萬世百物語卷之一 三、獨身の羽黑詣 (宮本武蔵! 見参!)
三、獨身の羽黑詣
[やぶちゃん注:「江戸文庫」版の挿絵をトリミングして合成した。]
あだし夢、宮本武藏は世にしれる兵法者(ひやうはうしや)なり。若きころしゆ行のついで、
「出羽の羽黑は靈山なれば、ふしぎをみん。」
と、夏草のしげみ、小篠(おざさ)の露、しげうたれ、ふみわくるあともなき道つけて、わけいりければ、「役(えん)の行者(ぎやうじや)」の心地ぞしける。
岩ねふみ、谷嶺越ゆれど、何のあやしことも見えず。昔年(そのかみ)はかゝる深山(みやま)の奧にも大社(たいしや)ありしと見えて、石ずへの大きなるが、こゝかしこ、形ばかり殘りて、柱はいつしかにくちはてみだりふしたり。
[やぶちゃん注:標題は「ひとりみのはぐろまうで」。「羽黑」は羽黒山(グーグル・マップ・データ航空写真)。現在の山形県鶴岡市にある。標高四一四メートル。出羽三山の主峰である月山の北北西山麓に位置する丘陵で、独立峰ではない。修験道を中心とした山岳信仰の山として有名。山頂には月山神社出羽神社湯殿山神社(出羽三山神社)がある。
「しゆ行」武者「修行」。
「宮本武藏」(天正一二(一五八四)年~正保二(一六四五)年)は言わずと知れた二刀流の二天一流兵法の開祖。
「役の行者」七世紀末に大和の葛木(かつらぎ)山にいたとされる呪術者。役小角(えんのおづぬ)とも呼ぶ。「続(しょく)日本紀」によれば、役君小角(えのきみおづぬ)とあり、秩序を乱したので六九九年に伊豆に流されたとする(それでも自在に空を行き来したという)。ここに出る鬼神「前鬼」・「後鬼」を使役して諸事を手伝わせたとされる。修験道の祖とされ、山岳仏教のある各山に役の行者の伝説が残る。
「石ずへ」ママ。「礎」は「石据え」が原義だから、「いしずゑ」が正しい。]
やうやう日もくれて、物の色めもわかぬ程、雲かげすかしてみれば、杉の立木大いなるに、くちたる木、このはなど、からげつけ、鳥の巢のさましながら、あやしくしつらひたる所あり。しげき木だちの中、日さへくるれば、何とわかちはみへねど、かく山ふかく至りて、是れ程のふしぎさへも見ねば、めづらしき心地し、
「いかさま、やうあらん。」
と、かたはらにしのびて、うかゞひおる。
[やぶちゃん注:「何とわかちはみへねど」「何んと、別かちは見えねど」で、闇の中、対象物がまるで識別出来ぬほどになったものの。
「いかさま、やうあらん」このように山深く参ったにも拘らず、少しの不思議や怪異にも遭遇しないので、そんな事態が逆に例のないことに思えて、「きっと、何か玄妙な訳があるに違いない。」と考えたのである。
「おる」ママ。]
やうやう戌(いぬ)の刻[やぶちゃん注:午後八時前後。]ばかりにもやなりなんとおもふほど、むかいの山尾さき、はるかに海邊ならば、あまのさへづりとや聞きなされん、鳥の音にはかはりて、こゑぞ近寄りける。
[やぶちゃん注:「戌の刻」午後八時前後。
「むかい」ママ。「向ひ」。正面向こう。
「山尾さき」山の尾根の遙か先の方。但し、日本海は山頂から直線で約二十二キロメートル離れる。ただ、以下のように、高山で遙か下界の街の音や人の声がすぐ近くに聴こえることはままあり、登山経験の中でもたびたびあった。これは上空の気温が地上付近より高くなっているために起こる現象で、実際、孰れのケースでも天気が悪くなることが多かった。
「あまのさへづり」「海人の囀り」聞きなれない都の人にとっては「鳥のさえずり」のように意味が分からないところから、漁師たちや漁村の田舎言葉の喩えとして、「源氏物語」にも登場する古語。本書の風雅趣味が出たもの。]
「扨てこそ。」
ときほひて、いよいよ、ひそまり、うかゞふ。
程なく巢のもとに來たりて、天狗ともいふべき、六尺ゆたかの大もの、まくろなるが、あららかなるこゑして、
「あるにや。」
と呼ふも、いかつなり。
[やぶちゃん注:「六尺ゆたか」六尺(一メートル八十二センチ)を超えるような背丈。言っておくと、因みに宮本武蔵の伝記として早い時期に成立した筑前福岡藩黒田家旧家臣立花峯均(みねひら)が著した「兵法大祖武州玄信公傳來』(へいほうたいそぶしゅうげんしんこうでんらい)によれば、武蔵の身長も六尺あったとする。
「まくろ」「眞黑」。
「いかつなり」「嚴(いか)なり」いかにも偉そうに力(りき)みかえっているさま。]
うちより、わかき女のこゑして、
「爰に。」
といふ。
武藏、いやましのふしぎに、なを音せで聞き居(を)る。
かのものゝいひける、
「かくまでしても、我がおもふ事、かなへぬにや。」
とせたぐ。
[やぶちゃん注:「せたぐ」「虐(せた)ぐ」。ガ行下二段動詞「しへたぐ」の音変化とされる。「攻めたてる」、「きつく責める・ひどい目にあわせる」、「せかせる・催促する」の意。意味はハイブリッドでよい。]
女、まめだちて、
「いかにのたまふともかなはじ。たゞころし給へてよ。」
と、なく。
かのもの、はらだち、
「さらばものみせてん。」
と、いひし。
しばらくありて女の、
「あ。」
と、さけぶに、
『あはれ、ころされしや』
と、おもふ。
大ものは、それより、巢をくだりて、もとの山路をわけ、聲して遠ざかる。今はかすかにもきこゑねば、どうの火、うち付け、かの巢にあがりてみるに、年は十六、七にもやなりけん、おもやせて、くろみたる中にも、あてなるさまは多かりける。
[やぶちゃん注:「どう」「强盜提燈」(がんだうぢやうちん(がんどうぢょうちん))のことだろう(「強」の「ガン」は唐音)。木板・銅板・ブリキ板などで釣鐘形の枠を作り、その中に自在に回転して常に立つようになっている蝋燭立てを取り付けたもの。光が正面だけを照らすので、持つ人の顔は見えないことから「忍び提灯」とも呼ぶ。単に龕灯 (がんどう)とも称する。「どう」で単なる蝋燭の意もあるが、武蔵は不審な声の主の元に行くために木を登っているので、後者ではあり得ない。]
武藏、
「何ものにか。」
と、とがむ。
女、おどろき、
「爰は人げなどすべき所にもあらず。何しにかおはしけん。」
と、あやしがる。
むさし、
「しかじか。」
と、語りて、
「あはれ、なんぢがいのち、たすけ、望(のぞむ)ならば里にもつれくだるべきが、さもあれ、わけ、いかに。」
と問ふ。
「我は此山のふもと、酒屋五左衞門と申すものゝ娘なり。先の男はこの國のがんどう、黑沼といへるくせものなるが、我を妻にせんと父母にいひよれど、かゝるものなれば、うけひかぬを、おのが友をかたらひ、大勢にて我をかどはし、さまざまにものすれど、父母のゆるさぬうへ、また、『かゝるおそろしきものの女にならんは、しにたらんこそめやすかるべけれ』と、たへて、つれなく日ごろをふるに、『さらば』といひて、かゝるあぢきなき所につれ來たり、『こときかぬがにくし』とて、ひとり、すておき、夜ごとに、さきの頃、かならず行き通ひて、せちにせたぐるがうへ、さきのごとく、小刀(こがたな)をはりにたてなんど、さいなめど、『いかにもして女にぐせん』とおもふより、命とるにもいたらず。がんどうにもや行くらん。時定(ときさだ)むるの外(ほか)、常(つね)には來たらず。くいものなどはさまざまにて、うゆる事なし。」
とかたるに、あはれのかず、まし、
「さらば、たすくべきが、たゞしては、かへりて、わざわひとなるべし。おもふしさいあれば、今宵はやみぬ。あすの夜、かならず、たすくべし。かまへてかまへて、色になあらはし給ふな。くせものにしられんこと、かたき事なり。先(さき)だちて、親にも、しらすべし。いづくの程にやあるらん、しるしなくてはうきたる事にやきゝなされん。」
と、ねんごろにものすれば、きたりける着物のつま、きりて、わたしぬ。よく慰めて里にくだれば、夜は明けにけり。
[やぶちゃん注:「爰は人げなどすべき所にもあらず」ここは凡そ人気など本来はあろうはずのないところ、人跡未踏の山奥にて御座います。
「がんどう」「强盜」。ここは文字通りの盗賊の輩(やから)。「がんだう」が正しい。
「うけひかぬ」「承け引かぬ」承知しない。「うけがはぬ」の方が台詞としてはいい感じがする。
「かどはし」「かどはす」は「かどはかす(かどわかす)」(「勾引(かど)はかす」「拐はかす」)に同じ。人を騙し、又は力ずくで他へ連れ去る、誘拐するの意。
「かゝるおそろしきものの女にならんは、しにたらんこそめやすかるべけれ」このように言うことをきかぬ恐るべき女というものは、死んじまうのが、これ、相応しいってもんだな。
「たへて」耐へて。我慢して。ここは台詞の直後に主語が娘自身になったものか。
「つれなく日ごろをふるに」ここも主語を娘ととり、思いに任せず、監禁の身を過ごしていたところが、か。前もこれも主語を黒沼とするなら、「絕えて」「思い通りに娘の心を動かせず」の意となるが、どうも台詞としては私にはしっくりとこない。
「あぢきなき所」ここは恐ろしい自由の聴かぬ不条理な場所の意であろう。
「さきの頃」先ほどの刻限になると。
「小刀(こがたな)をはりにたて」「はり」不詳。「梁」で背中の謂いかと思ったが、辞書にはそのような用法がない。しかし、それくらいしか私には想像出来ない。「針」に「心に突き刺さすようなものの喩えの意があるから、小刀を目の前にちらつかせて嚇すという謂いかも知れぬが、どうもそれでは、インパクトが弱い。
「ぐせん」「具せん」で「連れ添うて見せる」「添い遂げるやる」の謂いか。
「時定(ときさだ)むるの外」定時の戌の刻に責め苛む時以外は。
「うゆる事なし」ママ。「餓ゑることなし」の意。
「かたき事なり」「難きことなり」。非常によろしくない難しいことになってしまうのだ。
「うきたる事」当てにならない、いい加減な嘘。
「着物のつま、きりて、わたしぬ」証拠として、娘の着ている着物の褄(つま)、裾(すそ)の端を引き千切って、武蔵に渡したのである。]
五左衞門が宿たづねて、
「旅人なり。やどたまへ。」
といふ。かしてければ、やうやうに、人なき間(ま)をうかゞひ、ひそかに、
「しかじか。」
の事、かたり、しるしを見せければ、夫婦ともに、泣きみ、わらひみ、ありがたがるを、
「まづ、音なせそ。一家のものにもつゝしむべし。その儻(たう)のきゝなんは、尤(もつとも)うきことなるべし。」
とて、口、かためぬ。ふたりの悅び、うきことにとりそへ、其日のくるゝ程、あまの羽衣なでつくすらんより、久しかるべし。
[やぶちゃん注:「かしてければ」「貸してければ」。
「泣きみ、わらひみ」「み」は接尾語(接続助詞とも)で、動詞型活用語や打消の助動詞「ず」の連用形に付いて、「~み、~み」の形で「~たり、~たり」と、その動作が交互に繰り返される意を表わす。
「儻」この漢字は「もしくは・あるいは」すぐれる・他と異なる・心が定まらない」という意で意味が通じない。「党」と通じて「依怙贔屓(えこひいき)する」という意があるともあったから、ここは単に「黨(党)」の代字で「仲間」の意ある。
「口、かためぬ」何か賊どもに疑わられるような軽率な発言を決して口にしてはならぬと、口が酸っぱくなるほど言い含めたのである。
「うきことにとりそへ」「憂きことにとり添へ」。娘が黒沼にかどわかされた事実が「憂きこと」で、それに対照的に素晴らしいこととして武蔵の強力なる助力が添えられたことを謂う。
「あまの羽衣なでつくすらんより」「天の羽衣撫ず(あまのはごろもなず)」という成句があり、「非常に長い時間が経過すること」の仏説による故事に基づく喩えである。「天人が三年(一説に百年)に一度ずつ、降り下ってきて、方四十里もある巨石を、薄くて空気よりも軽い羽衣で撫でて、それでも、その石がすり減ってなくなってしまうよりも、もっと長い時間」の謂いである。その日の夜、武蔵が娘を救いに行くことを知って、その日が暮れるまでの時間が一日千秋どころではなかったという誇張表現である。よく知られたものでは、「拾遺和歌集」(寛弘三(一〇〇六)年頃の成立か)の「巻第五 賀」の「よみ人しらず」(但し、平安前期の歌人で三十六歌仙の一人である坂上是則(これのり ?~。延長八(九三〇)年:坂上田村麻呂の四代の子孫)の家集「是則集」に載っている)の「題知らず」の一首(二九九番)、
君が世は天(あま)の羽衣まれにきて撫(な)づとも盡きぬ巖(いはほ)ならなん
である。]
武藏は、よく、口、かため置いて、女のきかゆべきそなど、肩にかけ、かの所に至りてみれば、女も夢みたるやうに、まこともさだめがたけれど、あいなきたのみに、けふの日、まちくらす程、日ごろのこゝろには、かはるなるべし。
[やぶちゃん注:「きかゆべきそ」「着換(きか)ゆべき衣(そ)」。
「まこともさだめがたけれど」あまりの順調な展開に夢ではないか、真実(まこと)のこととは思うことが出来ぬほどであったけれども。
「あいなきたのみ」「あいなし」は歴史的仮名遣は不明。今までは思っても甲斐のない頼みであったのだが。]
女をば、かたはらに、よくよくしのばせ、武藏、入りかわりてまちけるに、さきの夜のごとく、むかふより音して、近より、又あらけなきこゑする。
「爰に。」
といふこたへと同じく、かきいだきて、おしふせ、やすう、なわ、かくるに、
「こは心得ず。」
と、いへば、
「我こそ、宮本武藏、ござなれ。汝が惡、こゝに極まれり。」
と引き立つる。
「さてこそあらめ、よのつねにて、我を、かくせんもの、覺(おぼえ)なし。ゆだんして。」
と口惜しがる。
それより、女を黑沼におゝせ、
「すこしもあやまらば、もの見せん。」
と、こゑかけ、ふもとちかふならん程、谷がけの、巖(いはほ)そばたちたる所より、黑ぬまを、なわかけしまゝにて、けおとしける。
千丈もあるべき谷なれば、なでう、たまるべき。
それより、娘をかいおひて、親どもにわたしける。その時のうれしさしるべし。
武藏は、かくて、陸奧へぞ下りける。
[やぶちゃん注:「入りかわりてまちけるに」娘が軟禁されていたのは高木の先の方で、女人一人では降りれないような場所であったものと思われる。だから、逃げ出したり、家に戻ることが出来なかったのである。今日は、そこに至って、娘を背負うて、木を下り、近くの叢に彼女を隠し、武蔵は再び木を攀じ登り、娘と入れ替わって待ったのである。
「あらけなき」「荒けなき」。荒々しい、乱暴な。
「こたへ」「應(こた)へ」。武蔵が女声を真似たのである。
「かきいだきて、おしふせ、やすう、なわ、かくるに」「搔き抱きて、壓し伏せ、易う、繩(なは)、掛くるに」。
「さてこそあらめ、よのつねにて、我を、かくせんもの、覺(おぼえ)なし、ゆだんして。」「さても! そういうことかッツ! 然れども、世の常の者どもで、我れをこのように手もなく押さえて縛り上げる奴(きゃつ)は! これ、あろう筈はないものを! くそッツ! 油断してしもうたわッツ!」。
「女を黑沼におゝせ」「おゝせ」は「負はせ」で、娘を黒沼に背負わせたのであろう。
「すこしもあやまらば、もの見せん」「ちょっとでも心得違いを起こして何かしようとしたら、目にものみせてやるから、覚悟しとけ!」。
「巖(いはほ)そばたちたる所」「巖」(の)「岨立ちたる所」。断崖絶壁。
「けおとしける」「蹴落としける」。
「千丈」三千三十メートル。無論、誇張表現。
「なでう」「なにてふ」の縮約で、ここは反語の副詞。
「かいおひて」「搔き負ひて」の音便。]
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