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2020/08/26

柴田宵曲 俳諧随筆 蕉門の人々 木導 二

 

       

 

 子規居士はかつて俳句における人事的美を論じて、「芭蕉去来はむしろ天然に重きを置き、其角嵐雪は人事を写さんとして端なく佶屈聱牙(きっくつごうが)に陥り、あるひは人をしてこれを解するに苦ましむるに至る」といったことがあった。概言すれば天明の俳句は元禄よりも人事的に歩を進めたと見るべきであろう。木導の句は同じ元禄の作者の中にあっても芭蕉、去来よりは人事的興味に富んでおり、しかも其角、嵐雪の如き佶屈聱牙に陥っていない。

 子規居士はまた蕪村の「飛入の力者(りきしや)怪しき角力[やぶちゃん注:「すまひ」。]かな」の句を解した中において、「角力は難題なり、人事なり、この錯雑せる俗人事を表面より直言せば固より俗に堕(お)ちん。裏面より如何なる文学的人事を探り得たりとも千両幟(せんりょうのぼり)は遂に俳句の材料とは為(な)らざるなり」云々と述べたことがある。蕪村が角力の句を作ること十余に及んだのは、その非凡なる力量をここに用いたものであろう。角力の句は其角にも少くないが、数においては誰よりも先ず木導を推さなければならぬ。木導は由来其角や蕪村のような多作家ではない。『水の音』所収の句三百五十九のうち、角力の句十四を算え得るのは、比率においては勿論、量においても蕪村と拮抗するに足るものである。

[やぶちゃん注:蕪村の句は明和七(一七七〇)年七月十一日の作。子規の評は「俳諧大要」の「第六 修學第二期」の一節。国立国会図書館デジタルコレクションのここからの画像で正字正仮名で読める。かなり長い。当該部はここの最後から次のページにかけてである。

「千両幟」世話物で相撲取を主人公とした人形浄瑠璃「関取千両幟」(全九段。近松半二・三好松洛・竹田文吉・竹田小出雲・八民平七・竹本三郎兵衛合作。明和四(一七六七)年大坂竹本座初演。当時、大坂で人気のあった実際の力士稲川・千田川をモデルにした相撲物。贔屓の若旦那礼三郎が遊女錦木を身請けするための不足金二百両を用立てしなければならなくなった力士岩川が、恋敵側の贔屓力士鉄ヶ嶽との勝負に負けて若旦那の思いを果たさせようとする。土俵上の勝負の最中に「二百両進上、ひいきより。」の声が掛って岩川は気をとり直し、鉄ヶ嶽を倒すという筋。私の好きな外題)に引っ掛けた謂い。]

 

 うつくしき指櫛持やすまふ捕     木導

[やぶちゃん注:「指櫛」は「さしぐし」、座五は「すまふとり」。]

 大坂で元服するやすまひとり     同

 休む間は歯をみがきけり相撲とり   同

 去年から肉かゝりけりすまふとり   同

 引しめる師の下帯や相撲とり     同

 油ぎるせなかやすべるすまふとり   同

 胸の毛に麦の粉白しすまふとり    同

 此咄シ伏見で聞ぞ勝ずまふ      同

 いなづまの拍子になげるすまふかな  同

 馬を売きほひに出るすまふかな    木導

[やぶちゃん注:「売」は「うり」。]

 榎木から下りてとりたる相撲かな   同

[やぶちゃん注:これは子どもの情景か。]

 行騰をぬいて取たる角力かな     同

[やぶちゃん注:「行騰」は「むかばき」。「行縢」とも書く。遠出の外出・旅行・狩猟の際、両足の覆いとした布帛 (ふはく) や毛皮の類を指す。中世の武士は騎馬遠行の際の必需品とし、鹿の皮を正式として腰から足先までを覆う長いそれを着用した。現在も流鏑馬 (やぶさめ) の装束に使用される。]

 組合て馬屋へ落るすまふかな     同

[やぶちゃん注:上五は底本に従えば「くみあつて」。]

 なでしこの内またくゞるすまふかな  同

 以上の句は大体において力士を詠じたものと、現在相撲を取っているところとに分れる。これは木導の句に限らず、古今の角力の句に通ずる二大別であるが、専門的力士を詠ずるのは人事中の人事に属し、変化の余地が少いのに反して、辻角力とか宮角力とかいう素人本位のものは、多少の自然的背景を取入れ得るところから、多くの俳人はここに一条の活路を求めようとする傾がある。木導のはじめの七句はいずれも専門的力士を描いたので、他の景物を配せず「表面より直言」したものである。

 「うつくしき指櫛持や」の句は『笈日記』には「さし櫛の蒔絵うつくし」とある。こういう力士の様子は今の人には異様の感があるかも知れない。三田村鳶魚(みたむらえんぎょ)氏の説によると、元禄の力士は大概前髪立(まえがみだて)で、身長七尺二寸、体重四十貫目という鬼勝象之助が二枚櫛をさし、白粉[やぶちゃん注:「おしろい」。]をつけて登場したとか、両国梶之助は一枚櫛で土俵へ出たとかいう話が伝わっているそうである。その指櫛が美しい蒔絵であるという。当時の風俗を窺う上からいっても看過すべからざるものであろう。

[やぶちゃん注:「前髪立」花魁のように左右の髪を前方に向かって角髪状に立ち上げた髪形。

「七尺二寸」二メートル十八センチメートル。但し、次々注参照。

「四十貫」百五十キログラム。但し、次注参照。

「鬼勝象之助」(おにかつぞうのすけ 生没年未詳)講談社「日本人名大辞典」によれば(一部を改変した)、近江出身の力士で、元禄から宝永(一六八八年~一七一一年)の頃に大関(当時は横綱はなく大関が最高位)として活躍、身長二メートル二十一センチメートル、体重百五十七キログラムの大型力士で、大関両国梶之助が角前髪に一枚櫛を挿したのに対し、二枚櫛を挿して話題となったとある。

「両国梶之助」(寛文四(一六六四)年~宝暦五(一七〇八)年)は現在の鳥取県気高町宝木に生まれた元禄年間の名力士。大関。「因幡・伯耆の両国に敵(かな)う者なし」と称され、「両国」は鳥取藩初代藩主池田光仲がその意で命名したと伝えられる。身長一メートル九十センチメートル、体重百五十キログラムで、五十貫(百八十七・五キログラム)の錨(いかり)を一度に二つ持ち上げたという伝説もある。]

 

 「いなづまの拍子になげる」の句は、実際稲妻がしている場合かも知れぬが、同時に角力の手の瞬間的動作を現したものと思われる。「行騰をぬいて」の句、「組合て馬屋へ落る」の句が武家らしい様子を現しているのも、この作者だけに興味を牽かれる。

 われわれは木導の角力の句を、句としてすぐれているというわけではない。蕪村が「飛入の力者あやしき角力かな」や「負まじき角力を寝物語りかな」の句に示したような人事的曲折の妙は認められず、「白梅や北野の茶店にすまひ取」とか、「夕露や伏見の角力ちりぢりに」とかいうような詩趣もこれを欠いている。其角の「投げられて坊主なりけり辻角力」「卜石(うらいし)やしとゞにぬれて辻ずまふ」「水汲の暁起やすまふぶれ」等に比しても、あるいは数歩を譲らざるを得ないかも知れぬ。ただわれわれの興味を感ずるのは、かくの如き多数の直叙的角力の句を、自ら『水の音』に採録した点にある。『水の音』に洩れた木導の句はどの位あるかわからぬが、われわれの目に触れただけでも、なお

 月代にいさみ立けり草相撲  木導(篇突)

 相撲取の腹に著けり虻の声  同(韻塞)

 片頰にやき米入れて相撲かな 木 導(正風彦根鉢)

の如きものを算え得るから、かたがた以て彼の角力趣味を察することが出来る。

[やぶちゃん注:「負まじき角力を寝物語りかな」蕪村の句。明和五(一七六八)七月二十日の作。「夕露や」の句から、京の伏見稲荷の奉納角力を見ての句である。

「白梅や北野の茶店にすまひ取」同前。安永七(一七七八)年十月二日の作。北野天満宮がロケーション。

「夕露や伏見の角力ちりぢりに」同前。「負けまじき」と全く同じ日の作。

「投げられて坊主なりけり辻角力」一九八九年岩波文庫刊の堀切実氏の編注になる「蕉門名家句選(上)」の本句の注によれば、元禄三(一六九〇)年七月十九日興行の歌仙の発句とある。その注で当時の辻相撲は夜間に町の辻などで行われたとあって、秋の季題とある。さすれば、組み合っているのを眺めている内は判らなかったが、投げられて間近に飛ばされてへたった人物は、何んとまあ、坊主頭の僧侶だったという意外な諧謔である。

「卜石(うらいし)やしとゞにぬれて辻ずまふ」これは恐らく神社の境内での辻相撲であろう。そこには持ち上げられれば祈願が叶うととでも伝える力石(多くの神社で見掛けるものである)の傍で、腕に覚えある連中がおっ始めたそれで、秋雨に石がぐっしょりと濡れても、組み合っているさまであろう。「しとど」は彼らの汗をも響かせると読んだ。

「水汲の暁起やすまふぶれ」「みづくみのあかつきおきや相撲觸(すまふぶれ)」で、未だ真っ暗な暁に起き出して井戸に水汲みに行ったところが、彼方から早くも今日の相撲の興行を触れ回る人の声が響いてきたというのであろう。]

 

 木導にはまた猫を詠じた句が相当ある。

 水鼻に泪も添ふるねこの恋      木導

[やぶちゃん注:「「泪」は「なみだ」。「猫の戀」は初春の季題とされる。]

 吐逆して胸やくるしきねこの恋    同

[やぶちゃん注:「吐逆」は「とぎやく」で吐き戻すこと。]

 ざらざらと舌のさゝけやねこの恋   同

[やぶちゃん注:「ささけ」は「ささくれた状態」の意。この句、私は面白いと思う。]

 鶯やきいたきいたとねこの恋     同

 三味線の皮とも成(なる)かねこの恋 同

 目のひかりあふひのまへか猫の恋   同

[やぶちゃん注:この句もいい。]

 爪の跡車の榻(しじ)やねこの恋   同

 盗み行猫のなきだす袷かな      同

[やぶちゃん注:「行」は「ゆく」で、「袷」は「あはせ」だが、ちょっと意味が判らぬ。或いは、女物の袷を銜えて、後ろ足で立ち上がる、化け猫か?]

 出替りや涙ねぶらすひざの猫     同

[やぶちゃん注:「出替」「でがはり」。ずっと以前に「嵐雪 二」で注したが、再掲しておくと、主家に奉公している者が、一年又は半年の年季を終えて交替するその日のことを指す。春(一年)又は春・秋(半年)が交代期であった。俳諧の季題としては「春」のそれと採っている。ここは年季が明けた若い下男或いは下女が去ってゆくのに際し、馴れ親しんだ主家の飼い猫が膝に上ってくるのである。思わず、愛おしくなってぽとぽとと涙を落とし、それをまた、猫が舐めるのである。これも人事と絡んでいい句ではないか。]

 

 火に酔うてねこも出けり朧月     同

[やぶちゃん注:「朧月」で春であるが、未だ寒かったのか、囲炉裏を強く焚いた故に猫が熱さに家の外へとふらふらと出てきた。時はまさに朧月夜見たさに誘われて出てきたようだと擬人化しているもの。悪くない。]

 

 ねこの子やぎよつと驚く初真桑    同

[やぶちゃん注:座五は「はつまくは」。スミレ目ウリ科キュウリ属メロン変種マクワウリ Cucumis melo var. makuwa のこと。座五は夏の季題。]

 

 猫の恋の句は大方面白くない。猫の舌のざらざらしたのに著眼した第三句が、やや特色あるに過ぎぬ。「盗み行猫のなきだす」というのは事実であろうが、いささかきわど過ぎる嫌がある。火の側にいた猫が火気に酔ったような形で、月の朧な戸外に出て来たというのが、この中では先ず可なるものであろうか。これらの句は作者の猫に関する興味を窺い得る点においてはともかく、句としてすぐれたものではない。第三者に委ねたら恐らく採用すまいと思われる句を、自己の興味に従って収録するところに、『水の音』の自選句集たる所以がある。長短ともに自己の特徴を発揮するのが自選句集の本色だとしたら、必ずしも咎むべきでないかも知れぬ。

 けれども『水の音』の面白味は、固より以上に尽きるのではない。木導の句が嗅覚に鋭敏であること、ものの香を雨や雪に配したものが多いことは、已に説いた通りであるが、彼の句は嗅覚を離れても、なお雨に関して微妙なものを捉えている。

 爪とりていと心地よし春の雨     木導

 うつくしう封する文や春の雨     同

 わやわやと人足宿や五月雨      同

の如きは、まだ比較的平凡なものであるが、

 うしほ湯に今日も入ばや春の雨    木導

[やぶちゃん注:「うしほ湯」海水又は塩水を沸かした風呂。古来、病気の治療に利用された。]

 かゆさうに羽せゝる鶏や春の雨    木導

 春雨や菊で詰たる長まくら      同

[やぶちゃん注:菊枕(きくまくら)である。十分に乾燥させた菊の花弁を詰め物に用いた枕で、晩秋の季題。菊は漢方で体の無駄な熱を冷ますとされ、また、中国古来より邪気を払って不老長寿を得ることが出来るものとして珍重され、重陽の節句では、丘に登って菊の花を浮かべた菊酒(きくしゅ)を喫するのが習わしであった。秋に採取して天日で乾燥させた菊の花を詰め物代わりに用いることから、上品な香気もある。]

 しめりたる伊勢の宮笥や春の雨    同

[やぶちゃん注:「宮笥」は「みやげ」。土産(みやげ)の語源は、伊勢参宮に行けた人が郷里の人々へ伊勢神宮のお守りの入った小箱を持ち帰ったのがそれ、という説がある。ここは普通の何かの土産でもあろうか(無論、御札でもよい)、それが今降っている春雨というより、長い伊勢からの帰りの道中の湿り、その人の温もりとなって、貰った作者に感じられたというのであろう。]

 簀巻から塩のしづくや春の雨     同

[やぶちゃん注:「簀巻」は「すまき」。新巻鮭か巻鰤(まきぶり)か。]

 五月雨に𤾣たる状や嶋問屋      同

[やぶちゃん注:「𤾣たる状や」は「ばくたるさまや」。「𤾣」は「黴(かび)」の意。]

 うちあげるぬれたる桑や五月雨    同

などになると、明(あきらか)な特異な世界に入っている。これらの句の基調をなすものは、木導一流の微妙な感覚で、一誦直に身に近く春雨を感じ、五月雨を感ずる思いがある。「かゆさうに羽せゝる鶏」の如きは眼前の一小景に過ぎぬが、春雨の懶(ものう)さ、粘りというようなものを描いた点で、太祇の「春雨やうち身痒(かゆ)がるすまひ取」などと共通する或ものを持っている。

 雨ではないが、

 湯あがりに歩みよりたる柳かな    木導

などという句も、やはり感覚的な中に算えなければならぬ。湯上りの快適な、しかも幾分弛緩した感じと、懶げに垂れた柳の枝との間には、配合以上の調和があるといって差支ない。『鯰橋(なまずばし)』にある「湯あがりの僧行違ふ柳かな」という句は、この句と同案であるかどうか。第三者の立場から見る段になると、この句の趣は大分異って来る。感覚的な味を存するには、どうしても自ら歩み寄るのでなければならぬ。

[やぶちゃん注:「鯰橋」里仲編。享保三(一七一八)年刊。]

 

 木導の句にはまた色彩の上に対照的な材料を捉えたものがある。

 真黒な蝶も飛けり白牡丹       木導

 青々とうづまく淵や散る紅葉     同

 これらはまだその色彩を対照した差が顕著に過ぎるけれども、

 白き歯に酸漿あかき禿かな      木導

[やぶちゃん注:「酸漿」は「ほほづき」、「禿」は「かむろ」。この句は秀逸である。]

に至ると、単に色彩の上で白と赤とを対照したに止らず、微細な観察においてもまた成功の域に入っている。禿の皓歯(こうし)に浮ぶ酸漿の赤い玉は、画くべくしてかえって画になりにくい一種の趣である。近代俳句の作者は往々にしてこの種の観察を喜ぶが、木導は元禄の昔において早くここに手を著けている。

 瞿麦やちらりと馬の口の中      木導

[やぶちゃん注:「瞿麦」は「なでしこ」。花の撫子特にこの漢名は中国では双子葉植物綱ナデシコ亜綱ナデシコ目ナデシコ科ナデシコ属エゾカワラナデシコDianthus superbus var. superbus に当てられており、同種は北海道及び本州中部以北、ユーラシア中部以北に植生する。]

などという句も、色彩的対照はないが、この句と共に挙ぐべきものであろう。大きく開いた馬の口の中に、ちらりと瞿麦の可憐な色が見えたと思うと、試がもぐもぐ食われてしまう。一茶などの覘い[やぶちゃん注:「ねらい」。]そうなところで、一茶よりは遥に自然な趣がある。「ちらりと」の一語も、草と共に馬の口に消える瞿麦を描き得て妙である。『鯰橋』には「ちらりとみえる馬の口」となっているが、「中」の字があった方が、口の中に消え去る様子を髣髴出来るように思う。

 燕脂の物縫うた目で見る柳かな    木導

[やぶちゃん注:上五はこれで「べにのもの」と読む。]

 『玉まつり』には上五字が「あかい物」となっている。紅い物を縫って疲れた眼を窓外に遣ると、そこには青い柳が春風に枝を垂れている。紅い色を見詰めたあとの眼は、ただ虚空に遊ばせても反対色の緑が浮ぶのであるが、その眼を移す柳の色は特に和やかな感じを与えるに相違ない。

 鉞の白き刃にもみぢかな       木導

[やぶちゃん注:「鉞」は「まさかり」、「刃」は「やいば」。いい句だ。]

 「白刃」という成語はある。「シラハ」と訓じても通用するが、これは抜身を指すので、色彩の白という意味は加わっていない。作者がわざわざ「白き刃」という言葉を用いたのは、研ぎすました刃の感じを「白」の一字によって現そうとしたためである。普通の刀や何かと違って、鉞の刃の広いことも、この場合の感じをよほど助けている。そのぴかぴか光った鉞の刃の上に紅葉が散りかかるという趣である。前の青淵の句のように、文字の上から色彩を対照したものと見るわけには行かないけれども、「白き刃」の一語には特異な力がある。ただ鉞の上に散るといわずに、「白き刃」を強調したのは、作者の表現の凡ならざるところであろうと思う。これも『鯰橋』には「鉞の刃に分のぼる」となっているが、「分のぼる」は繊巧(せんこう)に過ぎて面白くない。木導自身も後にこれを削って「白き刃」に改めたものであろう。

[やぶちゃん注:木導、いやや、好きになってきたぞ!]

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