金玉ねぢぶくさ卷之二 靈鬼(れいき)人を喰らふ /金玉ねぢぶくさ卷之二~了
靈鬼(れいき)人を喰らふ
高野山は三國ぶさうのめい山にて、山の像(かたち)八葉(よう)に闢(ひら)け、八つの峯、峙(そばだ)ち、寺は都卒(とそつ)の内院を表(へう)して、四十九院を、うつせり。大師、慈尊(じそん)の出世(しゆつ〔せい〕)を待〔まち〕て、奧院(おくのいん)に入場したまひ、佛法不退轉の靈地なり。僧侶三派(は)有〔あり〕て、「學侶」・「行人(げうにん)」・「聖(ひじり)」となづけ、大衆(〔だい〕しゆ)三段に分〔わか〕ち、上通・中通・下通とし、上に三つの靈峯あり。ようりう山(さん)・魔尼(まに)山・天岳(てんぢく)山といふ。是九品(ほん)の淨刹(じやうせつ)を學ぶ。世の淸悟發明の道人、皆、淨地(ぜう〔ち〕)を求めて此山に住山(ぢうせん)す。
[やぶちゃん注:「ぶさう」「無双」。
「めい山」「名山」。
「八葉(よう)」ルビはママ。歴史的仮名遣は「えふ」が正しい。
「八つの峯」今来峰(いまきみね)・宝珠峰(ほうしゅみね)・鉢伏山(はちぶせやま)・弁天岳(べんてんだけ)・姑射山(こやさん)・転軸山(てんじくさん)・楊柳山(ようりゅうさん)・摩尼山(まにさん)と呼ばれる八つの峰(最後の三つを高野三山と呼ぶ)。標高は孰れも千メートル前後。
「都卒」兜卒(率)天。のこと。欲界の六欲天の第四天で、須彌山の頂上二十四万由旬の高所にある天で、歓楽に満たされており、天寿四千歳で、この天の一昼夜は人界の四百年に当たるという。現在は彌勒菩薩が説法をして修行している場所とされる。
「内院」兜率天には七宝の宮殿があって、無量の諸天が住しているが、これには内外の二院があり、外院は天衆の欲楽処にして、内院は弥勒菩薩の修行道場とする。弥勒は釈迦が亡くなって五十六億七千万年後、初めて如来となって総ての衆生を救いに来る(これが本文に出る「出世」)とされる。
「大師」弘法大師空海。
「慈尊」弥勒菩薩の別名。
「奧院」ここに現在も空海は生きて弥勒の下生(げしょう)を待っているとされる。
「學侶」以下、三つの集団を「高野三方(こうやさんかた)」と呼ぶ。平安時代から江戸時代まで高野山を構成した、職能の異なる三派の総称である。学侶方は密教に関する学問の研究及び祈禱を行った集団で代表寺院は青巌寺であった。
「行人(げうにん)」ルビはママ。「ぎやうにん」が正しい。行人方(ぎょうにんかた)は寺院の管理や法会に於ける進行・運営といった実務を行った集団で、僧兵としての役割も重要な職掌で、実行行動の中核を担った。代表寺院は興山寺であった。
「聖(ひじり)」聖方(ひじりかた)は全国を行脚して高野山に対する信仰・勧進を行った集団で、同時に高野山への納骨や納髪・納爪を勧めた。彼らの全国に亙った勧進行脚が各地に伝わる空海による治水・開湯・開山の伝説を生む重要なファクターとなった。代表寺院は大徳院であった(以上の三項は主にウィキの「高野三方」に拠った)。
「大衆」大寺の僧侶集団を大衆(だいしゅ)と呼び、その成員の一人一人を「大衆の徒」という意味で「衆徒」と呼ぶ。
「上通・中通・下通」「三段」に分〔わか〕ち、九品九生(くぼんくじょう)の上・中・下品に合わせたもので、段といっても階級区別というわけではないように思われる。浄土に行くにしてもそれぞれの様態に諸因果によって区別があるようなもので、実際には恐らく修行の程度や修法の理解・受得のレベルで分けられたものであろう(無論、それは結局は、差別的階級化を引き起こすものとは思うが)。森本一彦氏の論文「前近代における僧侶の移動――金剛峯寺諸院家析負輯を中心に――」(『比較家族史研究』・第三十一号・二〇〇七年三月発行・PDF)の「3 高野山の人口」の中に、『行人方について、上通寺院には衆監が6名、集議24名、中下通寺院は中臈250名がいると記されているが、これは各寺院の住職クラスの上層僧侶であると考えられる。それ以外に、大衆500名、非衆僧50名、児小姓侍奴僕300名ほどがいると記されており、行人方だけで1,130名はいたことになる。行人方寺院以外の寺院(学侶方寺院、聖方寺院など)が551か寺あるので、少なくとも2,000名はいたのではないかと考えられる。それに行人方にかかわる商家が300軒あったとする。商家1軒に5名とすれば、商人1,500名が住んでいたと考えられる。以上のように、寺院関係者が3,000名と商人が1,500名ほどであることから、天保年間には高野山全体で4,500名〜5,000名は居住していたのではないかと考えられる』(以上のデータは天保一〇(一八三九)年の「紀伊續風土記」(同書は紀州藩が文化三(一八〇六)年に、藩士の儒学者仁井田好古(にいだこうこ)を総裁として編纂させた紀伊国地誌。編纂開始から三十三年後の天保一〇(一八三九)年)完成したものである)の「高野山之部」の「總分方卷之二 總論」に拠るもの)とある。総人口もさることながら、『中下通寺院』併称しているのは、画然たる階級分化がないことを意味しているように思われる。
「ようりう山(さん)」先に注した楊柳山。
「魔尼(まに)山」「魔」はママ。同じく摩尼山。
「天岳(てんぢく)山」「岳」はママ。国書刊行会本も不審に思ったらしく、ルビの下にママ注記を附してある。同じく転軸山。当初、漫然と「天竺山」の誤りかなどと勝手に思っていたが、この「転軸」の方が密教っぽくて腑に落ちた。]
中比、學侶下通の寺僧(じさう)、南藏院(なんざういん)の深覺房(じんかく〔ばう〕)とかや申せしは、さのみ、螢雪の功をつみたる學者にもあらねど、たゞしぜんと心法〔しんぱふ〕おさまり、人我(〔じん〕が)を離れたる道人成りしが、ある時、くま野へ參詣のこゝろざしおこり、もとより我寺はひん地(ち)なれば、一僕(〔いち〕ぼく)に留守を謂付置(いひ〔つけ〕おい)て、三衣〔さんえ〕ぶくろに道のもうけをおさめ、たゞ一人、寺を立出〔たちいで〕つゝ、熊埜の方へおもむかれしに、其日は、はやく宿を求めて、一夜を民屋のかりねに明〔あか〕し、翌日は、こゝろしづかに日出て、宿を立〔たち〕、とまりさだめず、急ぐべき道にもあらねば、たゞ足にまかせて行〔ゆき〕侍りしに、此〔この〕近年こそ、久しく天下泰平にして、野の末、山の奧まで、人の行かよはぬ所もなく、おのづから、道もひらけ、いつとなく、人家立〔たち〕つゞきて、山路にふみ迷(まよ)ふべきちまたもなく、狐狼・惡獸のおそれもあらねど、そのころは、いまだ兵亂(へうらん)ののち、久しからずして、端々〔はしばし〕には、盜賊、はいくわいし、殊に高野より、くま野への道は、其間〔そのあひだ〕、山坂のみにして、田畠(〔た〕はた)すくなし。農民の栖(すみか)もまれに、徃來(わうらい)なければ、人をとゞむるはたごやも、なし。日、既に山の端(は)に入〔いり〕ぬれど、行先に人家も見へず、過來(〔すぎ〕こ)し跡の村里は、遠し。
[やぶちゃん注:国書刊行会「江戸文庫」の挿絵(一幅独立)をトリミングした。後も同じである。奥に本文には実見されない獣(恐らくは狼)が描かれてある。]
「いかゞはせん。」
と、あんじ煩(わづら)ひしが、
「よしや。沙門の身は、かゝる所に、こゝろをとゞめぬこそ、修行なれ。」
とて、道の邊〔べ〕の木の根をまくらとし、三衣ぶくろをおろして、暫く、まどみしが、山あいのあらし、はげしく身にしみ、こゝろぼそく覺へて、ねられぬまゝに、
「かゝる山中には、たけき獸(けだもの)ありて、若(もし)こよひ、我を喰(くら)ひなば、ふせぐべきたよりなふして、終(つい)にくひころされぬべし。今少〔いますこし〕、先に、やどをもとむべき人家もや、あらんか。」
と、又、おきて、袋を首にかけ、たどりつゝ行〔ゆけ〕ば、折ふし、九月末つかた、月なき夜の足もとは、くらし、道は、せまふして、巖(いわほ)そば立〔だち〕、雨になだれて、木の根あらはれ、ゆんでの方は峨々たる峯、そびへ、めては數(す)千丈、ふか谷底〔だにぞこ〕と見へて、流るゝ水の音、かすかにきこへたり。
[やぶちゃん注:「中頃」現在時制よりそう遠くない昔を指す時に用いる語である。
「南藏院」ブロンズ製の世界最大級の寝釈迦「釈迦涅槃像」で知られる、現在は高野山別格総本山として福岡県糟屋郡篠栗町(ささぐりまち)大字篠栗にある篠栗四国総本寺南蔵院(グーグル・マップ・データ)は、元は高野山にあった。天保六(一八三五)年に開かれた篠栗四国霊場が、明治時代の廃仏毀釈の煽りを受けて、霊場廃止命令が下ったが、地元の信者らが存続の陳情や嘆願を三十年に亙って続けた結果、明治三二(一八九九)年になって高野山の千手谷(現在の「千手院谷」の付近か。グーグル・マップ・データ)にあった南蔵院を招致することが許され、総ての旧札所を南蔵院の境内地とすることで、霊場の存続が認められたのであった。
「深覺房」不詳。この坊名は人気があり、平安中期の僧で歌人の藤原師輔の子や、安土桃山時代の真言僧木食応其(もくじきおうご)らが名乗っている。
「しぜんと」自発の意。
「心法」心や精神を修練する法。
「おさまり」ママ。習得し。
「人我」僧として捨てるべき凡夫に我欲。
「ひん地」「品地」か。下通の僧として与えられた品格を持った境内地の謂いか。
「三衣ぶくろ」三衣(既出既注)や、タブの途中の身の回りの必需品(「道のもうけ」(表記はママ))を入れた旅行用の頭陀袋(ずだぶくろ)。最初の挿絵の横になった深覚の背後に見えるのがそれで、頭を載せているのは坐禅などに用いる座蒲(ざぶ)か。但し、彼は真言宗なので(座蒲は主に禅宗で用いる)、或いは頭陀袋から三衣を包んだ包みを出して枕替わりにしていたものかも知れない。
「そのころは、いまだ兵亂(へうらん)ののち、久しからずして」時制は江戸のごく初期という設定か。
「はいくわい」「徘徊」。
「見へず」ママ。
「こゝろをとゞめぬ」気にしない。
「まどみしが」ママ。「江戸文庫」版も同じ。「まどろみしが」の脱字であろう。
、山あいのあらしはげしく身にしみ、こゝろぼそく覺へて、ねられぬまゝに、
「なふして」ママ。「なくして」。
「終(つい)に」ルビはママ。
「せまふして」ママ。「狹く(→う)して」。
「ゆんで」「弓手」。左手。
「めて」「矢手・馬手」。右手。
「ふか谷底」で一語「深谷底」ととった。
「きこへ」ママ。]
やうやう、二時〔ふたとき〕ばかりして、峠と覺しき所へ出〔いで〕たれば、矢手(め〔て〕)のかた、四丁斗〔ばかり〕が程に、かすかにとぼし火の影、見ゆ。
『さればこそ、人家はあるなれ。』
と、嬉(うれ)しくおもひ、彼〔かの〕火を目當(〔め〕あて)に、谷へおり、峯にのぼり、道もなき、茨〔いばら〕・さゝ原を分(わけ)て、彼〔かの〕所に至り見れば、住(すみ)あらしたる一つ家(や)の、軒〔のき〕かたぶき、扉(とぼそ)やぶれて、とぼし火の影さへもるにてぞ有ける。
深覺、戶をたゝきて、
「くま野道者(〔だう〕じや)、日に行〔ゆき〕くれ、宿を求(もとめ)かねて、火の影を目當にたづね來れり。一夜をあかさせて給はり候へかし。」
と申せば、内より、あるじ、不審(しん)を立〔たて〕、
「此山中に、人間のたづね來〔きた〕るべき道、なし。殊に、月なき夜の暗(くら)き闇路(やみぢ)をしのぎ來たるものは、さだめて、鬼神變化(きじんへんげ)のたぐいにてあるらん。然らば、目に物、見せん。」
とて、鐵炮(てつぱう)に、二つ、玉こみ、火繩さしはさみ、火ぶたを切〔きつ〕て待〔まち〕かけたり。
深覺(じんかく)、
「まつたく、さやうの者にてなし。高野ぼうしの、くま野へさんけいすとて、日に行〔ゆき〕くれ、道を失ひ、燈(とぼしび)の影を便〔たより〕に、是〔これ〕まで、まよひ來れる。」
次第、ありのまゝに語れば、あるじ、
「さては。さやうにましますか。さぞ、つかれおはすらん、見ぐるしながら、御宿まいらせ度〔たく〕侍れども、こよひは我家に亡者あつて、くま野道者は火の踏合(ふみあい)憚(はゞかり)あり、まへなる古家(こや)に休(やす)みおはしませ。」
とて、則(すなはち)、戶をあけ、莚(むしろ)・こも、取出〔とりいだ〕し、
「是成〔これなり〕とも、夜風をふせぐ便〔たより〕にしたまへ。」
とて、あたへければ、深覺、申されけるは、
「かゝる折ふし、出家の此所へたづね來〔きた〕るは、さだめて過世(すぐ〔せ〕)の結緣(けちゑん)にてぞおはすらん。權現(ごんげん)へ、火の不淨は、くるしからず。一夜〔ひとよ〕の宿をかし、もうじやへのつい善にしたまへ。」
と申せば、あるじ、悦び、内へ、いざなひ入〔いれ〕て、
「誠(まこと)に、今宵はふしぎのちぐうなり。我身は此山中に住〔すみ〕、不斷、鹿(しゝ)・さるを取〔とり〕て、世を渡るわざとする身さへ、かやうのくらき夜は、山路を遠慮し侍りぬ。殊に、あないもしろしめされぬ御僧(〔おん〕そう)の、道にまよひて來り給ふは、さりぬべき、えにしこそ。」
とて、さまざま、もてなし、さて其うへにて語りけるは、
「今宵のもうじやは、我ために妻(つま)にて侍りしもの。古歲(こぞ)の初秋(はつ〔あき〕)のころより、こゝち、わづらひ、初(はじめ)の程は、さのみ、打ふしてなやむ程にも侍らざりしが、日數ふるにしたがひ、おもり行〔ゆき〕けれども、かゝる深山(みやま)の鄙(ひな)の住居(すまひ)、たのむべきいしやとてもなく、あたゆべき藥もなければ、たゞ其まゝに打捨(〔うち〕すて)おきしより、次第に食(しよく)もくらはず、形(かた)ち、おとろへて、過〔すぎ〕し夏のころより、殊外〔ことのほか〕、病ひ、おもり、今はの極(きわ)とて親子兄弟よび集めし事、たびだびに及べり。此二、三日いぜんにも、正氣(〔しやう〕き)とり失ひ、今を限りと見へしかば、一門・親族、集りて、既に末期(まつご)の水まであたへしかども、定業(でうごう)ならざるにや、又、性根(しやうね)つき、此ごろは、結句、食もすゝみ、心地も凉しく見へしかば、親るいもあんどして、きのふ、みなみな、返りぬ。
しかるに、今宵、終に、しやばの緣つきて、かく相果(あいはて)申〔まうす〕うへは歎くべきにあらず。
然〔しかれ〕ども、此方〔こなた〕より、しらせざる内は、親類も、とひ來〔きた〕るべからず。是より一里ばかり麓の在所(ざい〔しよ〕)に、親兄弟、皆、住〔すみ〕侍り。何とぞ、こよひの内に告(つげ)しらせ度〔たく〕さふらへば、我〔われ〕、かしこに行〔ゆき〕て歸らん程、留守し給はれかし。」
と申せば、
「それこそ、いとやすき間〔ま〕の御事、さうさう告(つげ)來りたまへ。」
あるじ、悦び、火なわに火をつけ、鐵炮、うちかたげて、出行〔いでゆき〕ぬ。
[やぶちゃん注:「二時」四時間。ここまで経緯から考えて、夜半をとうに過ぎている。所謂、怪異出来の丑三つ時に近かろう。
「四丁」約四百三十六メートル。
「たぐい」ママ。「たぐひ」が正しい。
「くま野道者は火の踏合(ふみあい)憚(はゞかり)あり」よく判らぬが、神道や仏教と集合した修験道では、神聖にして清浄なる火に対する、不浄なる火の厳然たる禁忌があって、その火にあたる(「踏合」はそうした喩えであろう)こと自体を忌むのであろう。しかも、この屋の主人は殺生をこととする猟師であり、しかも妻の遺体がその傍にあるという、ハイブリッドな不浄の時空間であって、そこにある火はまさに不浄極まりないものと賤しい猟師自身でさえも慮ったのであると考える。Kousyou氏のブログ「Call of History ―歴史の呼び声―」の「火と穢(ケガレ)」にある、『火を起こす行為そのものに罪やケガレがあるわけではないが、『不浄なものを焼いた火、あるいは不浄な場所にあったり不浄な人間の触れた火は、逆に不浄な存在へと変わる』(山本「穢と大祓」P76)という。神事の火を隔離する、葬家の火を忌む、出産前後の妊産婦は別邸で食事の煮炊きする、などの別火の風習や、他者と同じ火で煮炊きしたものを食べる合火という行為を穢れた状態にあるとされる人と行ったことで穢れが伝染するとされる風習などがあった』とあるのが証左となろう。
「結緣(けちゑん)」ルビはママ。「けちえん」でよい。
「權現」熊野権現。
「もうじや」ママ。「亡者」の歴史的仮名遣は「まうじや」が正しい。以下総て同じ。
「ふしぎのちぐう」「不思議の知遇」。
「しろしめされぬ」ご存知でない。
「えにし」「緣(えにし)」。
「古歲(こぞ)」去年(こぞ)に同じい。
「過〔すぎ〕し夏のころ」先に深覚が熊野参詣に旅立ったのを「九月末つかた」とあったから、既に今は新暦では十月下旬か、十一月上旬辺りで初冬の時期となろう。
「相果(あいはて)」ルビはママ。
「火なわ」ママ。]
扨(さて)、深覺房、勝手(かつて)を見れば、下女(げぢよ)とおぼしきもの、乳(ち)ぶさの子をいだきて、かまどのまへに、ふしぬ。亡者は納戶(なんど)の角(すみ)に、前にむしろにてあめる二枚屛風を引廻(〔ひき〕まは)し、其上に、とぼし火、ほそく、かゝげたり。
「さなきだに、女(め)は、五障三從(〔ご〕しやう〔さん〕じう)の罪、ふかし。況(いはんや)、かゝる深山の奧に住〔すん〕で、つねに佛〔ほとけ〕とも法(ほう)とも聞(きく)事なければ、一しほ、ぐちの闇ふかく、殊に、つれそひし妻は、せつしやうを營んで渡世とする。邪見の家にかまどを經て、さぞや、ざいしやうも深く、未來は無間奈利(むけんないり)の底にや、しづみぬらん。」
と不便(〔ふ〕びん)にて、「光明眞言(くわうめうしんごん)」・「寶鏡印陀羅尼(ほうけうゐんだらに)」など、どくじゆして、亡者にたむけ、側(そば)なる中敷居(〔なか〕しきい)をまくらにさゝへ、暫く、まどろみければ、何やらん、物の鳴(なる)音に目をさまし、其邊り、見まはせば、彼(かの)むしろ屛風にかけたる手拭(〔て〕ぬぐい)を、あなたより引〔ひく〕ていにぞ、見へける。
然〔しかれ〕ども、心法、おさまりて、終に、一生、物に動じたる事なく、おそろしいといふ事をしらぬほうしなれば、枕も、もたげず、
『さだめて、鼠などのくはへて引〔ひく〕ならん。』
と思ひ居(い)たりしに、終に、あなたへ引落しければ、いかさま、不審はれず。
立〔たち〕て、やうすを見れば、なわ、切れて、くわんのふた、あき、もうじやのからだ、眼(まなこ)をひらき、やせおとろへたる㒵(かほ)、額(ひたい)に角〔つの〕立〔たて〕、口をあけ、齒をあらはし、誠に物すざまじきありさま、もし、外の人、是を見ば、たへ入〔いり〕ぬべき程なり。
[やぶちゃん注:「乳(ち)ぶさの子」乳飲み子。
「納戶」本来は衣服・調度品などを収納する部屋で、中世以降、屋内の物置部屋を指したが、寝室・産室にも用いた。ここは山賤(やまがつ)の家なれば、広義の寝室の謂いであろう。挿絵でも独立した納戸部屋は描かれていない。
「あめる」「編める」。
「二枚屛風」挿絵参照。
「さなきだに」そうでなくてさえ。
「女(め)は、五障三從(〔ご〕しやう〔さん〕じう)の罪、ふかし」「五障三從」読みは「ごしやうさんじゆう」でよい。これはweb版「新纂 浄土宗大辞典」のこちらによれば、『仏教が展開するなかで現れた、女性観を示す語。五障は女性の資質や能力上、女性には達成できないと主張される五つの事柄のことで、梵天王・帝釈・魔王・転輪聖王・仏にはなれないことを指し、『中阿含経』二八所収の『瞿曇弥(くどんみ)経』、『増一阿含経』三八、『五分律』二九、『法華経』提婆達多品などに見られる。三従は、『超日明三昧経』下に「少くは父母に制せらる。出でて嫁ぐは夫に制せらる。自由を得ず。長大なるは子に難ぜらる」(正蔵一五・五四一中)と論じるように、女性の生涯を年少・結婚後・年を重ねた後の三期に区分した上で、女性は生涯にわたり』、『家族内にあって従属的であるとすることを指す。これらの女性観は、バラモン教に基づく『マヌ法典』の所説にみられる、人間は生まれつき女性より男性のほうが資質や能力に優れ、女性は男性に従属するものという古代インドの人間観や当時のインド社会の実情が影響したものと考えられる。その一方で』、『釈尊は女性の出家を認め、さらには仏教が目指す境地の達成は「生まれ」によって左右されるものではなく「行為」によることを説いている(『スッタニパータ』一三六、六五〇)。法然は、「念仏で往生がかなうとは聞いているが、(阿弥陀仏は)自分のような五障の身をもお見捨てにならないということであるなら、詳しく教えてほしい」(趣意)との問いに対し、(阿弥陀仏は)臨終の時諸の聖衆とともに来たりて必ず迎接したまう故に悪業として障』(さはり)『うるものなく、魔縁として妨ぐる事なし。男女貴賤を簡えらばず、善人悪人をも分たず、心を至して弥陀を念ずるに生まれずという事なし」(『十二箇条問答』聖典四・四三九~四〇)と答え、選択本願念仏によるところの極楽往生は、男女をはじめ、念仏を申す機の如何に左右されることはないと明示している。なお三従は、『礼記』など儒教においても説かれる』とある。仏教では長い間、「変生男子(へんじょうなんし)説」が広く信じられ、女性は如何なる修行や布施を行っても、一度、男に生まれ変わらなければ、極楽往生は出来ないという女性差別が蔓延していた。
「法(ほう)」ルビはママ。仏の教えたる真の「正法(しやうぼふ)」。
「ぐち」「愚痴」。仏語。愚かなこと。無知によって惑わされ、総ての事象に関して、その真理を見ることが出来ない愚かな心の状態を指す。
「かまどを經て」「竈を經て」。殺生の夫に従って生活してきて。
「ざいしやう」「罪障」。
「無間奈利(むけんないり)」無間地獄。「奈利」は「地獄」の漢訳の別称。「地獄」は元来はサンスクリットの「ナラカ」「ニラヤ」の訳で、「地下にある牢獄」を意味し、それを漢音写して「奈落」「泥犂(ないり)」などと訳した。
「光明眞言(くわうめうしんごん)」ルビはママ。歴史的仮名遣は「くわうみやうしんごん」が正しい。密教で用いる真言の一つで、正しくは「不空大灌頂光眞言」(現代仮名遣「ふくうだいかんぢょうこうしんごん」。これを唱えると、一切の罪障が除かれ、福徳が得られるという。
「寶鏡印陀羅尼(ほうけうゐんだらに)」ルビはママ。歴史的仮名遣は「ほうきやういんだらに」が正しい。但し、正しくは「寶篋印陀羅尼」で、正確には「一切如來心祕密全身舍利寶篋印陀羅尼經」で、「全ての如来の教えの真髄を記した呪文」といったような意である。因みに宝篋印塔とは、本来は、この経を納めた供養塔の謂いである。
「どくじゆ」「讀誦」。
「中敷居(〔なか〕しきい)」ルビはママ。「しきい」は「しきゐ」が正しい。ここは絵にある二枚屏風のことを指す。
「手拭(〔て〕ぬぐい)」ルビはママ。「ぬぐひ」でなくてはおかしい。
「引〔ひく〕てい」「引く體(てい)」。引き込もうとする様子。
「見へける」ママ。「見えける」でよい。
「おそろしい」ママ。当時、既に口語表現でこうも書いたことが判る。
「なわ」ママ。「繩(なは)」。立棺桶の蓋を結んでいた繩。
「たへ入〔いり〕ぬべき」ママ。「絕え入りぬべき」。気絶・卒倒してしまうであろう。]
[やぶちゃん注:こちらは、一部、汚損と判断される箇所を清拭した。]
然〔しか〕れども、深覺、一念も動ぜず、業障(ごうしやう)に引〔ひか〕れて、臨終にさまざまの惡さうをあらはすは、よのつねなれば、平生(〔へい〕ぜい)、此者の造罪(ざうざい)の程を、おもひやり、一しほ、不便にて、しばらく、經をよみ、廻向〔えかう〕して、眼(まなこ)をなでふさげ、棺のふたをし、又、枕をさゝへ、まどろみしに、宵に、しらぬ山路をふみ、迷ひし勞(つか)れ出〔いで〕てや、おぼへず、ね入〔いり〕ける處に、勝手のかたと覺しくて、女の聲にて、
「わつ。」
と、さけびけるに、目をさまし、枕元を見れば、棺は、こけて、亡者は、なし。
『いか成〔なる〕わざならん。』
と、勝手(かつて)を見れば、彼〔かの〕もうじや、宵に、かまどのまへにふし居たる、下女と、おさな子との首を、喰切(くい〔きり〕)、さゆうの手に引さげ、口より下は朱(あけ)に染つて、また、深覺に、つかみかゝる。
深覺、彼〔かの〕屏風を以て、
「迷悟三界城悟故十方空本來無東西何處有南北(めいご〔さんがい〕じやうごご〔じつはう〕くう〔ほんらい〕む〔とうざい〕がしよう〔なんぼく〕)。」
と、二つ、三つ、續(つゞけ)て討〔うち〕ければ、もうじやのからだ、忽(たちまち)、あつ鬼(き)さつて、たおれ、ふしぬ。
[やぶちゃん注:「惡さう」「惡相」。
「おぼへず」ママ。「おぼえず」でよい。
「こけて」ひっくり返って。
「さゆう」ママ。歴史的仮名遣は「さいう」。
「屏風を以て」屏風を警策代わりにしたのである。
「迷悟三界城悟故十方空本來無東西何處有南北(めいご〔さんがい〕じやうごご〔じつぱう〕くう〔ほんらい〕む〔とうざい〕がしよう〔なんぼく〕)」これは江戸時代の臨済宗妙心寺派の学僧無著道忠(むじゃくどうちゅう 承応二(一六五三)年~ 延享元(一七四五)年:俗姓は熊田氏。但馬国(兵庫県)出身)の作った偈。
*
迷故三界城
悟故十方空
本來無東西
何處有南北
迷ふが故(ゆゑ)に 三界は城なり
悟るが故に 十方は空なり
本來 東西 無く
何處(いづくん)ぞ 南北 有らんや
*
特に訳す必要もあるまい。因みに、この偈は四国遍路の必須アイテムである菅笠に「同行二人」と「ユ」と発音する梵字(弥勒菩薩と弘法大師を表わすとされる)とともに書かれてあることで知られる。
「たおれ」ママ。「斃(たふ)れ」が正しい。]
深覺、おそろしながら、二つの首とともに本〔もと〕の棺へおさめて、あるじの歸るを待居〔まちゐ〕ければ、しばらくあつて、戶を、あわたゞしく、たゝきぬ。うちより、
「誰(たそ)。」
と問〔とへ〕ば、てい主の聲にて、
「たゞ今、歸り侍りぬ。はやく、戶をあけて給はれ。」
と、聲、ふるひて、さけびぬ。深覺、
「さては。」
と、戶をあけて、
「自然(しぜん)、道にて、ふしぎの事にあひ給はずや。」
と問〔とひ〕れければ、てい主、申〔まうす〕やう、
「されば。われら獵師を家業として、一生、此山中に夜をあかし、月なき夜、猪(しゝ)・狼をおふて、いか成〔なる〕谷・峯に入〔いり〕ても、終に、おそろしき事を、しらず。然るに今宵、一〔いち〕もんどもの家を出〔いで〕て、半分、道歸りし比〔ころ〕より、頻(しきり)におそろしく覺へて、跡より、何やらん、物のおふ樣〔やう〕に思はれ、いまだ、ちりけ、元の寒さ、なをらず。」
と、顏は、なの葉のごとく、いろをうしなひ、冷あせをながして語りければ、深覺、
「成程。其(その)はづの事。内にも、留守の間〔ま〕に、ふしぎなる事、侍り。納戶へ行〔ゆき〕て、御身のつれ合(あい)、もうじやのありさまを、見たまへ。」
と、あれば、てい主、いよいよ恐れ、
「内には、如何やうの事か候や、語りきかせて給はれ。」
と、いへば、
「語るまでもなし。今、亡者のありさまを見て、やうすを、しられよ。」
と、無理に手を取〔とり〕て、なんどの内へ、つれ行〔ゆけ〕ば、聲をふるはせ、おそれわなゝき、
「ぜひともに、やうすを聞せて給はれ。さなきにおいては、我、もうじやを得〔え〕見る事、あたはじ。」
と、臥(ふし)まろびて、立〔たた〕ざりければ、深覺、申されけるは、
「もうじやは、數(す)年、御身の皆老同穴(かいらうどうけつ)の閨(ねや)の内に、撫摩懷抱(ぶまくわいほう)のちぎりをこめし恩愛(おんあい)の妻、其うへ、三密(〔さん〕みつ)淸淨の出家は、身外(しんげ)に被甲護身(ひかうごしん)の印明(いんめう)備(そなは)り、たとへ、剱(つるぎ)をふみ、火の中へ入〔いり〕ても、身に刀火(とうくわ)のおそれなく、胸に阿字(〔あ〕じ)の一刀(〔いつ〕とう)を具足して、生死(しやうじ)煩惱の大じやをだにも切れば、如何成(いかなる)鬼神(きじん)・惡鬼も三衣をおそれぬといふ事、なし。」
とて、衣の袖を覆ひ、手を取〔とり〕て引立〔ひつたて〕、もうじやのありさまを見せければ、ていしゆ、泪(なみだ)をながし、
「誠に、さんげには重罪も、めつするとかや。聖人(しやうにん)の御慈悲、一〔いつ〕に此罪業(〔ざい〕ごう)をたすけ給はれ。我、一念の邪淫に心みだれ、是成〔これなる〕下女を愛せしより、本妻の女、嫉妬の思ひに胸をこがし、明(あけ)くれ、ねたましくおもひし折ふし、ゐん果のなせる所、下女が腹に此子を※1※2(くわいにん)して、古歲(こぞ)の夏、ぶじに平(へい)さんせしゆへ、本さいのしんゐ、いよいよ盛(さかん)になり、飮食(いんしい)も喉(のど)に通らず、妬死(ねたみじに)に、今宵、りん終に及びしが、終に一念の惡鬼と成り、現(げん)に因果をあらはし侍りぬ。我、かゝるふしぎを見て、未來の程、おもひやられ、あさましく候也。[やぶちゃん注:「※1」=「月」+(「懐」-「忄」)。「※2」=「月」+(「妊」-「女」)。]
是のみにかぎらず、一〔ひとつ〕、生物〔いきもの〕の命を取〔とり〕し殺生(せつしやう)のかずかず、惡業(あくごう)をおもへば、たかき事、五嶽に並び、罪障をかへり見れば、深き事、四瀆(〔し〕とく)に過〔すぎ〕たり。今、是を見て、後世〔ごぜ〕のおそれに身の、毛(け)、よだち、一念発起いたし候間〔さふらふあひだ〕、髮を剃〔そり〕、御弟子となされ、未來を助け給はれ。」
と、泪とともに歎(なげき)しかば、深覺も哀(あはれ)を催し、親族の來〔きた〕るを待〔まち〕て、右の趣(おもむき)を申〔まうし〕きかせ、師弟の契りをなし、くま埜よりの下向に、此道心を、ともなひ歸り、皆人、其故をとへども、語られず。
此ほうし、つねに、師をたつとみ、一生、大せつに常隨(ぜうずい)給仕して、道心けんごに作善(さ〔ぜん〕)の功をつみしかば、「一念あみだ佛卽滅無量罪」の功力(くりき)によつて、さ程の重罪を消滅し、りん終には、めでたきわうじやうを、とげ侍りぬ。
誠に佛種(〔ぶつ〕しゆ)は緣より生(しやう)ずるとかや、あり難かりける結焉(けちゑん)にぞおぼへ侍りぬ。
金玉ねぢぶくさ二之終
[やぶちゃん注:「おさめて」ママ。二人の遺体には、寝ているように、夜具などを掛けておいたものであろう。
「自然(しぜん)」副詞。ひょっとして。
「ちりけ元」「ちりけ」は「身柱」「天柱」と書き、これで「首筋の辺り」を指す。
「なをらず」ママ。「なほらず」が正しい。
「なの葉」菜っ葉。
のごとく、いろをうしなひ、冷あせをながして語りければ、深覺、
「つれ合(あい)」ルビはママ。「つれあひ」が正しい。
「得〔え〕見る事、あたはじ」この「得」は思わず当ててしまった誤りで、呼応の副詞「え」で不可能を表わすそれである。
と、臥(ふし)まろびて、立〔たた〕ざりければ、深覺、申されけるは、
「皆老同穴」夫婦が仲睦まじく、契りの固いこと。出典は「詩経」の「邶風」(はいふう)の「撃鼓」の「偕老」と、同じく「詩経」の「王風」の「大車」の「同穴」を続けて成句としたもの。「生きてはともに老い、死んでは同じ墓に葬られる」の意。
「撫摩懷抱(ぶまくわいほう)」「撫摩」は「なでさする。愛撫する。心をこめて世話をする。可愛がる」の意で、「懷抱」は「相手を懐(ふところ)に抱(いだ)くこと。抱擁」に同じい。
「三密(〔さん〕みつ)淸淨」主に密教で謂われるもので、「身密」・「口密」(くみつ)・「意密」の総称。仏の身体と言葉と心によって行われる三種の行為は不思議であることから「三密」と称される。また、衆生の身体・言葉・心によって行われる三種の行為も、その隠された本性に於いては仏の「三密」と同等であるとされる。ここはそれらの本来の在り方を体得したことを指す。
「身外(しんげ)」普通は「しんがい」。肉体の外側。
「被甲護身」邪気を完全にシャット・アウトするフルメタル・ジャケット。
「印明(いんめう)」ルビはママ。「いんみやう」が正しい。手に結ぶ「印相」と、口に唱える「明呪 (みょうじゅ)」 、即ち「真言」を指す。先に掲げた密教の「三密」のうちの「身密」・「口密」の二つ。
「阿字(〔あ〕じ)」梵語字母の第一字、及びそれによって表わされる音(おん)。密教では阿字は総ての梵字に含まれているもので、さればこそ総て、の宇宙の事象にも阿字が不生不滅の根源として含まれていると考える。
「一刀(〔いつ〕とう)」無敵の宝刀。正法の絶対の力を喩えたもの。
「大じや」「大蛇」。仏法を損なおうとする外道全般の比喩。
「三衣」ここは僧侶の意。
「さんげ」「懺悔」。江戸時代まで仏教のそれは「さんげ」と清音である。
「ゐん果」ママ。「因果(いんが)」。
「※1※2(くわいにん)」(「※1」=「月」+(「懐」-「忄」)。「※2」=「月」+(「妊」-「女」)孰れも私は見たことがない字体である。「懷妊」に同じい。
「古歲(こぞ)の夏」去年の夏。妻の患いは秋に始まっているのと期を一にする。
「平(へい)さん」「平產」。安産。
「ゆへ」ママ。「故(ゆゑ)」。
「本さい」「本妻」。
「しんゐ」ママ「瞋恚(しんい)」。「しんに」とも読む。怒り恨むこと。
「飮食(いんしい)」かくも読み、歴史的仮名遣もこれでよい。「いんし」「おんじき」などの読みもある。
「一〔ひとつ〕」まず第一に、の謂いであろう。
「五嶽」五岳。中国で古来崇拝される五つの名山。泰山(東岳)・嵩山(すうざん:中岳)・灊山(せんざん:後に衡山(こうざん)。南岳)・華山(西岳)・恒山(北岳)を指す。五行思想の影響で前漢時代に定められた。道教の山岳思想であるが、中国からの伝来の一類として仏教に取り入れられているから、違和感はない。
「四瀆」本来はフラットな意味で中国の四つの大河を指す。「瀆」は水源を発して、直接に海に注ぐ川を指す。一説では中国の大陸の汚濁を海に流し去る大河を指すともされる。一般には長江・黄河・淮水(わいすい)・済水(せいすい)を命数とする。「四瀆」は古くから神として祀られてきたが、先の「五岳」とともに国家の祭祀の対象となるのは前漢の宣帝の時からとされ、「四瀆」の各々について、特定の地にそれぞれの廟が建てられ、その後も歴代王朝によって祀られた。但し、ここでは猟師の不倫と殺生の悪因縁の深刻な大きさを五岳の高さと、四つの大河の深さに比喩しただけのことである。或いは作者は「瀆」の字の持つ「けがす」という別な意味を含ませている可能性もあろう。
「たつとみ」「尊み」。
「常隨(ぜうずい)」ルビはママ。「じやうずい」が正しい。
「けんご」「堅固」。
「一念あみだ佛卽滅無量罪」普通は「一念彌陀佛卽滅無量罪(いちねんみだぶつそくめつむりやうざい)」阿弥陀仏を、ただ一度でも心に堅固に念じただけで、それまで犯した無量の罪障を消滅させることが出来るということ。この句は「宝王論」や「往生本縁経」を出所(でどころ)とするなどと謂われるが、実際には見当たらず、出典は未詳である。まあ、浄土教の核心の教えでは外れてはいない。
「功力(くりき)」修行によって得た不思議な力。功徳の力。効験(こうげん)。
「佛種(〔ぶつ〕しゆ)」種々の意味がある。小学館「大辞泉」によれば、①仏となるための種子(しゅうじ)。仏性(ぶっしょう)。②仏の教え。③仏果を生じるもととなるもの、即ち、菩薩の所行。④仏の道の跡継ぎの意、などである。総ては正法(しょうぼう)に基づくから、ハイブリッドな意味でもよいが、ここは元猟師が極楽往生の素懐を見事に遂げたことを言っているから、①や③の意味でとってよかろう。
「結焉(けちゑん)」ルビはママ。「結緣(けちえん)」と同じ意味を、「終焉」のそれと結びつけたものであろうが、結縁と結焉が同義かと言われると、私は不審に思わざるを得ない。また、「焉」はやはり歴史的仮名遣でも「エン」であり、「ゑん」ではない。]
« 柴田宵曲 俳諧随筆 蕉門の人々 木導 三 / 木導~了 | トップページ | 柴田宵曲 俳諧随筆 蕉門の人々 一笑 一 »