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2020/07/11

梅崎春生 砂時計 7

 

     7

 

 午後便の午後配達手が赤い自転車をひいて、この古ぼけた一郭に入ってくるのは、大体午後三時前後であった。日曜日だけは郵便物の量が滅るから、それより一時間ばかり早目になるが、他の曜日はおおむねその時刻と見て差支えない。短靴、皮ゲートルで足がためした若い配達手は、いつもS土地建物会社の大きな壁時計を見て、三時を回っておれば心がせくし、まだ三時前だとゆっくりした気分になるのだ。今日配達手がこの古風な建物に足を踏み入れたのは、三時にまだ七八分はあったが、彼はいつもと違ってほっとした表情を見せなかった。うすにごった空から、今にも雨が落ちて来そうなので、ゆっくりとしてはおれないのである。ひとくくりの郵便物を階下の事務所に投げこむと、すぐに右手の狭い階段を身軽に二階までかけ上った。白川社会研究所宛ての郵便物は、うすっぺらな封書が一通きりであった。配達手はそれを顔のまんまるい女事務員に手渡し、ころがり落ちるようにして階段をかけ降りた。赤い自転車にまたがった彼の肩をかすめて、一羽のつばめが高速で飛翔(ひしょう)した。

 白川研究所須貝主任にかるい脳貧血を起させたのは、まさしく熊井嬢が受取ったその一通の封書であった。それまで須貝は相変らずだらしなく両脚を卓上に乗せ、気楽そうに口笛で『アロハオエ』をふいていたのだが、封を切って中からぺらぺらの美濃紙(みのがみ)を引っぱり出し、さらさらと一読したとたんに頭からさっと血が引いて、眼界がまっくらになったらしい。脚は卓上に乗せたまま、身体は回転椅子からすべり落ちて、尻がどしんと床にぶっつかった。須貝はその衝撃のために笛のような悲鳴を上げた。

 その物音にふりかえった熊井と栗山佐介は、事態を察してたちまち敏活に動き始めた。佐介は階段をかけ降りて車道をつっ切り、向いの薬屋からアンモニアと気付薬を買ってきたし、熊井は水に濡らしたハンカチで、ふたたび椅子にずり上げられた須貝の額や頰をかいがいしく冷やしてやった。アンモニアのにおいが強烈すぎたのか、須貝は顔をひどくしかめ、そしてやっと正気に戻った。

「ウ、ウィスキーをくれ」

 須貝は弱々しく呟(つぶや)き、自分の卓の引出しを指差した。そして佐介が注いでやった一杯のポケットウィスキーのおかげで、どうにか血が頭に戻ったらしく、あおざめた頰もしだいに元の色に復してきた。しかし椅子から手荒くずり落ちたために、櫛目の入った頭髪はくしゃくしゃに乱れ、ネクタイは惨めにゆがみ、ズボンも埃だらけになって、身だしなみも何もめちゃくちゃになってしまった。須貝は正気に戻った瞬間にもうそれを気にして、ズボンの埃をはたいたり、ネクタイに手をやったり、まごまごと櫛を探したりした。ネクタイの修正は熊井が手を貸してやった。

「今おれの鼻の先に持ってきたのは、一体ありゃ何だい?」

床にぶっつけた尻の個所を揉みほぐしながら、須貝は不機嫌に口をひらいた。皆の前で醜態を見せた自分に対して、あきらかに須貝は怒っていた。

「何だい。アンモニアか。ひでえものを嗅がせやがる」

 佐介はその須貝に横顔を向けて、卓上に拡がった美濃紙の文言に視線をおとしていた。それは同じくここの所員の鴨志田吾郎の辞表であった。字画が一糸乱れず整然としているのに、どこか品がないのは、代書屋にでも代筆させたものであろう。

 

  辞 表
 私こと鴨志田吾郎は今般一身上の都合により貴所を
 辞任致したく右お届けします。
  月 日          鴨志田 吾郎 ㊞
 白川社会研究所長殿

 

 このそっけない文章のあとの署名の下に押してある印は、正規のものでなく、拇印(ぼいん)であった。しかも使用されたのは印肉でなく、血液のようである。指紋をくっきりと浮き上らせたその人血は、すでにひからびて紫色になっていた。佐介は須貝の顔を見て、やや軽蔑的に言った。

「血判ですね」

 辞表が拡げ放しになっていることに、須貝は今やっと気付いたらしく、あわててそれを取り込もうとしたが、すでに佐介に読まれてしまった後だったから、あきらめたように手をだらりと下に垂らした。熊井もその辞表に眼をやった。ちょっと気まずいような沈黙がそこにきた。

「ふん」沈黙に耐え切れなくなったらしく、須貝は鼻を鳴らした。「君たちはおれがこの辞表を見て、それで気が遠くなったと思ってるんだろう。飛んでもない話だ。おれは今日はまったく寝不足なんだ。昨夜麻雀(マージャン)で徹夜したもんだから、その疲れが今一挙に出て来たんだ。何だい、こんな悪趣味な辞表!」

「まあ、血判なのね」熊井は顔をしかめてそこに近づけた。「なんて古風な。まるで赤穂浪土みたいだわ」

「うん。あいつは少年航空兵上りの、特攻隊くずれなんだ」須貝はすこし元気をとり戻して、手を伸ばしてウィスキーの小瓶をつかみ、ラッパ飲みに一口ごくんと飲んだ。

「特攻隊ってやつは、血判が大好きなんだ。なんとか一家などと称して、まったくやくざ気取りだ。栗山君。消印をちょっと調べてくれ。大阪になっているか」

 佐介は封筒をとり上げ、眼を近づけて見た。受付局のところはスタンプインキがずれていて、うまく判読出来なかった。佐介は窓辺に行き、眼を大きくして消印をにらんだ。

「やはりずれていて読めませんね。それに日付けのところも」

「あいつ、大阪に出張したっきり戻って来ないと思ったら」須貝は激しく舌打ちをした。「とんでもないアプレ野郎だ。辞表一つ出せば片がつくと思ってやがる。ここはただの役所や会社とは違うんだ。そんな勝手な真似はさせないぞ。草の根を分けても探し出して、徹応的にしごき上げてやる。あいつ、きっと大阪でまとまった金を摑(つか)んだもんだから、それでおれたちと縁を切る気になったんだな。きっとそうだ」

「大阪にはどんな用件で出張したんですか」

「そ、それは君と関係ない!」触るとサッと引込むイソギンチャクのように、この善良にして狡猾な恐喝主任はすばやく殼に立てこもった。「そういうことはお互い同士といえども、うかうかと口外出来ないのだ。壁に耳あり、障子に目あり」

 「人に口あり、魚にエラあり」熊井がそれに続けてふざけた口をきいた。辞表を見て失神したこのだらしない主任に対して、彼女ははっきりと軽蔑に似たものを感じたらしい。それが露骨に彼女の口調にあらわれていた。須貝はむっとして何か言おうとしたが、結局何も言わなかった。のっぺりした顔が平家蟹(へいけがに)みたいな惨めな表情になり、熊井をにらみつけた。

「おかしいな」窓のそばで封筒をかざしていた佐介が目をはさんだ。「この郵便の受付け時刻、どうも『前06』と読めるんだが、午前の零時から六時の間とは、変な時間に出したもんだな」

「そりゃ大金を握ったもんだから、酒を一晩飲み明かして、そして五時頃郵便局に行ったんだろう。きっと駅の郵便局だな。あいつの故郷はたしか九州だったから、ふん、九州にトンズラしやがったに違いない。どれ、ちょっとその封筒を寄越(よこ)しなよ」

 須貝は自分の整然たる推理にちょっといい気持になったらしく、鼻翼をふくらまして封筒を受取った。そして仔細らしく裏表をしらべ、においを嗅いでみたりした揚句、カチンとライターをつけ、灰皿の上で無造作に燃してしまった。あとの二人は黙って冷然とその須貝の動作を眺めていた。

「ま、これでよしと」須貝主任は先ほどからの気持の動揺をかくそうとして、不注意にもつぶやいた。「なんとこの事件を所長に報告したものかな。くたばりかけているということだから、いっそ頰かぶりの握りつぶしと行くか。もうこの研究所も終りだな。そろそろこちらも逃げ出しの準備と行くか」

「鴨志田君は逆に敵の術中におちて人質となり、そしてこの手紙を書くことを強制させられた、という仮説も成立するでしょうねえ」奥歯で嚙みしめるように佐介はゆっくりと発音した。須貝は呟きのぶつぶつをやめて、ぎょっとした顔を佐介に向けた。「第一にこの辞表は鴨志田君の字じゃない。代書屋か何かの筆跡でしょう。それがどうもおかしい」

「そうよ。血判なんて古風過ぎると思ったわ。あたし」熊井は探偵小説の愛好者らしく、やや飛躍した推理を持ち出した。「きっとカモさんは敵につかまって、生駒(いこま)山中かどこかの一軒家に監禁されたのよ。そしてそこでさんざん打たれたり叩かれたり、拷問(ごうもん)されたりして、その時出た血でむりやりに拇印を押さされたのよ。それに違いないわ。あたし、そんなのを、一度読んだことがあるんだもの」

「おい、おい。見て来たようなことを言うなよ」須貝は本当に脅(おび)えたふうな声を出した。須貝自身もそういう想像を持っていて、それを熊井にはっきり口に出されたものだから、それでなおのこと脅えたらしい。須貝はそしてあわててウィスキーを掴み、またごくりと一口飲みこんだ。「あまり僕をおどさないで呉れ。僕のデリケートな神経を、これ以上刺戟してくれるなよ。うん。そう言えばこれはカモの字じゃないようだな。あいつにこんな字が書けるわけがない。封筒の方の字はどうだい。おい。これの封筒はどこにやった?」

「封筒は今あなたが燃しました」

「燃した?」須貝は眼をうろうろさせて、やっと灰皿の燃えがらを見つけ、絶望的に拳固をかためて自分の頭をしたたかなぐりつけた。

「ああ、何と言うことだ。ずらかる奴がいるかと思うと、何かたくらんでいる奴もいる。変な電報が来るし、鍵型はとられるし、てんでわやくちゃだ。おい。ハム嬢。暦で今日という日を調べてくれ。きっと仏滅か何かに違いない」

 熊井は壁にぶら下げてある高島暦をはずして、ぱらぱらと頁をめくった。この古風な暦本は、その日の仕事の成否だという方角の是非を知るために、この研究所では大いに活用されていた。恐喝という古風な職業にふさわしい備品であった。

「大安、と出ているわ」熊井は感激のない口調で言って、ばたりと頁を閉じた。

「大安だと?」須貝は半白の頭髪をかきむしった。「暦までが僕を莫迦(ばか)にする。人がこんなに困っているのに、大安とはなにごとだ。よし、そんならこちらにも覚悟がある。今日は仕事はやめだ。僕は家へ戻る。戻って大安楽に酒でも飲むぞ。君たちももう帰ってよろしい。いや、栗山君はあのL十三号の仕事をやってくれ。判ってるだろうな。相手は相当のしたたか者だよ」

「判っています」

「手抜かりなくやってくれよ」須貝はそそくさと立ち上り、ふと気がついて、上衣の内ポケットのA金庫の鍵をたしかめた。そして熊井に顔を向けて猫撫で声を出した。

「ねえハムさん。気がむしゃくしゃするから、憂さばらしに映画でも見に行かないか。映画のあとで晩飯をおごってやるよ。うなぎの安い店を見つけたから」

「あたし、も少し居残るわ」

「残らなくてもいいんだよ」サイプリーツのスカートにおおわれた熊井の豊かな腰に、好色的な視線を這わせながら、須貝は一段と声をやさしくした。「今いい探偵映画をやってるんだよ。とてもスリルがあって面白いそうだ。『朝日』の〈純〉がそう賞めていたぜ。気張ってロマンスシートと行こう」

「おことわりするわ」熊井は意識的に佐介の方をちらと見た。「だって須貝さんは、映画の方はろくに見ないで、あたしの手を握ったり足にさわったり、そんなことばかりするんだもの。いやになっちゃうわ」

 須貝ののっぺりした顔が見る見るあかくなった。そして乱暴に卓上の鞄を引き寄せた。そのとたんに鞄が赤い卓上ピアノにふれて、白い鍵盤が人をからかうようにポロロンと鳴りひびいた。それでまた須貝は腹立ちをそそられたらしかった。

「はっきり言って置くけれども、この卓上ピアノの代金は研究所費から出すわけには行かないよ」須貝は鞄を小脇にかかえながら、うってかわった底意地のわるい声を出した。「第一にこんな卓上ピアノを、当研究所は必要としていない。この研究所に卓上ピアノとは笑わせやがる。めくらさんの家がテレビを買うようなもんだ。これは買った当人に支弁して貰うことにしよう。ざまあみろだ」

「なにさ、この帝銀!」熊井は小さな声でののしって肩を嚙んだ。

「でも」と佐介はたすけ舟を出した。「こんな仕事に卓上ピアノが不必要だとは、一概には言えないでしょう。仕事がうまく行かなくてイライラしてる時などに、このピアノで心を慰めたり――」

「僕にあてこすってるのか」須貝はせせら笑った。「卓上ピアノ如きでイライラがなおるなら、誰も苦労はしねえや。余計な口は出さずに、L十三号の手筈でもととのえて置け。今週中に第一回の報告をまとめて出すんだよ。じゃあ僕は帰る」

 須貝は鞄をかかえていない方の手を伸ばして、わざと荒荒しく鍵盤をひっかき回した。高低さまざまの音が出鱈目(でたらめ)に入り交って、湿った空気の中をころがり回った。須貝はせいせいしたという顔付きで、背筋をまっすぐに立て、気取った歩き方で部屋を出て行った。階段を降りて行くにぶい足音がした。

「あ。雨が降ってきたわ」

 どすぐろく濁った空が、もう持ち切れないように、ぽつりぽつりと雨をおとし始めた。故(ゆえ)もないけだるさを感じながら、佐介は窓の方へ足を動かした。熊井は主任卓に腰をおろし、膝を組んだままじっとしていた。佐介は窓から街を見おろしながら口をきいた。

「その卓上ピアノ、僕が買って上げようか」

「無理しないでもいいわ」さっきの怒りのためにまだ熊井の声はこわばっていた。「主任がああいうことを言うんなら、デパートに戻して来てもいいのよ。デパートだから受取ってくれるわ」

「いや、僕もひとつ欲しいと思っていたんだよ。いや、その言い方は間違っている。これを見たとたんにこれが欲しくなったんだ。さっき主任から歩合金の二千円を貰ったから、それで払うよ」

「家に持って帰るの?」好奇心をそそられたように熊井が言った。「そして自分の部屋で弾くの?」

「いや、そうじゃない。そんなへんてこな趣味は僕にない」

 おちて来る雨の粒がしだいに多くなってきた。この建物を出て十間[やぶちゃん注:約十八メートル。]ほど歩いた須貝がたまりかねたようにレインコートを頭からかぶり、あばれ馬のようにかけ出して行く姿が眺められた。雨が降って来たからとて、とことこ戻ってくるのは、彼の見識が許さなかったのであろう。頰にうす笑いをたたえて佐介はそれを眺めていた。熊井がふたたび訊ねた。

「じゃあどうするの?」

「贈り物にするんだよ」

「贈り物?」熊井は膝を組みかえて、食い入るような視線を佐介の横顔にそそいだ。佐介はまたわらっていた。「あんた、なにを笑ってるのよ」

 笑いを消して佐介はふりむいた。

「なにも笑っていないよ」

「笑ってた。あたしのことを笑ってたんでしょう」

「笑ってなんかいない。光線の具合でそう見えたんだろう」

「贈り物って、相手は女のひと?」と熊井は急に視線をするどくさせた。「女のひとでしょ」

「女じゃないよ」佐介は断言した。「そんなじゃらじゃらした相手じゃない。もっと気の毒な人々だよ。それに贈ろうと思うんだ」

「へえ。どんな心境で?」

「同情からだよ」

 佐介はそして放心したような眼を、窓の外に向けた。雨はますますはげしくなり、家並や街路は茫(ぼう)とけむっている。皆それぞれ雨宿りしたと見え、街路にはほとんど人影は見えない。窓の中にも細かい雨滴がさあっとしぶき入ってきた。そして佐介は突然熊井の方に向き直った。

「今、僕は、何と言った?」

 熊井はその佐介にいぶかしげに答えた。

「同情、って言ったわよ。なぜ?」

[やぶちゃん注:冒頭、日曜日に郵便が配達されているとあるが、依然は日曜日でも普通郵便を配達していた。しかし、労働組合の要望や休日手当のコスト削減などの関係から、日曜日の普通郵便の配達は廃止された。但し、書留・速達・配達時間帯指定郵便・配達日指定郵便代金引換・電子郵便(レタックス)・「ゆうパック」などは日曜でも配達される。あるネットの記載では日曜の普通郵便配達は昭和四五(一九七〇)年頃に廃止になったのではないかという記載があった。

 なお、ここいらで言っておくと、梅崎春生は総てではないものの、志賀直哉の「赤螺蠣太」の如く(主要な登場人物に海産・水産生物の名前が使用されている)、登場人物の名前に明らかに意識的に動植物を用いていることが判る。須山佐島・井・玉虫志田・「ヘビ」・山・などである。水に関係あるものも有意にある(山・白滝川)。一見、無関係に見える「黒須」もこの姓は地名由来で、「黒洲」や「畔」由来であるから、水に関係があるのである。さらに、水産動物を用いた固有名詞や比喩も多いように思われる。「わにざめ鰐鮫・「お歳暮のかなにかを連想させた」・「のフンドシにそっくり」・「触るとサッと引込むイソギンチャクのように」・「エラあり」・「平家蟹みたいな」などである。比喩は梅崎春生自身の好み(傾向)と言えば済まされるが、人名のそれは明らかに意図的である。海産生物フリークの私には非常に気になったので記しておく。

 また、本章の佐介と熊井のエンディング・パートなどはすこぶる映像的・映画的である。シナリオというより、ここを映画のカメラマンなら、こう撮るだろうといった書き振りがいかにも素敵だと思う。

「アロハオエ」YouTubeのИлья Агутин氏の「【和訳付き】アロハ・オエ(ハワイ民謡)"Aloha Oe" - カタカナ付き」で視聴出来る。ハワイ語で最も日常的な挨拶語として「こんにちは」・「さようなら」の意で、他にも「おはよう」・「おやすみ」・「ありがとう」・「愛しています」など多様な意を持つらしい。ここは鴨志田の辞表に引っ掛けた梅崎春生の別れの挨拶の皮肉の洒落であろう。

「アプレ野郎」アプレ・ゲール(フランス語:après-guerre)。「戦後派」の意。ウィキの「アプレゲール」によれば、本来は、『芸術・文学など文化面における新傾向を指す名称として、第一次世界大戦後のフランスやアメリカ合衆国等で用いられ、第二次世界大戦後の日本でも用いられた』が、『戦前の価値観・権威が完全に崩壊した時期であり』、『既存の道徳観を欠いた無軌道な若者による犯罪が頻発し、彼らが起こした犯罪は「アプレゲール犯罪」と呼ばれた。また徒党を組んで愚連隊を作り、治安を悪化させた。このような暗黒面も含めて、「アプレ」と呼ばれるようになった』とある通り、一部の若者たちの反道徳的傾向に対する批判的・軽蔑的呼称として専ら用いられた。]

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