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2020/08/08

今日の先生の不吉な恐るべき魔の手の予覚

× Kのことを一時も忘れる事が出来ないという強迫観念を駆逐する手段①

読書に没頭して勉強をし、その結果を世間に公開する日の来るのを待とうとした。→既に頓挫

× Kのことを一時も忘れる事が出来ないという強迫観念を駆逐する手段②

『酒に魂を浸して、己れを忘れやうと試み』るも、『此淺薄な方便(はうべん)はしばらくするうちに私を猶厭世的にし』『た。私は爛醉(らんすゐ)の眞最中に不圖自分の位置に氣が付』き、『自分はわざと斯んな眞似をして己れを僞つてゐる愚物(ぐぶつ)だといふ事に氣が付く』のであった。『すると身振ひと共に眼も心も醒めてしまひ』、『時にはいくら飮んでも斯うした假裝狀態にさへ入り込めないで無暗に沈んで行く塲合も出て來』るようになってしまった。『其上技巧で愉快を買つた後(あと)には、屹度(きつと)沈鬱な反動がある』のであり、そうして『私は自分の最も愛してゐる妻と其母親に、何時でも其處を見せなければならなかつた』。→典型的なアルコール性精神病の疑似強迫神経症的病態の模範的症例

   *

静 「『何處が氣に入らないのか遠慮なく云つて』下さい」

静 「あなた『の未來のために酒を止め』て下さい」

静 「貴方は此頃人間が違つた」

静 「Kさんが生きてゐたら、貴方もそんなにはならなかつたでせう」

先生「左右かも知れない」

『と答へた事があ』つた『が、私の答へた意味と、妻の了解した意味とは全く違つてゐた』。だ『から、私は心のうちで悲しかつた』。『それでも私は妻に何事も說明する氣にはなれ』なかつた。『私は時々妻に詫(あや)ま』つ『た。それは多く酒に醉つて遲く歸つた翌日(あくるひ)の朝で』、そうすると『妻は笑』つ『た。或は默つてゐ』『た。たまにぽろ/\と淚を落す事もあ』つ『た。私は何方にしても自分が不愉快で堪まらなかつた』。『だから私の妻に詫まるのは、自分に詫まるのと詰(つ)まり同じ事になる』のであると気づき、結果して『私はしまひに酒を止め』『た。妻の忠告で止めたといふより、自分で厭になつたから止めたと云つた方が適當で』ある。――

   *

酒は止めたけれども、何もする氣にはなりません。仕方がないから書物を讀みます。然し讀めば讀んだなりで、打ちやつて置きます。私は妻から何の爲に勉强するのかといふ質問を度々受けました。私はたゞ苦笑してゐました。然し腹の底では、世の中で自分が最も信愛してゐるたつた一人の人間すら、自分を理解してゐないのかと思ふと、悲しかつたのです。理解させる手段があるのに、理解させる勇氣が出せないのだと思ふと益(ます/\)悲しかつたのです。私は寂寞(せきばく)でした。何處からも切り離されて世の中にたつた一人住んでゐるやうな氣のした事も能くありました。

 同時に私はKの死因を繰返し/\考へたのです。其當座は頭がたゞ戀の一字で支配されてゐた所爲(せゐ)でもありませうが、私の觀察は寧ろ簡單でしかも直線的でした。Kは正しく失戀のために死んだものとすぐ極めてしまつたのです。しかし段々落ち付いた氣分で、同じ現象に向つて見ると、さう容易(たやす)くは解決が着かないやうに思はれて來ました。現實と理想の衝突、―それでもまだ不充分でした。私は仕舞にKが私のやうにたつた一人で淋(さむ)しくつて仕方がなくなつた結果、急に所決(しよけつ)したのではなからうかと疑ひ出しました。さうして又慄(ぞつ)としたのです。私もKの步いた路を、Kと同じやうに辿(たど)つてゐるのだといふ豫覺が、折々風のやうに私の胸を橫過(よこぎ)り始めたからです。

『東京朝日新聞』大正3(1914)年8月8日(土曜日)掲載 夏目漱石作「心」「先生の遺書」第百七回より。一部を加工して示した)

   *

「同時に私はKの死因を繰返し/\考へた」Kの死に対する私の解釈の変容過程が示される。以下、私の板書。

   *

△「失恋のため」

☆先生は『私の裏切りのため』とは言っていない点に注意!

↓(あの自死はそんな単純な理由では理
↓ 解出来るような行為ではない~「失
↓ 恋」を理由として排除したわけでは
↓ ない点に注意!)

○「現実と理想の衝突」

↓(この説明では不十分~「現実と理想
↓ の衝突」を理由として排除したわけ
↓ ではない点に注意!)

◎「Kが私のようにたった一人で淋(さむ)しくって仕方がなくなった結果、急に所決したのではなかろうか」という結論に至る

↓(そうしてKの自死の場で感じたのと
↓ 同じように「また慄(ぞっ)とした」
↓ 何故なら)

「私もKの歩いた路を、Kと同じように辿っているのだという予覚」を持ってしまったから

   *

『――「Kが」「たつた一人で淋(さむ)しくつて仕方がなくなつた結果」、自死したように

――「今の私」も「たつた一人で淋しくつて仕方がな」い

――そしてその「結果」として、私も自死するしかないのではないか』

という、この先生の《絶対の孤独》の観念こそが《「心」の文字通りの――前・核「心」――》である。

――何故、前(ぜん)核心であるか?

本作の最後の先生は「淋(さむ)しくつて仕方がなくなつた結果」として自決したのではないからである――

……余すところ……「心」は三回分である……

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