金玉ねぢぶくさ卷之二 蟷螂(たうらう)蝉をねらへば野鳥蟷螂をねらふ
金玉ねぢぶくさ卷之二
蟷螂(たうらう)蝉をねらへば野鳥蟷螂をねらふ
[やぶちゃん注:国書刊行会「江戸文庫」の挿絵をトリミング合成し、上下左右及び中央の重なり部分を消去して、絵の内部もできる限り、清拭した。]
人は、まへに欲有ては、後(しりへ)に來〔きた〕る禍(わざはひ)をしらず。若(もし)其大きに欲する所をおさへて、まづ其事の邪正(じやせう)をおもんばからば、たとへ願ふ所はかなはずとも、其なす事に害はあらじ。博奕(ばくち)は有無(う〔む〕)の二つなれども、まづ、そのかたん事をおもふて、身躰(しんだい)を打あげ、商(あきない)は先〔まづ〕其利をさきに見て、高ひ物をしらず、買(かい)おき、盗(ぬすみ)も、まへに得る事を見て、後に首(くび)を失ふ事をわすれ、人とあらそふ時は、我身のよこしまを、わする。盤上(ばん〔じやう〕)の遊びすら、勝(かつ)て益なく、まけて損(そん)なき事なれども、相手の石をかこはんとて、我(わが)石の切るゝ事をしらず、先へ仕かけん事をのみおもふて、我〔わが〕てまへの、つまる事を、かへり見ず。
[やぶちゃん注:「おさへて」「抑えて」。
「邪正(じやせう)」ルビはママ。「じやしやう」が正しい。
「おもんばからば」通常は「おもんぱかる」であるが、これでも間違いではない。
「有無(う〔む〕)の二つ」勝か負けるかの二極しかないこと。
「商(あきない)」ルビはママ。「あきなひ」。
「高ひ」ママ。「高い」。
「買(かい)おき」ルビはママ。「かひ」。
「相手の石をかこはんとて……」以下は碁を例にとったもの。
「切るゝ事」相手に切られること。「キリ」(切り)は囲碁用語の一つで、斜めの位置関係にある相手の石を、繋がらせないように連絡を絶つ手のことで、動詞では「キる」「切る」と表現される。]
今度、長崎の町人小柳仁兵衞、一國ききんして、米の相場百四十六匁〔もんめ〕せり。然〔しかる〕に、下直〔げぢき〕なる時の米、大分、買こみ持(もち)て、それ程の上りを受(うけ)ても、其米を不賣(うらず)。隣家(りん〔か〕)の町人、あまり其欲ふかきを見かぎり、其町をぼつ立〔たち〕しかば、
「他町(た〔ちやう〕)へ行(ゆき)て住せん。」
とすれども、先々〔さきざき〕に是を惡(にく)みて、かねて、身躰(しんだい)ふうきなれば、方々(はうばう)に屋しき求(もとめ)おき、長崎中に以上十七ケ所の家(いへ)を持(もち)ながら、終(つい)に我家に住する事、かなはず。
せんかたなさのあまり、檀那寺へ行て、三日が間、寺にて暮しぬ。
然るに、外のだんなどもをいひ合て、
「か程の惡(あく)人をかくまいたまはゞ、われわれは、だんなを引申〔ひきまうす〕べし。」
と、憤るゆへ、一人を大ぜいにはかへ難く、終(つい)には寺をもおい出されて、當分、路頭(とう)に立(たち)侍りしとぞ。
誠に、善惡ともに十指(しの)ゆびざす所、十目(〔じふ〕ぼく)の見る所、是天道の印也。
[やぶちゃん注:「小柳仁兵衞」不詳。
「ききん」「飢饉」。
「百四十六匁〔もんめ〕」「匁」はここでは江戸時代の銀目(銀)の通貨単位。本書は元禄一七(一七〇四)年板行であるが、元禄銀では、通常時で米一石は四十一匁二分五厘であったから、約三・四倍である。
「下直なる時」値段が安い時。
「ぼつ立」つであるが、これは「ぼつ立てられしかば」とあるべきところ。「ぼつたてる(ぼったてる)」は「追い立てる」の意。
「身躰(しんだい)」「身代」。
「ふうき」「冨貴」。
「終(つい)に」ルビはママ。「つひに」。以下同じ。]「かくまい」ママ。「匿ひ」。
「ゆへ」ママ。「ゆゑ」。以下同じ。
「おい出されて」ママ。「追ひ出(だ)されて」。
「まことに、彼の成したことは、善と悪の極めつけの対象を十挙げるとして、その内の十悪の一つに入るべき存在」であると謂うのである。「十目」とは「多くの人の見る目・衆目」の意であるから、「圧倒的多数の長崎の、いやさ、日本中に大衆の見た目には、天道が罰している徴しに他ならぬ」の謂いであろう。]
近年、草木(さうもく)は不作ならねど、米穀の高直(かうじき)成りしは、皆、有德(う〔とく〕)なる町人、窮民のうれへをかへりみず、利を得んとて、我〔われ〕がちに買おき、直段(ねだん)上らざれば、いつまでもうらざるゆへ、ぜひなく、しめあげに上〔あげ〕れども、久しくかこひし間(ま)に、米の性(しやう)をそんじ、あるひは、銀の步〔ぶ〕をついやしてしまふ所、利を得(う)る事、すくなし。我(わが)利を得る事すくなふして、人の害になる事おゝきは、米商人(〔こめ〕あきんど)のしめあげなり。
[やぶちゃん注:「草木」野菜や果樹であろう。
「有德」ここは「富裕」の意。
「あるひは」ママ。「或いは」でよい。
「しめあげ」流通している米を、殆んどそうした特定の富裕層の町人が買い上げてしまい、売る際には法外な値段をつけるという仕儀を指すか。
「銀の步〔ぶ〕をついやしてしまふ」よく意味が判らぬが、一つ、ウィキの「匁」に、『銀札』(江戸時代に各藩が独自に領内に発行した紙幣である藩札のこと)『は本来』、『銀の預り証であり、引替え用銀準備の下、つまり額面と等価の丁銀への兌換を前提に発行される名目であったが、実際には災害など藩の財政逼迫の度に多発されることが多く、正銀の額面としての銀の掛目と』、『藩札の額面との間に乖離が生じるのが普通であった』。宝永四(一七〇七)年十月、『幕府は一旦、銀札発行を禁じ、流通している銀札を』五十『日以内にすべて正銀(丁銀・小玉銀)に引き替えるよう命じたが、例えば』、『紀伊田辺においては』、『銀札一貫目は正銀二百匁に替えると布告される始末であった』とあるような事実に基づくものか? 兌換がスムーズでなく、換えられても、額面より低く、歩留まりがひどく悪くなって、却って損をすることか? 識者の御教授を乞う。]
「人を利するものは、天、これに福(さいわ)ひし、人を害する者は、天、是に禍(わざわ)ひす」と、聖人のいましめ給ふをわすれ、不義にして、とまん事を欲し、貪りのみ深きは、のみ・虱(しらみ)の、人をくらふ事を知つて、還(かへつ)て、其身の破るゝ事を知らず、魚(うを)の、餌を見て、釣針を見ざるがごとし。
[やぶちゃん注:「福(さいわ)ひ」ルビはママ。「さひはひ」が正しい。
「禍(わざわ)ひ」もルビはママ。「わざはひ」が正しい。
「破るゝ事」「破らるゝ事」の謂いであろう。]
水無月の末、凉しき木の枝に蝉一疋とまりて、聲いさぎよく、吟ぜり。
然るに、かまきり、是を見て、蝉をとらん事を欲し、斧をふりあげて、うしろより、忍びよる。
野鳥、又、かまきりをとらんと、其跡へ續く。
鳥さし、また、是を見て、『小鳥をとらん』と其跡へ、のぞむ。
せみは、おのが吟ずる事を樂んで、跡なる蟷螂をしらず、蟷螂は、前なるせみをとらん事を欲して、後(うしろ)に野鳥ある事を、しらず、野鳥は、かまきりを見て、下より鳥さしのねらふ事を、知らず、鳥さしは、鳥に性根(せうね)を入〔いれ〕て、足元を見ずして踏(ふみ)はづし、岸(きし)へ落(おち)ければ、是に、おどろいて、野鳥、たち、鳥におどろひて、かまきりも、にげ、是を見て、蝉も、とびさりぬ。
しかれば、世の諺にも、「蟷螂、せみをねらへば、野鳥、蟷螂をねらふ」と、いへり。
とかく我〔われ〕欲する事ある時は、まづ、其事の邪正を能(よく)遠慮して行(おこ〔:な〕)ふべき事也。
[やぶちゃん注:「鳥さし」「鳥刺し」。鳥黐(とりもち)を塗った竿を用いて小鳥を捕らえること、或いは、その猟師を指す。
「野鳥、たち、」野鳥は飛び立ち。
「性根(せうね)」ルビはママ。「しやうね」。
いかにもなステロタイプの教訓譚で、私は面白く思わない。]
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