萬世百物語卷之五 十八、美少の剱術
十八、美少の剱術
あだし夢、牛込のあたりに、名はわすれたり、眞言宗の寺ありけり。法位も高き寺なりければ、繁昌も大かたならず。されば浪人などいふもの、こゝをさすらへのよるべ所とし、多くあつまりける。何の友彌(ともや)とやらん、是れも名字はわすれたり、その年は十六にてきよき少年なりしが、
「江戶は身をたつる所。」
と、遠國よりのぼり、此寺に便りをもとめてあられける。
[やぶちゃん注:標題は国書刊行会「江戸文庫」版では『美少の秘術』とあるが、「秘術」は以下の展開から見て、友弥のそれとは読み難い。「剱」の崩し字は「祕」のそれに似ているものがあるから、「剱術」でよいと思う。
「牛込」現在の新宿区の北東部の広域に当たり、知られた地名では市谷・早稲田・神楽坂が含まれる。江戸時代(本篇は流石に江戸時代と考えてよい)は大名や旗本の住む武家屋敷が集中した地域で、一方で町屋も少なからず形成され、現代に至るまで、古くからこの地に住む一般住民が多い。所謂、古くからの「山の手」に当たる。この(グーグル・マップ・データ)中央部分の大半が旧牛込である。
「眞言宗の寺」現存するか、現在旧牛込地区にあるものを数えて見ても、真言宗寺院はすっくなくとも十ヶ寺近くはあるため、同定は不能。]
また、もとよりあいしれる筋の唐物屋(からものや)十左衞門とて、おなじあたりに住みける。友彌がいまだ寺にもまかでぬ程、いつくしき形にまどひ、たゞにやまれぬ志(こころざし)を通じ、一夜(ひとよ)二夜のむつごともありけんかし。されど、友彌が身を考ふるに、
『かゝる事、こうじたらんは、ためあしからん。』
とて、十左衞門はよく念じける。
[やぶちゃん注:「あいしれる」ママ。「相ひ知れる」。
「唐物屋十左衞門」「唐物屋」は、本来は中国からの輸入品を売買していた店や商人を指し、「たうぶつや(とうぶつや)」とも読む。但し、後、古道具屋のことも、かく言った。後者でとっておく。前者では限定が容易で、後の展開と齟齬すると考えるからである。また、或いは父の代の屋号であって、実際に十左衛門はそうした商売とは無縁な商いをしていると考えた方がよいかも知れない。
「友彌がいまだ寺にもまかでぬ程」江戸に一旗揚げるために出て来て、その寺に入る前の時期。
「こうじたらんは」「昂じたらんは」。思いが募って深みに嵌ってしまったなら。
「念じける」我慢し、凝っとこらえてきた。]
友彌ばかりは戀(なつ)かしき心に、町など出でたらんおりからは、逢はざるに、なつかしみ、
「おぢの方へまからむ。」
といひて、人しれずがり、ゆきける。
[やぶちゃん注:「戀(なつ)かしき」珍しく底本のルビである。
「おぢ」ママ。「伯父・叔父」は「をぢ」。
「人しれずがり」「がり」は接尾語で、通常は人を表す名詞・代名詞に付いて「~のもとに・~の所へ」となる。ここは変わった用法で、「人知れず」は連語で、本来は「誰にも知られぬように内緒で、そっと」という副詞的意味を持つものに、その文字通りの「人知れず」でその人のいる場所が判らぬがその判らぬ人の所へ行こうと探して、の意を掛けてある。但し、後の展開で、友弥が真っ直ぐに十左衛門のところに走るシーンがあるから、実際には友弥はまず間違いなく十左衛門はここにいるという場所を、この後には知り得ていたものと思われる。或いは、その以降でも、友弥が逢おうとしても、十左衛門は先の友弥のことを考えての自制から敢えて逢おうとは決してしなかったものととるしかない。]
一年ばかりもふるまゝ、園部(そのべ)團右衞門といへる浪人、日ごろは剱術の師などして、その身は、寺に口もらひて、あなたこなた、かけまわる。つねに大口のみきけば、寺のものども、なかばは、にくみおもへる、よからぬ男ありける。
[やぶちゃん注:剣術を教えているが、それで得られる金子では到底生きて行けぬ故、寺の雑用などを手伝っては寺に寄食しているというのである。
「かけまわる」ママ。「驅け𢌞(まは)る」。]
友彌にいく度かいひよれど、うけひくべきやうなく、つれなき松のみさほつくりて、心ざしをふたつにせざるを、のちのちは、はらたて、
「なさけをしらぬものは深山(みやま)の木猿(きざる)にこそあれ。」
とて、とてもかなはぬにくさにや、人前にても、
「木猿殿、ござめれ。」
なんどぞ、よびける。
友彌、むねんにおもひて、いしゆをもはたさんとすれど、かれは大いなる男の、しかも心がけさへありといヘば、
『あしう、しそんじて、名のかきん。おりもこそあらめ。』
と、おもひ過(すぐ)しける。
[やぶちゃん注:「つれなき松のみさほつくりて」表向きは、「つれなき」(冷たく、素知らぬ振りをするばかりで)「松のみ」(「待つのみ」の掛詞)「さ」(名詞に付いて語調を整える接頭語ととる。さすれば、以下は)「ほつくりて」=「ぼつくりで」=「松ぼっくりで」=「待つばかりで」の掛詞となろう。しかし、今一つ別な意味がここには隠語として隠されてあると読める。それは則ち、「松ぼっくり」「松ぼくり」の「ぼくり」の元はその形から「松」の「ふぐり」(陰嚢・睾丸)が語源であるからである。だから、この表現に裏には、幾ら懸想してもすげない友弥なればこそ、園部の金玉(松ぼっくり)は淋しく「ほつくりて」=「ほつたらかしで」「放りっぱなしで」の若衆道の含みの謂いがあると私は採るのである。
「木猿」野猿・猿公(えてこう)であろう。人を人とも思わぬ激しい卑称である。
「ござめれ」連語で近世中期以後は誤って「ござんめれ」とも書いた。断定の助動詞「なり」の連用形「に」+係助詞「こそ」+ラ変動詞「あり」+推定の助動詞「めり」の已然形「めれ」が付いた「にこそあるめれ」の変化したもので、もとは「~であるように見える・のようだな。」の意。但し、後世にはその成立語源が忘れられ、「ごさん」が「御座る」の変化したもの、あるいは、「御参」のように意識されたから、ここも「木猿殿は、居られるようじゃのう!」といった見え透いた蔑した呼びかけである。
「いしゆをもはたさん」「意趣をも果たさん」。仕返しをして恨みを晴らしてやる!
「心がけさへあり」剣術を教えるほどであるから、腕に覚えがあるということ。
「あしう、しそんじて」「惡しう、し損じて」。
「かきん」「瑕瑾」。原義は「全体として優れている中にあって惜しむべき小さな傷・短所・欠点」の意であるが、ここは「恥・名折れ」の意。国書刊行会「江戸文庫」版では、『名のがさん』とある。或いは写本の誤りか、判読の誤りとも思われる。これでも意味は通るが、「瑕瑾」の方がきりりとして、遙かによい。]
いかなる折にか、人けなく、春のあたゝかなる日ざし、書院のゑんがはに、ものかげのしけるは、かの團右衞門が、心よう、ひげぬきて居(をる)なりけり。友彌、
『よきおり。』
と、ひそかに身つくろひ、刀を引(ひき)さげて、より來(き)ける。
『なまじいに刀とりあつかひ、心つかれて、あしかりなん。』
と、ものかげにたておき、やおら、しやうじをあけ、
「團右衞門どの、よくもあしざまに仰せらる。うらみ申す。」
と、あどけなきうちに、いかりをふくみ、ぬき打ちにぞしたりける。
拍子やよかりけん、
「あ。」
といふて、立ちけるが、ふたつになりてぞ、みへたりける。
とゞめまで、よくさし、おちつきて見へしもの、わか人のかなしさ、いかにしてとりおとしけん、わきざし計(ばかり)にて立ちのきける。
[やぶちゃん注:「ゑんがは」ママ。「緣側(えんがは)」。
「ものかげのしける」「團右衞門どの、よくもあしざまに仰せらる。うらみ申す。」と言上(ことあ)げした際には、友弥は脇差を差したままで、手には太刀を持っていない。されば、園部は『何のことはねぇ』と、ほくそ笑んで無視し、視線を外したのであろう。そ瞬時を見計らって、障子の内側に隠して立てかけておいた太刀(恐らく抜き身にしておいた)を執って斬りつけたものと推定する。
「おちつきて見へしもの、わか人のかなしさ」底本では「おちつきて見へしも、□のわか人のかなしさ」となって、判読不能となっている。ここは「江戸文庫」版に拠ったが、或いは、本来は違った表現(「例の」「常の」等)であった可能性を否定は出来ない。
「いかにしてとりおとしけん、わきざし計にて立ちのきける」太刀を現場に放置したままにしてしまったのである。]
それより、十左衞門がもとにかけこみ、
「しかじか。」
といふに、
「こゝは、やう、あしき。」
とて、うら道より、したしき方にしのばせける。追手、程なう、跡つけて、
「狼籍もの、出(いだ)せ。」
といへど、こゝになければ、せんなし。
さて、友彌はかくしおゝせたれど、刀わすれたる念なさ、一家のきかんも口おしく、
「いかにせん。」
と、わびあへる。
十左衞門、
「思案しすべきやうこそあれ。」
と、家、しまひて、友彌をつれ、はるか、人しれぬかたにしのびける。
[やぶちゃん注:「追手」は寺の者であって、公儀の役人ではない。殺人であるから、届け出はしなくてはならぬが、そもそも園部は寺内でその傲慢から甚だ憎まれていた。太刀を見て、寺内の者は友弥の仕業とは分かったものの、生前の園部への嫌悪から、「賊に殺された」とでも、噓の訴えをしておいて、重要な証拠物件たる凶器の太刀は、秘かに寺内に隠しておいたのである。友弥を真犯人として知っていた寺内で、何故そうしたかは、判然としないが、美少年の友弥への園部の普段のおぞましい仕儀を思い出し、心情的には寺内の全部が友弥に同情したからではあろう。しかし、それとは別に、寺の連中は、犯人の友弥を探し出して、彼を犯人として訴え出ないことを条件に、彼の家から、大枚の金を巻き上げることをも、同時に考えたものと私は推測するのである。]
さて、弟なるものを、細物(こまもの)あきないといふ事させ、かの寺に出入(でいり)せける。
おもひ入りある心より、いかなるむりをも氣にかけず、納所(なつしよ)小僧の機嫌をとり、下々の男まで『よきものなり』とおもはれて、のちは、心やすう、
「かれなくては。」
とぞ、もてなしける。
ある時、納所寮(なつしよれう)にて、酒のみ、わざと、すき事のはなし、し出(いづ)る。終(つひ)に、かの友彌がものがたりになり、
「刀をおとしたる、いかに念なかるらん。」
といふ。
かのもの、『大かた、しすましたり』と、下人、よろこび、
「それ程のものわすれはせじか。刀のかね、よからぬゆへ、すてたることにあるベし。」
と、不案内にそしれば、
「いやいや、さやうのものならず。こゝにあり。これ見給へ。なにしらぬ法師の目にも、すさまじきものなり。」
と、櫃(ひつ)より取り出(いだ)して、みす。
友彌がかたるにまがひなく、『あり所はみつ。とかうせん』とおもふほど、賓人(まろうど)の入來(いりきた)り、なりみち、さわぐを幸(さいはひ)に、酒、ゑひて、ふすまねし、人まをうかゞひ、ぬすみ出し、商賣の具、うちすて、跡けして、うせぬ。
友彌、よろこび、それより故鄕に歸りしとなり。
法師ばら、のちのち見付けて腹だちけんかし。
[やぶちゃん注:「弟なるもの」唐物屋十左衛門の実弟。
「細物(こまもの)」珍しく底本のルビ。
「あきない」ママ。
「おもひ入りある心より」思いやりのある風を寺内の者に徹底して感じさせるようにしたのである。
「納所小僧」寺の会計・庶務を取り扱う下級の僧。
「納所寮」同前の下級僧や下人らの住まう建物。
「すき事のはなし」若衆道の話。
「し出(いづ)る」本来は「し出(いだ)す」が相応しい感じがする。
「いかに念なかるらん」「どんなにか口惜しく、残念に思っていることだろうよ」。
「かのもの、『大かた、しすましたり』と、下人、よろこび」どうもうまくない表現部分だ。「かのもの」も「下人」もどちらも十左衛門の弟を指すとしか思われないが、「下人」の謂いは無理がある。思うに、「下人、よろこび」の部分は、以下の弟の台詞の後、「不案内」(細かいようすや事情がよくわからないさま。但し、ここはそのように演じた、ふりをしたということである。彼は兄からその太刀の仕様をちゃんと聴いて知っていたのである)「にそしれば、」の後ろに続けるべきところではないか?
「刀のかね、よからぬゆへ」(「ゆへ」はママ)刀剣の刃自体が、鈍(なまく)らな安物であったから。
「櫃」蓋が上方に開く大形の箱。
「とかうせん」さても、これからそれを奪取するにはどうしたらよかろうか、と内心、思案したのである。
「賓人」納所寮にやってくる客人。
「入來り、なりみち」ちょっと畳語になるが、「入り來たり、成り滿ち」で、訪問客の出入りが茂くなり、その場に人が溢れかえってきて、の意でとっておく。
「腹だちけんかし」「腹立ちけむかし」。地団駄を踏んで腹を立てたであろうが、後の祭りであったよ、といった結語のニュアンスであろう。]