八二八)年には従三位を追贈されているが、これは御台所及び将軍生母以外の大奥の女性が叙位された珍しい例である(以上はウィキの「蓮光院」に拠った)。

「御實否を候ずる」何らかの仕儀について受諾を得ることか。

「出る」「いづる」。不審。大奥へ入るの意であろうが?

「田氏」田沼意次。

「阿附」「あふ」。相手の機嫌をとり、気に入られようとして諂(へつら)うこと。

「上通」下の者の意思や事情が上の者に通ずるようにすること。ここは大目付より下位の役職の者らが、大目付以上の上級職が許諾するように阿(おもね)って上申することであろう。

「執て肯ぜず」「とりてがへんぜず」。

「内沙汰」内密の私的な慫慂。或いは「老耄を以て罪を得んとす」とまで言っているところを見ると、田沼や将軍家からのお叱りや詮議・処罰があるやも知れぬというようなことを匂わせる、半ば脅迫染みた耳打ちなどもあったのかも知れぬ。

「己を擧たることを生涯云はざりしとなり」意味不明。識者の御教授を乞う。職務に於いて自身が正しいと考えることを果敢に実行したことを一度も表明或いは自慢しなかった、ということか。「となり」とあるから静山の誉め言葉ではなく、政次の周辺の心ある人々のそれであり、静山もそれに賛同したのであろう。

6-12

「その佗」「そのた」。「その他」に同じい。

「氣象」「氣性」に同じい。

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