萬世百物語卷之一 二、不思議懷胎
二、不思議懷胎
[やぶちゃん注:「江戸文庫」版挿絵(文化庁はパブリック・ドメインの対象物を全くそのままに平面的に写真で撮ったものには著作権は認められないという公式見解を示している。以下ではこれは繰り返さない)。中央で分離しているので、トリミングして合成した。人物(中央奥が石川七之丞)の衣服や手前の二人の人物の頭部にかなりの汚損があるが、前者は除去出来ないほどひどいのでそのままとした(消しを入れると、羽織の紋も消えてしまうため)ものの、後者は可能な限り除去しておいた。この挿絵は、左から右に時制が動く形を採っている。左手の、家人や下女がこっそり隣の部屋の御簾(みす)の間から垣間見しているのが面白いし、囃子詞の最後が実際の骰子(さいころ)で描かれているのもいい。添え書きを右下から左方向へ判読してみると(踊り字「〱」は正字化或いは同じ柄のものにした)、
「あれよい子の
いつのまに出
生したやら」
(「あれ、良い子の何時の間にやら、出生(しゆつしやう)したやら。」)
「いたき
ませう」
(「抱(いだ)きませう。」)
「おちやひとつ
のまれ
ませのんのこ
さひさひ
「さあて〻もつて
まはすのんのこ
⚅⚅」
(「御茶一つ、吞まれせ、ノンノコサイサイ。」「さあて、さあて、舞(ま)はす、ノンンコサイサイ。」或いは「まはす」は「囘わす」かも知れぬ)
「あの人物そうな
ふしきの事かな」
(「あの人物そうな。不思議の事かな。」)
であろうか(最後の行は判読に自身がない)。「のんのこさいさい」は当時の俗謡の囃子詞。「さあて、さあて」も同じ。本書刊行(寛延四(一七五一)年)より五十年も後の事であるが、文化年間(一八〇四年~一八一八年)に江戸で流行した流行り唄に「のんのこさいさい」節があり、それをもとにしたとされる地方の今も歌い継がれている民謡(長崎県諫早から佐賀県南部の民謡「のんのこ節」など)にも、この「ノンノコサイサイ」及び「さあて」の囃子詞を確認出来る。「舞はす」としたのは、現存する民謡が踊りを伴うものだからであるが、本話のシチュエーションから言うと、茶碗を「回」し飲みするの方が話に合った洒落としては相応しいとも考えられる。]
あだし夢、二條わたりに手書(てかき)の何とかや、名はわすれたり。家、うとくなれば、仕(つかへ)ももとめず、しづかなるすまゐしつらひて暮しける。されども能書のきこゑありければ、洛中のすべあるものゝ子ども、かのもとにたづね來たり、指南をうけしほどに、弟子もおほく出入りける中に、石川七之丞といへる、年は廿(はたち)になりて、いまやうの風流おのこ、やさしき躰(てい)のみか、藝もきようにてつとめければ、師匠も心とゞめておしへ大勢の中、五、三人にゑらばれ、わきて出入りもしげく、祕藏弟子なりけり。
[やぶちゃん注:「手書」書道家。
「家、うとくなれば」家運が衰えたために、有力な公家衆らとも疎遠になってしまったので。
「仕(つかへ)」宮仕え。或いは有力貴族の右筆など。
「きこゑ」ママ。「聞(きこ)え」が正しい。
「きよう」「器用」。
「おしへ」「敎(をし)へ」。
「ゑらばれ」「選・撰(えら)ばれ」。
「わきて」「分きて」。格別に。特に。]
師のむすめに「おくに」といへる、ことし十七にて、男子もなければ、ひとりなん、すぐれていとおしきものにそだてける。何にたらぬ事なう、女のみちを、みな、まなびえて、色さへすぐれたりける。
[やぶちゃん注:「いとおしき」ママ。「愛(いと)ほしき」。
「なう」「無く」のウ音便。]
たれかれ、弟子の出入(でいり)するを、女どもかいまみて、
「それはよき男なれど、じぢくさし。かれはうきうきと見ゆれど、かほざま、あしゝ。されど、當風で。」
など、奧ふかくこもりおる、つれづれのなぐさめ、品さだめしてあそびける。
[やぶちゃん注:「じちくさし」ママ。「爺(ぢぢ)臭し」。爺むさい。若いくせに年寄り染みていて、何となく汚らしい感じがする、という近世口語である。
「うきうきと見ゆれども」如何にも若さにこころはずんで弾(はず)んで見えるけれど。
「あしゝ」「惡しし」。形容詞の詠嘆の連体終止法。不細工なのがねぇ(残念よねぇ……)。
「當風」感じ方・考え方・ファッションといった部分で当世流(昨今の流行り)を何時もしっかり押さえていること。]
中にも、
「七之丞がさまにならぶべきものなし。」
と、下部(しもべ)どももめきゝし、むすめも、何となう、うれしきものにみなして、かれさへきたれば、女どもさゝめき、むすめも心もとなう見いだす。
[やぶちゃん注:「下部」ここは侍女。
「めきゝ」「目利き」。男の品定め。
「さゝめき」囁(ささや)き。こっそりと陰で噂をし。同語の持つ「自ずと胸騷ぎが起って」の意も当然、含ませるべきであろう。
「心もとなう」「心許なく」。待ち遠しく。]
女ども、またまた、性(しやう)わる、
「たしなまんせ。」
などいひあへば、かほ、あかめて立ちさる。
[やぶちゃん注:「性わる」。意地悪く。底本も「江戸文庫」版も以上は孰れも「女どもまたまた性わるたしなまんせなどいひあへば、かほあかめて立ちさる」というベタ文である。或いは女どもの台詞は「性わる、たしなまんせ。」であって、「浮気心でよろしゅうおます、かの男を好(す)いてみなされませ。」かも知れない。ただ、「性わる」の直接言語の響きを私は生理的に受け付けられない。「たしなまんせ」だけで十分際どさが出るからである。]
ひとひ、夏のあつきに、道のほどたえがたきにや、七之丞、いたりつくと、
「水ひとつ。」
こふ。
のみさしを下女もてきて、
「是れのかたのあまりなり。いやにはおぼしめさじ。」
と、さし出す。
[やぶちゃん注:「是れのかた」「これの」は代名詞「これ」に格助詞「の」を附した「この」の強調形に過ぎぬように見えるが、実は「これの」で代名詞として「これの人」の意で、特に夫婦間の相手(夫・妻)の呼称の用法がある。されば、「是の方の」には、そのニュアンスが既に重ねられており、「あの(愛しい恋人の)お方の飲みさしで御座いますよ」という艶(つや)っぽい響きが含まれていると読むべきであろう。さすればこそ、後の驚天動地の展開の強力な伏線となるからである。]
むすめ、じちにうれしき心をたはぶれにもてなし、拍子にかゝりてのみけり。
[やぶちゃん注:「じちに」「實に」。本当に。誠(まっこと)。
「たはぶれにもてなし」冗談半分乍らも、素晴らしいことと感じ。
「拍子にかゝりてのみけり」かくも、周囲から(ここでは下女一人ではない。他の侍女もいっしょになって言っている。後の場面の複数形を見よ)もて囃された結果、調子に乗って呑んでしまったという。]
それより、むすめ、いつしか、腹ふくらかになるを、
「いかなる病(やまひ)にや。」
とみるほど、月をかさねて大きになり、終(つひ)にいつくしき兒(こ)、うみたり。男子にさへありけり。
父母、おどろきて、
「いかになしつる、はぢなき事ぞ。父はたれにか。」
と、せむ。
[やぶちゃん注:「はぢなき事ぞ」厚顔無恥も甚だしい、如何にもおぞましきことじゃ!]
娘、もとより、いさゝかかゝる事なければ、
「神にちかひ、ゆめ、わきまヘず。」
と、はぢ泣くに、父母、おもひめぐらすに、
「げに深閨(しんけい)のうち、母のそば、露(つゆ)はなるゝ事も、なし。」
下々の女まで、
「かりにも、あやしきけはい、見たる事、あらず」
と、いとうしがれば、さて、あやしながらも、孫とみればいたいけして、そのまゝやしなひ、日がらぞへにける。
[やぶちゃん注:「けはい」ママ。「氣配(けはひ)」。
「いとうしがれば」ママ。「愛ほしがれば」。ここは「気の毒に思って申し上げたりしたので」の意。
「いたいけし」「幼氣(いたいけ)す」は名詞とのサ変複合動詞で自動詞「いたいけなさまをする・かわいい様子をする」であるが、ここは他動詞として転用して「可愛がって」の意である。
「日がらぞへにける」「日次(ひがら)ぞ經にける」。この「日次」(日柄)は単に日数の意。]
いつしか三歲になりき。
父、あるとき、いかにおもひけん、心安き弟子のかぎりあつめ、一日(いちじつ)もてなして、扨(さて)、ものかげにて、かの兒にいひけるは、
「なんぢが父なる人あらば、出(いで)ゆき、いだかれよ。」
と、心にちかふて出(いだ)せば、兒、心得たるさまに座敷を見まはし、七之丞がひざにかけあがるを、
「あやうし。」
とて、いだかんとすれば、たちまちきえて、そこら、水になり、ちいさき衣(ころも)ばかりぞ、殘りし。
[やぶちゃん注:「ちかふ」て「誓ふて」。よくよく言い聞かせて約束を成し。]
はじめて、かの水のみし事、女ども思ひ出し、さゝめきいひあふ。
父母、
「かくまですぐせの緣、ふかゝらんを、いかでそのまゝすごさん。」
と、七之丞が父母に、
「かく。」
としらせ、もらひて、聟(むこ)になし、家もゆづりて、のち、まことの子までおほく出來(いでき)、いと目出たかりし。
[やぶちゃん注:「すぐせ」「過世」。もとは「宿世」が正しく、「すくせ」「しゆくせ(しゅくせ)」で、元来は仏教の三世観(前世・現世・後世(ごぜ))を基礎とした考え方に基づく、それぞれの前(さき)の世(よ)の意であったが、凡夫は現世基点で考えるのが普通であるから、前世からの因縁・宿縁・宿命の謂いとなり、更に前世は単純に過去の時間の世界と考えて「過ぐ世」に書き変えられてしまったものである。個人的には私はせめても「すくせ」(宿世)の清音で表記して貰いたかった(「すぐせ」の濁音はモノクロームの汚穢の世に聴こえるからである)。
思うに本篇の最後の怪異は、私の偏愛する、美女が水になってしまう名品「長谷雄草紙」(鎌倉末期(十四世紀前半)の成立。全一巻。作者未詳(絵師は飛騨守惟久(これひさ)筆との伝承があるが怪しい)。平安前期の実在した文人(漢学者)紀長谷雄(きのはせお 承和一二(八四五)年~延喜一二(九一二)年)の怪奇絵巻。長谷雄が朱雀門の鬼と双六(すごろく)の勝負に勝ち、賭け物として鬼から美女を得るも、辛抱できなくなって、鬼との約束の百日を満たぬうちにこれと契るや『すなはち、女、水になりてながれうせにけり』という奇談を描く。後に『女といふは、もろもろの死人のよかりし所どもをとりあつめて人につくりなして、百日すぎなばまことの人にな』るべきものであったとする)をインスパイアし、しかも大団円に変じたものであろう。なかなかに面白く感じた。]
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