今日――先生の義母(「奥さん」)が死ぬ / 靜のある述懐 / 先生を襲う恐るべき病的な強迫観念 / 「氣の毒」な靜
母は死にました。私と妻はたつた二人ぎりになりました。妻は私に向つて、
*
靜 「これから世の中で頼りにするものは一人しかなくなった。」
*
『と云ひました。自分自身さへ賴りにする事の出來ない私は、妻の顏を見て思はず淚ぐみました。さうして妻を不幸な女だと思ひました。又』
[やぶちゃん注:先生が涙を流すのが直に描かれるのは本作の中ではこの一箇所だけで特異点である。]
*
先生「不幸な女だ。」
靜 「何故?」
靜、泣く。そして、恨めしく言う。
靜 「あなたは普段からひねくれた考えで私を観察していらっしゃる。だから、そんなことをおっしゃるのだわ。」
*
○ある日ある時
靜 「……男の心と女の心とは何(ど)うしてもぴたりと一つになれないものでしょうか……」
先生「……若い時なら……なれるだろうね。……」
靜、何か自分の過去を振り返って眺めているような感じでぼんやりと視線を宙に彷徨(さまよ)わせている。
やがて、微かな――溜息を――洩らす。……
*
私の胸には其時分から時々恐ろしい影が閃めきました。初めはそれが偶然外から襲つて來るのです。私は驚ろきました。私はぞつとしました。然ししばらくしてゐる中に、私の心が其物凄い閃めきに應ずるやうになりました。しまひには外から來ないでも、自分の胸の底に生れた時から潜んでゐるものゝ如くに思はれ出して來たのです。私はさうした心持になるたびに、自分の頭が何うかしたのではなからうかと疑つて見ました。けれども私は醫者にも誰にも診て貰ふ氣にはなりませんでした。
私はたゞ人間の罪といふものを深く感じたのです。其感じが私をKの墓へ每月行かせます。其感じが私に妻の母の看護をさせます。さうして其感じが妻に優しくして遣れと私に命じます。私は其感じのために、知らない路傍の人から鞭うたれたいと迄思つた事もあります。斯うした階段を段々經過して行くうちに、人に鞭(むちう)たれるよりも、自分で自分を鞭つ可きだといふ氣になります。自分で自分を鞭つよりも、自分で自分を殺すべきだといふ考へが起ります。私は仕方がないから、死んだ氣で生きて行かうと決心しました。
私がさう決心してから今日(こんにち)迄何年になるでせう。私と妻とは元の通り仲好く暮して來ました。私と妻とは決して不幸ではありません、幸福でした。然し私の有つてゐる一點、私に取つては容易ならん此一點が、妻には常に暗黑に見えたらしいのです。それを思ふと、私は妻に對して非常に氣の毒な氣がします。
(以上、『東京朝日新聞』大正3(1914)年8月9日(日曜日)掲載 夏目漱石作「心」「先生の遺書」第百八回を元に、引用とシナリオを扱き交ぜた)
*
この最終段落の謂いは「こゝろ」の中で――何か非常に奇体な激しい違和感を感じさせる――シンパシーを感じることに強い躊躇を感じさせる――先生の告白の特異点のように私には思われるのである。学生の「私」とのちぐはぐな応酬と同じ違和感を覚えるのだ。即ち、
「さう決心してから」もう「何年」にもなる
『それは具体的に何年ですか?』(私の推定では最大長でも十年である。私の『「こゝろ」マニアックス』の『●「先生」の時系列の推定年表 )』を参照)
↓
「私と妻とは元の通り仲好く暮して來「た」
『……はぁ……』
↓
「私と妻とは決して不幸では」なかった、いや、確かに「幸福で」あった
『……そうは思っております、が……』
↓
「然し私の有つてゐる一點、私に取つては容易ならん此一點が、妻には常に暗黑に見えたらしい」
『そ、それは当たり前でしょう?! 何です? その傍観者みたようなおっしゃり方は!?!……』
↓
「それを思ふと、私は妻に對して非常に氣の毒な氣がします」
『何ですって!?! 抜け抜け抜け抜け、よく、そう言う謂い方が使えますねえ!?! ボケるのもいいかげんして下さいよ! 先生!!!』(……と、青春の真っ直中の純真な読者の中には、ここで「こゝろ」の本を壁に投げつける者さえもいるかも知れない。それは当然のことだ。嘗ての若き日の私も、やはり、そう思ったことを覚えているからである)
――しかし……さても――しかし、だ!
――いいかね?! 間違えてはいけない!
――先生はこの時――「死んだ氣で生きて行かうと決心し」ている――のである!!
――この時に至っても――である!!!
★この時とは「心」の連載は、後、二回分しかないことを指す。
「……こ、これでは……この遺書は……自殺告白の漸近線でしか、ないのではないか!?!」
とイラついた読者が絶対にいたはずだ。
「……どこで一体、我々に納得可能な自決の理由を本当に示して呉れるんだ!?!」
と焦燥を感じ始めた新聞読者が有意にいたに決まっている。
そうしてその望みは、どうなったか?
それは「こゝろ」を初読した私や、あなた方の大多数のように――そこでは最早、ページをめくれば、後二回で終わることが知れるから不安は最も甚だしいものとなる――この長過ぎる遺書にとうに痺れを切らし、我慢が辛抱たまらなくなって、ずっと先(せん)に遺書の終わりのパートを見てしまった読者も多いだろう。実際、「こゝろ」の学生の「私」でさえ受け取った直後にそうしているのだし、私もそうだったから。
そうして、その不安は、結果して、その危惧通りとなってしまったと感じた読者が、やはり。過半を占めたであろう。
その自死の決断とその理由は――一見――やはり先生よろしく――「不得要領のもの」であり――『ちょっと待ってよ!』『何じゃ? こりゃあ!?』という、聊か「失望させられた」ものとなって――多くの読者の前に立ち現れることとなるからである。…………