萬世百物語卷之三 十、あんや武勇
十、あんや武勇
[やぶちゃん注:国書刊行会「江戸文庫」版の挿絵をトリミング合成したが、中央で左右の幅のズレが甚だしいため、橋の部分の一致を合成基準の基点とし、ズレて見苦しい上下の枠の消去を行い、序でに、そのままではおかしい左右の枠も消去し、汚れも落として掲げた。]
あだし夢、金王櫻のあたり、さる人の下(しも)やしきなんありけり。ひとひ、公(おほやけ)のいとま、したしきがかぎり、
「櫻の花見がてら、心やすく遊びなん。」
と、碁うち、俳諧のわざ人などかてゝ、道の程よりうち入り、庭の長閑(のどか)なるけしきに心とゞめ、酒も、いたふ、しみければ、程なう、日もくれ、燭などたてゝおのがさまざま興ぜられける。賓人(まらうど)ひとり、厠(かはや)に行きなんとせらるゝを、あるじ、人めして、
「ともしかゝげて、まいれ。」
とある。
「いや、おぼろにこそあれ、月も出、燈籠もありて、道、いとおかし。」
などいひて、ひとりぞ、ものせられける。厠は、それよりはるか、築山にそひ、あを木のかげしげりたる中にありける。
[やぶちゃん注:標題の意味不詳。「闇夜武勇」で「闇夜の武勇伝」かと思ったが、「月も出」て「灯籠もあ」る訳であるから、不審。まあ、ただ「ちょっと暗い、相手がはっきりとは見えなかった夜の武勇伝」という意でとっておく(実際には見えてるけど……)。なお、断っておくと、以下、本篇は底本でも「江戸文庫」版でも、ひらがながだらだらだらだら続いていて、非常に読み難い(と私は有意に感じる)ので、執拗(しゅう)ねく読点を打った。
「金王櫻」現在の東京都渋谷区渋谷にある金王八幡宮(こんのうはちまんぐう:グーグル・マップ・データ)にある金王桜のことか。長州緋桜という種類で、一枝に一重と八重が混ざって咲く珍しい桜だという。この桜の歴史について金王八幡宮の「社傳記」によると、源頼朝が父義朝に仕えた渋谷金王丸の忠節を偲び、その名を後世に伝える事を厳命し、鎌倉亀ヶ谷(かめがやつ)の館にあった憂忘桜を、この地に移植させ、金王桜と名づけたとされているそうである。因みに、「江戸三名桜」とは、この金王八幡宮の金王桜と、円照寺の右衛門桜、白山神社の旗桜と言われているそうである(以上はサイト「桜日和」の「金王桜」に拠った)。ただ私は鎌倉の郷土史研究をしているが、関係史料にこのような記載を見たことがなく、話としても知らない。なお、ウィキの「土佐坊昌俊」によれば、『『平治物語』において、源義朝の死を愛妾である常盤御前に伝えた郎党、金王丸(こんのうまる、渋谷金王丸常光)を昌俊と同一人物する説があるが、史料においては確認されていない』。『伝説では、昌俊=金王丸は、常盤御前とともにいた幼い義経を覚えていたため』、『討つことができなかったとされる。白根記念渋谷区郷土博物館・文学館の研究によると、金王丸の実在を証明する確実な史料は存在しない』。『金王八幡宮が鎮座する東京都渋谷は、昌俊の祖父であり、桓武天皇の孫高望王の子孫と名乗る秩父党の河崎冠者基家が、前九年の役での武功により』、永承六(一〇五一)年に『与えられた武蔵国豊島郡谷盛庄にあたる。また同神社は渋谷氏歴代の居城渋谷城の一部で』、寛治六(一〇九二)年に『基家が城内の一角に創建したと伝えられる。今も神社の一隅には金王丸を祀る金王丸影堂があり、傍らに「渋谷城・砦の石」と伝わる石塊が残る』とあった。因みに、ここは私の大学時代の通学路で毎日のようにその鳥居の前を歩いたのであったが、一度もその桜を見た記憶がない。そもそもその境内に入ったこと自体がないのだ。私は大の神道嫌いなので仕方がないが、鎌倉由来の桜があったのなら……と、今、この瞬間、少し惜しい気がしている。
「さる人の下やしき」江戸切絵図を見ると、金王八幡宮東北に接して「諏訪因幡守」の屋敷があり、八幡宮正面には道を隔てて「松平美濃守」の屋敷がある。調べてみると、前者が信濃諏訪家(高島藩)の下屋敷で、後者が筑前黒田家(福岡藩)の下屋敷のようである。この孰れかであろう。]
燈籠のあかりに、ふみいし、つたひ、道ゆく程、
『けさは、あはれに、よしなき事をも、しつる。いかりのまゝ、ふびんさよ。』
など、おもふがうち、厠にいられける。
窻(まど)より、ともしびのかげに、遠う路次口(ろじぐち)のかた、見やれば、けさ、なきものにしつる中間(ちゆうげん)、ありしすがたそのまゝに、出で來たる。
かの人、
『あやし。』
とはみれど、したゝかものなれば、よくしづまりて、
『死せる人、かたちあるべきいわれなし。いかさまにも、ふるものゝこうへたるにぞ、あるらん。』
と、おもひわきながら、近寄るほど、うたがひもなき作助なり。
『にくきものかな。』
と、おもひ、
『きと、すまひ、もの見せてくれん。』
など、こぶしにぎり、鼻あぶらひいて、いよいよ、やうだい、うかゞふ。
[やぶちゃん注:「けさは、あはれによしなき事をもしつる。いかりのまゝふびんさよ」突然の内心語で、「何?」っと惑わされる。読み進めても、殺められた故作助の不始末や、それに対する怒りの具体的内容、及び、斬り捨て御免としてしまった経緯など、一切の説明もないのだ。そうして、ネタバレになるが、それらは最後まで明らかにされないのである(実際には無駄に期待を持たれるよりも遙かにいいと思うの確信犯で述べた)。この手の怪奇談ではここまで大胆な前振り無し、後の述懐も無し。というのは全くの特異点でと言える。思い切った構成だが、やはり不満の残るところで、個人的には生理的にムズムズ感が残って「好きくない」。それは登場人物の誰にも読者が感情移入出来ないという異常な作物だからであろう。
「遠う路次口」「遠う」はママ。「遠く」のウ音便。かなり遠く離れた、屋敷裏の路地へと通ずる小道の先の、裏木戸口の謂いか。
「いわれ」ママ。
「ふるものゝこうへたる」「古る物の劫經たる」。長い年月生きた古い生き物が変化(へんげ)となったものであろうという推定である。
「おもひわきながら」「思ひ別きながら」。冷静な思慮を以って分別しながらも。
「きと」「屹度(きつと)」の縮約ととった。
「すまひ」ハ行四段自動詞「爭(すま)ふ」か。「張り合って・争って」。
「鼻あぶらひいて」「鼻脂を塗る」で、ここは「うまくゆくように十分に準備する」の喩え。
「やうだい」「樣體」「樣態」。その人の形をしたものの様子や行動。]
戶のそとまで來たりしが、さすが内へも、ゑいらず、戶を、手して、外より、おさへける。
かの人、
『入りたらば、あびせん。』
と、おもへど、えいらねば、
『今は。』
と、こなたより、足(あし)して、厠の戶を、け出(いだ)し、おもひかけず、おどろく所を、とびちがへて、ぬきうちにぞ、うたれし。
きられて、ものもいわず、かけ出し、うせぬ。
「まさに手ごたへしつるは。いかさまにも、みしらせつ。」
と、燈籠の火かかげてすかすに、刀にのりも、ついたり。
「さては。」
と鼻紙(はなばみ)しておしぬぐひ、さらぬていに手水(てうづ)などしまひて、手ふきながら、座にぞ、いられける。
[やぶちゃん注:「あびせん」「一太刀、浴びせん」である。
「け出し」「蹴出し」。戸を勢いよく瞬時に蹴り飛ばし。
「おもひかけず、おどろく」主語は作助(のようなるもの)。
「とびちがへて」ぱっと体を左右孰れかに飛び交(か)わして。
「みしらせつ」「見知らせつ」。手応えはあったが、どうなったかは判らないので、『しっかりと思い知らせてやる!』と念じたのである。
「のり」血糊(ちのり)。]
人、よふで、
「たそ、泉水のあたり見て給へ。ものおとしつ。」
と、の給ふ。
あるじ、
「とく、まいれ。」
とあれば、近習(きんじふ)の小坊主、ともし、とつて、行きける。
しばらくありて、いき、つぎあへず、かけ歸りて、
「何もおちてはなく候(さふらふ)が、池水の内に、何やら、あやしきもの、ばたつき候。え見申さぬ。」
と、いふも、おくして、おかし。
「さればこそ。せうこなければ、かたられず。かくのゆへ、ありつ。」
と、いわるゝに、一座、きほひて、
「めづらし事(ごと)。」
とて立出(たちいで)見らる。
大きなる、ふるだぬき、したゝかに、しりをも、かけて、やりつけられ、死(しに)もやらで、ばたつきける。
せんせうの、ばけものなり。
ていしゆ、みてよろこび、
「是れこそあれ、やしきに住みぬる門(かど)の長(をさ)の年ふるを、さむき夜、あはれにも、いくたびか、たぶらかしける、いんぐわにこそ。」
と笑われける。
[やぶちゃん注:「よふで」ママ。「呼びて」。
「たそ」「誰(た)そ」。誰か。
「近習」主君のそば近くに仕える役。一般に若い者が選ばれ、同性愛の相手ともされた。
「小坊主」少年。ここは卑称。
「いき、つぎあへず」「息、繼ぎ合えず」。激しく何かに驚き、呼吸がひどく乱れて、ハアハアしている様態を指す。
かけ歸りて、
「ばたつき」激しくバチャバチャと音を立てており。相応に大きな物なのであろう。だから次の弁解が出る。
「え見申さぬ」恐ろしさのあまり、とてもそれが何であるか見ることも出来ませなんだ、の謂い。
「おくして」「臆して」如何にも気後れして、おどおどして。おじけていて。
「せうこ」ママ。「證據」(しようこ)。ここは特異な用法で、私が「物を落した」と言ったのは嘘で、実は別に隠して御座った別の理由(根拠)があった、ということ自体全体を指すのであろう。それで以下、「かくのゆへ、ありつ」と、初めて、さっき体験した怪異とその顛末を一座におもむろに披露したというわけである。
「いわるゝに」ママ。
「きほひて」「氣負ひて」。酒も入っているため、皆、意気込んだのである。
「しりをも、かけて」「尻をも、缺けて」ととった。先の一太刀で尻の部分を大きく斬り、抉られたものであろう。
「せんせう」意味不明。仮名遣が正しいとならば、「淺小」「尠少」で「(妖術の程度が)とても浅く小さいこと」或いは「淺笑」(ちょっぴり可笑しいこと)か。歴史的仮名遣の誤りとなると、「僭上」(せんしやう/せんじやう)で「分を過ぎて驕り高ぶり見えを張ること」や、「賤匠」(せんしやう:身分の低い技しか持たぬ存在)か。
「いんぐわ」「因果」。
「門の長」門番の老人。多くは長屋門の長屋の一部分に住んでいた。]