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2020/08/06

萬世百物語卷之一 四、山中のあやしみ / 萬世百物語卷之一~了

 

   四、山中のあやしみ

Santyunoayasimi

[やぶちゃん注:「江戸文庫」版の挿絵をトリミングして合成した。本文には登場しないが、本話を実際に目撃した行脚僧風の人物が右手の木蔭に描かれてある。その下方の岩場のこちらの面には、よく見ると、「さても」とあって踊り字「く」が四回、その左手には「おそろしや」でやはり同記号で四回繰り返されてある。

 さても さても さても さても さても

 おそろしや おそろしや おそろしや おそろしや おそろしや

この岩の上の水流れか岩苔のように細工したそれは、いや――なかなかニクい仕立てだ――と思うのである。

 あだし夢、陸奧岩城(いはき)の郡(こほり)何山里とかや。近きころなれど、所はわすれたり。

 水無月(みなづき)末の頃、母いたちの子どもの、やうやう巢ばなれたるを引きつれ、木陰(こかげ)涼しき方、もとめて、あそばせける。

 餌(ゑ)や、もとめに行きけん、そこら、うせにける。

 木のうへに大きなる蛇(へび)のわだかまりて居けるが、かねてや、ねらひけん、とく、さがりて、かの子供ども、一つも殘らずくひはてゝけり。

 むねやくるしかりけん、もとの木にのぼり、一もじり、ふたもじり、尾をもつて枝をまとひ、かしらは幹にそへて倒(さかさま)にさがり、心ちよげにみへける。

 暫(しばらく)あれば、かのはゝいたち、歸りきて、子のうせぬるを見、うたて、おどろけるさまして、

「きつくわい」

となき、そこらかけまわりしが、へびのさがりたるをみつけ、かれがどち、うつる心やありけん、忽(たちま)ち腹立ちあがけど、下より直(すぐ)にのぼらんは、蛇のまもるにせん方なげなり。

 いづくよりか、とりてきけん、桐の葉の大いなるを、一葉、くわへ、ふりかつひで、かしらにいたゞき、蛇のみつけざるやうに、そばの木より、

「そろそろ」

と、のぼる。かゝるはかりごとせんは、人にもおなじかるべき智なりかし。

 扨(さて)やうやうにのぼり、蛇のおれる木の、上ざまより、ねらへど、はかりごとよければ、へびは見つけず。程なう、近より、よき程とや思ひけん、くだりざまに蛇がそくびを、

「ほか」

と、かみつく。なじかはたまるべき、ふたつともに

「どう」

ど、おちけり。

 蛇は、あまり、ていたきにや、いたちを幾重もまとふて、しむる。

 いたちはまた、恨(うらみ)のはらだちに、おくば、つよう、かみしむる。

 蛇、終(つひ)にまけにけり。

 そのゝち、腹をくいやぶり、のまれし子どもを、さうなう、ひとつひとつ、とり出(いだ)す。まだ程なければ、かたちもそんぜざりしを、何の草にやあるらん、廣葉(ひろば)を、しき、その上に子どもをならべてねぶりなんど、とかうせしほど、終にうごき出でて、かけまわる程になりて、事なし。父母の子をおもふまどひ、異類はことに、わりなげなる、あはれなりかし。

[やぶちゃん注:「岩城の郡」現在のいわき市の一部で、四倉町・小川町の内、夏井川左岸(北東側)と平の内、夏井川左岸に相当する。この中央南北と東附近(グーグル・マップ・データ)。

「水無月」陰暦六月。「末」とあるから、盛夏である。

「いたち」鼬。食肉(ネコ)目イヌ亜目イタチ科イタチ亜科イタチ属 Mustela に属する多様な種群を指す。博物誌は私の「和漢三才図会巻第三十九 鼠類 鼬(いたち) (イタチ)」を参照されたい。本話柄では妖獣性はそれほど感じられないが、本邦では古くから妖怪視されてきた経緯がある。その辺りもリンク先で読める。

「とく、さがりて」素早く枝にぶら下がった状態で。

「もじり」「捩(もじ)り」で、体を捻って巻き付くこと。

「うたて」いっそうひどく。

「きつくわい」イタチの鳴き声のオノマトペイア。威嚇音は「キッキッキッキッ!」或いは「クックックックッ!」である。YouTube の「駆除屋 CH」のこちらで聴ける。

「かれがどち、うつる心やありけん」ちょっと意味がとりにくい。「哺乳類の四足獣と手足のない爬虫類の蛇というかけ離れた存在ではあるが、動物同士で、人間のように憎悪や防衛・威嚇の感情の心の相互の反映があるのだろうか、の謂いか。当初は、「丸呑みされた子どもの鼬らと親鼬同士が、何らかの目に見えない何かが双方から出されて感応する心があるのだろうか、子らが食われたことをそれ察知した」という意味に解釈しようとしたのだが、どうも、それはやや穿ち過ぎかと思い直した。正直、捨て難くはあるのだが。

「蛇のまもるにせん方なげなり」蛇が上から俯瞰して見守っており、攻める方法がないという感じでいた。

「とりてきけん」「採りて來けん」。

『桐の葉の大いなるを、一葉、ふりかつひで、かしらにいたゞき、蛇のみつけざるやうに、そばの木より、「そろそろ」と、のぼる。』「かつひで」はママ。「擔(かつ)ぐ」であろうから、「かぎて」或いは「かついで」である。敢えて言うなら、ここが妖怪の妖術的シークエンスである。狐が木の葉(本来は髑髏。後代に藻や水蓮の葉から、贋小判に偽造し易いる葉になったものか)を頭に載せて化ける式の呪術(蛇に気配を感じさせないようにする効果があるようだ)が用いられているからである。

「人にもおなじかるべき智なりかし」いやいや! 人以上でしょうが?

「おれる木」ママ。「居(を)れる木」。

「そくび」「素首」。所謂、「そつくび(そっくび)」(「そくび」の促音添加形)という卑称語。首を罵って言う語である。

「ほか」咬みつく擬態語の表現と採った。

「あまり、ていたきにや」「餘りに手痛きにや」。受けた咬みつかれ方が、尋常でなく、痛みの程度がはなはだしくて動揺したものか。

「恨(うらみ)のはらだちに、おくば、つよう、かみしむる」「恨みの腹立ちに、奥齒、强う、嚙み締むる」。

「さうなう」「左右無う」。「さうなし」の連用形「さうなく」のウ音便。何の考慮や躊躇や苦労も必要とせず。た易く。中世以来の古語。

「まだ程なければ」まだ呑み込まれてからそれほどの時間は経過していなかったから。

「かたちもそんぜざりし」「形も損ぜざりし」。蛇の丸呑み習性が幸いしている。

「ねぶり」「舐(ねぶ)り」。舐(な)めること。

「わりなげなる」人通りではなく。人間のそれよりも、この上なく深くて。]

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