大和本草卷之十三 魚之下 海鷂魚(ヱイ) (アカエイ・マダラトビエイ)
海鷂魚 其尾ニ毒アリ人ヲサセハ大ニ痛ミ腫テ死ス
樟腦或楠木奇南香ヲタキテフスヘテヨシ甚妙ナリ
是所不載醫書漁人不可不知甚大ナルハ七八人ニテ
コレヲニナフ如此ナルハマレ也凡種類多シ○關東ニ鳥
ヱイト云魚アリ西州ニモアリ異物ナリ其形鳥ノ翼ヲ
張ルガ如ク頭モ鳥ニ似タリ背ハ黑ク乄海鰌ノ黒皮ノ如
ク腹白シ大小アリ 大ナルハ方五尺尾小ニ乄
長シ大ナルハ尾長 キ叓六七尺ニ餘ル
アリ尾ノ形婦
人ノ絲ヲヨル□ ニ似テ末小ニ尖ル耳廣クシテ
両傍ニ貫通ス脂アリ味好シ
[やぶちゃん注:終わりの方の四行の途中の空隙部分に以上の挿絵が入っている。以下に国立国会図書館デジタルコレクションの画像をトリミングして示す。なお、後ろから二行目の「□」の部分は判読出来なかった漢字であるが、それを含めて画像を切り取ってある。ルビは明らかに「ツム」であり、所謂、「錘・紡錘」(つむ)で、糸を紡ぐと同時に、糸に撚(よ)りをかけながら巻き取る細く尖った形状の木製道具(巻き取り始めると、糸が紡錘型になる)を指していることは間違いない。当初は当て字で「尾」としているのだろうと踏んでいたのであるが、実は前に「大なる尾」とあるのと比較すると、明らかに違う字であると判断された。しかし、「つむ」と読む当該字を探し得なかったため、□で示した。感触的には、不思議な(かんむり)=〔「天」の字の最終第四画を除いたもの〕があり、それが左への(はらい)となっていて、(つくり)の下部に「毛」の字があるような字体である。]
○やぶちゃんの書き下し文
海鷂魚(ヱイ) 其の尾に毒あり。人をさせば、大〔(おほい)〕に痛み、腫れて死す。樟腦〔(しやうなう)〕或いは楠木〔(くすのき)〕・奇南香〔(きなんかう)〕をたきて、ふすべて、よし。甚だ妙なり。是れ、醫書に載せざる所、漁人、知らざるべからず。甚だ大なるは、七、八人にて、これを、になふ。此くのごときなるは、まれなり。凡そ、種類、多し。
○關東に「鳥ゑい」と云ふ魚あり、西州にもあり。異物なり。其の形、鳥の翼を張るがごとく、頭も鳥に似たり。背は黑くして海鰌〔(くじら)〕の黒皮のごとく、腹、白し。大・小あり。大なるは方五尺、尾、小にして、長し。大なるは、尾、長き事、六、七尺に餘るあり。尾の形、婦人の絲〔(いと)〕をよる□(つむ)に似て、末、小〔(わづか)〕に尖〔(とが)〕る。耳、廣くして両傍に貫通す。脂〔(あぶら)〕あり。味、好し。
[やぶちゃん注:軟骨魚綱板鰓亜綱エイ上目エイ亜区 Batoidea の、
シビレエイ目 Torpediniformes
ノコギリエイ目 Pristiformes
ガンギエイ目 Rajiformes
トビエイ目 Myliobatiformes
に含まれるエイ類の総論であるが、以下を見るに、アカエイとマダラトビエイの記載と考えてよい。なお、「エイ」の歴史的仮名遣は「エヒ(えひ)」が正しい。
「其の尾に毒あり。人をさせば、大〔(おほい)〕に痛み、腫れて死す」総てのエイに有毒棘があるわけではない。知られる危険種の代表は、
トビエイ目アカエイ科アカエイ属アカエイ Dasyatis akajei
である。ウィキの「アカエイ」によれば、『尾を含めた全長は最大で2メートルに達する。多くのエイに共通するように、体は上から押しつぶされたように平たく、座布団のような形をしている。左右の胸鰭は緩やかな曲線を描くが、吻は尖っている。背面は赤褐色-灰褐色で、腹面は白いが、鰭や尾など辺縁部が黄色-橙色になる点で近縁種と区別できる。背面に目があり、噴水孔が目の後方に近接して開く。腹面には鼻孔、口、5対の鰓裂、総排出腔がある』。『体表はほとんど滑らかだが、背中の正中線付近には小さな棘が並び、尾に続く。尾は細長くしなやかな鞭状で、背面に短い棘が列を成して並ぶ。さらに中ほどには数-10センチメートルほどの長い棘が』一、二本、『近接して並ぶ。この長い棘には毒腺があり、刺されると激痛に襲われる。数週間も痛みが続いたり、アレルギー体質の人は』アナフィラキシー・ショック(anaphylactic shock)により『死亡することもある。棘には鋸歯状の「返し」もあり、一度刺さると抜き難い。刺されたら』、まず、『毒を絞り、患部を水または湯で洗い流した後、早急に病院で治療を受ける必要がある。生体を扱う際は、尾を鞭のように払って刺そうとするので充分注意しなければならない。生体が死んでも毒は消えないため、死体を扱う際にも尾には注意が必要である』。『クロコダイル・ハンターとして著名な』オーストラリアの動物園経営者で環境保護運動家でもあったスティーブ・アーウィン(Steve Irwin/本名 Stephen Robert Irwin 一九六二年~二〇〇六年九月四日)は、『番組の収録中に棘に刺され』、『死亡した』。私はその番組(まさにグレート・バリア・リーフでのドキュメンタリー番組で題名は“Ocean's Deadliest”(「海の致死危険種リスト」)であった。刺された部位が胸で死因は心停止)を直後に見ており、非常なショックを受けた。なお、『漁業価値は高くないが、エイ類としては多く漁獲され、利用頻度も高』く、『刺身、湯引き、煮付け、煮こごりなどで食用になる。鰭の軟骨を干物にしたり、魚肉練り製品の原料にも使われる。身は脂肪が少なく繊維質が強く、エイの中で最も美味といわれる』。『生の身はピンク色だが、湯引きすると白色になる。肉質はしっかりしていて悪くないが、軟骨魚類の例に漏れず』、『漁獲後に時間が経つとアンモニア臭が発生する。日本では酢味噌やショウガ、酒などを用いて臭みを消す料理が一般的である』とある。食べたいとずっと思っているが、残念なことに、本種はエイヒレ以外は食したことがない。
「樟腦」クスノキ目クスノキ科ニッケイ属クスノキ Cinnamomum camphora の水蒸気蒸留して得られる精油で、分子式 C10H16Oで表される二環性モノテルペン・ケトン(monoterpene ketone)の一種。特異な芳香のある無色透明の板状結晶で昇華しやすい。水に溶けず、アルコールなどの有機溶媒に溶ける。セルロイドや無煙火薬の製造原料、及び、香料・防虫剤・医薬品などに用いる。「カンフル」「カンファー」(フランス語:camphre/ドイツ語:Kampfer/英語:camphor)とも呼ぶ。
「奇南香」狭義には香料の一つである伽羅(きゃら:梵語の漢訳。狭義には香木として有名な沈香(じんこう:例えばアオイ目ジンチョウゲ科ジンコウ属アクイラリア・アガローチャ Aquilaria agallocha 等)の別名)の異名であるが、中国では香木を総称する語である。
「になふ」「荷(にな)ふ」。担(かつ)ぐ。
「鳥ゑい」軟骨魚綱板鰓亜綱トビエイ目トビエイ科マダラトビエイ Aetobatus narinari かと思われる。本種は最大で全長五メートル、体盤幅三メートル、体重二百三十キログラムにもなる。また、腹鰭の直後に二~六本の毒棘を有するので、臆病な性質で積極的に人を襲うことはないが、注意が必要である。私の『毛利梅園「梅園魚譜」 海鷂魚(マダラトビエイ?)』の本文と私の詳注を参照されたい。そこで使用した国立国会図書館デジタルコレクションの画像もここに添えておく。
「異物なり」これは以下の叙述から考えて、関東と西日本の「鳥ゑい」なるものが異種であるという意味ではなく(今まで益軒はしばしば異種の意で「異物」を使ってはいる)、「異」様な形をした魚とも思えぬ代「物」の意であるように思われる。大方の御叱正を俟つ。
「海鰌」クジラ。
「味、好し」梅園は『赤ヱイの内の』(これは分類学上は全くの誤り)『最下品なり。味、佳(よ)からず』と言っている。]
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