萬世百物語卷之三 十二、繪師の妙術 / 萬世百物語卷之三~了
十二、繪師の妙術
[やぶちゃん注:以上は国書刊行会「江戸文庫」版からトリミング合成した。]
あだし夢、東福寺の兆でんすは、わかきよりゑかくことを好める。中にも龍の繪を心入(こころいれ)て書(かき)けり。我も、『このうへは』とおもひ、人もすぐれたるやうにもてはやしける。
秋の日くれかゝり、深草山(ふかくさやま)のうづらのこゑも心ぼそふ、いなり山の紅葉かれがれなる頃、ふくかぜ、身にしみ、學びの窻(まど)もあはれがちなるに、何となう、詠め出せば、人の聲す。
「荻(をぎ)ならで、かゝる宿音(やどをと)するものもありけるよ。」
と、みれば、寺にまうづる行きがてにやありぬ、老人夫婦、ゑんのあたり、たちより、でんすがかきおける龍の繪を、つくづく詠め、むかひて難じけるは、
「あはれ。よき筆づかひかな。よき事はよけれど、雌雄(めを)のわかちをしらず。それ、龍のかたち、角のさま、凹(なかくぼ)にしてそばだち、浪あらく、目ふかく、鼻ほがらかに、鬣(たてがみ)するどに、鱗(うろこ)きびしく、下ほど次第にそがれ、朱火(しゆくわ)さかんなるは、雄(を)なり。又、角なびけ、浪たいらかに、目大いに、鼻なおく、鬣まろく、うろこ、うすく、尾とはらと、ことやうならぬは、雌(め)なり。」
と、かたる。
でんす、心得ず、
「いかに。そこには、師傳(しでん)ありて、繪がけるや。又、まことの龍を見て、しかいふや。」
と、すこしふずくみて、あざ笑ふを、翁、わらつて、
「げに。さぞ、おぼすらん。せうこなき事を申さんや。まことは、われは龍なり。見おぼへて、よくかけ。」
とて、たちまちかたちをへんじ、軒端(のきば)にくだる雲に乘りて、うせぬ。
それよりしてぞ、兆でんすが筆、妙にいたり、寺中(てらうち)の龍にもふしぎあるにおよぶと聞(きき)し。
[やぶちゃん注:「東福寺の兆でんす」室町前・中期の臨済宗の画僧吉山明兆(きつさんみんちょう 正平七/文和元(一三五二)年~永享三(一四三一)年)の通称で「兆殿主」。淡路国津名郡物部庄(現在の兵庫県洲本市物部)出身で、西来寺(現在の兵庫県洲本市塩屋)で『出家後、臨済宗安国寺(現:兵庫県南あわじ市八木大久保)に入り、東福寺永明門派大道一以の門下で画法を学んだ。その後、大道一以に付き従い』、『東福寺に入る。周囲からは禅僧として高位の位を望まれたが、画を好む明兆はこれを拒絶して、初の寺院専属の画家として大成した。作風は、北宋の李竜眠や元代の仏画を下敷きにしつつ、輪郭線の形態の面白さを強調し、後の日本絵画史に大きな影響を与え』、第四代将軍『足利義持からもその画法を愛されている。僧としての位は終生、仏殿の管理を務める殿主(でんす)の位にあったので、兆殿主と称された』。『東福寺には、『聖一国師像』や『四十八祖像』、『寒山拾得図』、『十六羅漢図』、『大涅槃図』など、多くの著名作品がある。東福寺の仏画工房は以前から影響力を持っていたが、明兆以後は東福寺系以外の寺院からも注文が来るようになり、禅宗系仏画の中心的存在となった。工房は明兆没後も弟子達によって受け継がれ、明兆画風も他派の寺院にも広まって、室町時代の仏画の大きな流れとなってゆく。弟子に霊彩、赤脚子など』がいる、とある。サイト「令始画帳」のこちらで彼の龍図が見られる。
「深草山」「いなり山」グーグル・マップ・データ航空写真で、東福寺から南東方向に伏見稲荷参道が見えるが、この付近広域が伏見稲荷神社の後背地である稲荷山である。「深草山」とあるが、東福寺の山門南から南へずっと伏見稲荷を越えても、この辺りは深草の里なのである。ここでは特にどこかのピークを指して「深草山」と言っているのではなく、「深草」の「山里」(実際に南方向の東側は現在も丘陵部の裾野である)を指している。だから「うづらのこゑ」(「鶉の聲」)も近く聴こえてくるというのである。
「心ぼそふ」ママ。
「荻」単子葉植物綱イネ目イネ科ススキ属オギ Miscanthus sacchariflorus。
「宿音」例えばこの荻や或いは薄の茎や穂が庵の戸や壁に当たって発する音。
と、みれば、寺にまうづる行きがてにやありぬ、老人夫婦、ゑんのあたり、たちより、でんすがかきおける龍の繪を、つくづく詠め、むかひて難じけるは、
「朱火」不詳。龍を取り巻く火炎様のものを指すか。
「なおく」「直く」。真っ直ぐですっとしている。
「うろこ、尾とはらと、ことやうならぬは、雌(め)なり」雌の龍は尾と腹の部分の鱗が全く変わらないのだそうだ。今度、見ることがあったら見てみよう。え? 無論、本物を龍をさ!
「そこには」そなたには。老翁を指して呼びかけたもの。
「師傳ありて」絵師の師匠からの口伝でもあって。
「ふずくみて」「憤(ふづく)む・慍む」。但し、歴史的仮名遣は「ふづくむ」。近世より前は「ふつくむ」と清音。「腹を立てる・憤(いきどお)る」の意。
「せうこなき」「證據無き」。但し、歴史的仮名遣は「しようこ」でよい。]


