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2020/08/10

大和本草卷之十三 魚之下 鯔魚(なよし) (ボラ・メナダ)

 

鯔魚 又和名口女伊勢鯉又名吉ト云日本記神代

巻下曰口女即鯔也海中及潮ノ入ミナトニアリ最

小ナルヲヱフナト云ヱフナヨリ少大ナルヲイナト云ヤヽ

大ナルヲスバシリト云此三ハ皆其小ナル時ノ名ナリ最

大ナルヲボラナヨシイセゴイト云所ニヨリテ方言カハレリ

餘姚縣志ニ枕人謂之蛇頭ト記セリ其首ヘヒニ似

タレハナリ冬春味ヨシ夏秋不美ボラ味尤ヨシ海

ボラニマサレリ凡鯔ハ江湖泥多キ處ニ正スルハ脂多シ

性不悪トイヘ𪜈脂多キハ病人ニ不宜停滯シヤスク生痰

其子脯トスカラスミト云フ馬鮫魚ノ子ノコトシ其味

マサレリ又其腹臼アリ食乄味美ナリ無毒

○やぶちゃんの書き下し文

鯔魚(なよし) 又、和名「口女」、「伊勢鯉」、又、「名吉」と云ふ。「日本記」神代巻〔の〕下〔(もと)〕に「口女」と曰ふは、即ち、鯔なり。海中及び潮の入るみなとにあり。最小なるを「ゑふな」と云ひ、「ゑふな」より少し大なるを「いな」と云ひ、やゝ大なるを「すばしり」と云ふ。此の三つは皆、其の小なる時の名なり。最大なるを「ぼら」「なよし」「いせごい[やぶちゃん注:ママ。]」と云ふ。所によりて方言かはれり。「餘姚縣志〔(よとたうけんし)〕」に『杭人〔(かうひと)〕、之れを「蛇頭〔(じやとう)〕」と謂ふ』と記せり。其の首、へびに似たればなり。冬春、味よし。夏秋、美〔(よ)から〕ず。ボラ、味、尤もよし。「海ぼら」にまされり。凡そ鯔は江湖〔の〕泥多き處に生ずるは、脂〔(あぶら)〕、多し。性、悪〔(あ)し〕からずといへども、脂多きは病人に宜しからず。停滯しやすく、痰を生ず。其の子、脯(ほしもの)とす。「からすみ」と云ふ。馬鮫魚〔(さはら)〕の子のごとし。其の味、まされり。又、其の腹に臼〔(うす)〕あり。食して、味、美なり。毒、無し。

[やぶちゃん注:ボラ目ボラ科ボラMugil cephalus。本記載にもいろいろな呼称が現れるように、成句の「トドのつまり」で知られる出世魚。幾つかのネット上の記載を総合すると、現在、関西では成長に伴った呼び名の変化は以下のように整理される(途中の呼称が脱落する地域も多い)。全国的には、下記に示した以外に益軒の記述に現れる「口女」(クチメ)や「伊勢鯉」(イセゴイ:歴史的仮名遣では「いせごひ」である)・ツクラ・メジロ・マクチ・クロメ・シロメ・チキバクギョ・ホウフツ・コザラシ・トビ等の多彩な地方名・異名・出世名を持つ。ボラの稚魚・幼魚の呼称に至っては、オボコ・イキナゴ・コズクラ・ゲンプク・キララゴなど、六十種を越えるとも言われる。

ハク(約2㎝~3㎝)≒シギョ

 ↓

オボコ・スバシリ(約3~18㎝)≒エブナ

 ↓

イナ(約18~30㎝)≒エブナ・ナヨシ

 ↓

ボラ(約30㎝以上)=クチメ・コザラシ

 ↓

トド(特に大型の個体)

因みに、関東では一般には、

オボコ→イナッコ→スバシリ→イナ→ボラ→トド

の順となる。加えて表記した通り、同じく情報を総合すると、本文中に現れる「名吉」(ナヨシ)はボラと同義ではなく、手前の段階のイナの異称であることが多いようであるが、勿論、これらは地域や人によって、その認識に差がある。なお、益軒はどうもボラを淡水魚(「江湖の泥多き處に生ずる」ボラと言っている)と認識して、海産を「海ぼら」と区別して呼んでいるが、これは無論、誤りで、川を遡上するのはボラの幼魚である。今でもしばしば驚くべき大群を成してニュースになったりする。

「口女」一部地域では、ボラの川に遡上する幼魚の個体群をこう呼ぶことは事実である。これだけを見ていると、ボラの口が女性のようにちょっと小さい(事実、成魚では魚体の割に小さい)という意味で納得してしまいそうなのだが、これにはかなり厄介な問題がある。これらのことを別に「赤女」「赤目」(アカメ)とも称しているのであるが(ネット上の情報では能登地方で河川で釣れる「ボラ」を「アカメ」と呼び、遡上しない海洋回遊性のボラ個体の方を「シロメ」と言うとする)、まず、

①大きな問題は、現在、和名としての「アカメ」は全くの別種である、

スズキ亜目アカメ科アカメ属アカメLates japonicus

を指すからである。この真正の「アカメ」は西日本の太平洋沿岸のみに分布し、河口などの汽水域によく侵入する大型(全長一メートルを超える)の肉食魚で、ボラとは似ても似つかず、スズキをゴッツくした感じである。能登地方にはいないのだから問題はないとも言えるが、これはボラの話を一般に語る場合には混乱を起こさせることに注意しなくてはならない。但し、このアカメはボラを捕食することでも知られているから、満更、無縁という訳でもないが。さて、

②次に更に問題なのは、「赤目」及び「赤女」「口女」という漢字表記で、実はボラの仲間に、ボラにそっくりな(個体によっては実際、ボラと区別がつかぬほど似ている)、

ボラ目ボラ科メナダ属メナダLiza haematocheila

(漢字表記は「女奈太」)がおり、これは実は「アカメ」と呼称されることが、ままあるからである。しかも、本種を含むメナダ属の仲間の多くが、魚類の眼や口が赤や橙色に見えることがあるからである。即ち、これを知ると、「口女」「赤女」(あかめ)というのは紅を塗ったように赤い口をしたボラ型の魚であり、「赤目」に至っては間違いなくボラではなく、メナダである可能性が高率であるというになるである(この赤い目はメナダがボラと異なり、眼を被う脂瞼(しけん:一部の魚類(真骨魚類の中で回遊性を有する浮魚に良く見られる)の眼に見られる半透明の膜で、目蓋状に眼の一部或いは殆ど全部を覆っている。視力補正や眼球保護のためともされるが、その機能については明確な定説はない)があまり発達していないことと関係するものではないかと思われる)。

 そこで、ふと、昔を思い出した。中学の頃、高岡の伏木の国分港で、もの凄い力で引かれながら三十センチほどの魚を漸くに釣り上げた時、引きの強さに寄って来た青年が、釣った魚を見て「なんじゃい、ボラやないけ」と言ってせせら笑って去っていたのを。その時、甚だ不本意な言われ方をした可哀そうなその魚に目を落した時、その魚の目が真っ赤に血に染まって見えたのだ。針が引っ掛かったわけではなかった。何故なら、反対の目を見ると、同じように真っ赤だったからである。『不思議だな。必死になって針を外そうとして鬱血したのかな』と内心、哀れに思ったのを今さらに想起したのだ。「そうか! あれはボラじゃなくてメナダだったんだ!」と今、気づいたのである。

「伊勢鯉」サイト「日本の旬・魚のお話」の「鰡(ぼら)」によれば、これは関西・北陸での地方名で、『伊勢に多産し、魚形が鯉に似ているところからと』され『るが、「イセ」は「エセ」の転訛で、「エセ」とは似て非なるものを言うことから、鯉に似て鯉にあらざる魚の意であろう』とあり、激しく腑に落ちた。コイには似とらんもの。なお、同記載には、和名ボラについて、『その語源については『大言海』に、「ボラとは腹の太き意なり、腹とは広・平・原と同義なり」とある。また、『本朝食鑑』や『本草綱目啓蒙』に、ボラは腹太の意とでている。これは、中国の春秋時代の北狹(ほくてき)の用語で、「角笛」を意味する「ハラ」という語の転訛であり、法螺貝(ほらがい)の呼称「ホラボラ」と同源同義語らし』く、『ボラの呼称は、魚形が「角笛」に似ていることから、中国の胡語「ハラ」が転じて「ボラ」になったのであろう』とある。但し、「本草綱目」に以下のように出る。

   *

鯔魚【宋「開寳」。】

釋名子魚。時珍曰、『鯔、色鯔黑、故名。粤人訛爲子魚。』。

集解志曰、『鯔魚生江河淺水中。似鯉、身圓頭扁、骨軟、性、喜食泥。』。

時珍曰、『生東海。狀如青魚、長者尺餘。其子滿腹、有黃脂味美、獺喜食之。吳越人以爲佳品、醃爲鮝腊。』。

氣味甘、平、無毒。

主治開胃、通利五臟。令人肥健。與百藥無忌【「開寶」。】。

   *

しかし、「鯔魚生江河淺水中。似鯉、身圓頭扁、骨軟、性、喜食泥」というのは、下線部からボラではないものを指していると私は判断する。ボラの骨は太くて硬いからである。「粤人」(えつひと)は古代中国大陸の南方、主に江南と呼ばれる長江以南から、現在のベトナム北部に至る広大な地域に住んでいた、越人諸族の総称である。

「名吉」「和名類聚抄」の巻十九の「鱗介部第三十 龍魚類第二百三十六」に、

   *

鯔 孫愐「切韻」云、『鯔【「側」「持」反。】魚名也』。「遊仙窟」云、『東海鯔條【「鯔」、読「奈與之」。條讀見飮食部。】。』。

   *

と出る。この「奈與之」(奈与之:なよし)については、多くの書で、ボラが成長するに連れて名が変わる出世魚であることから、めでたい魚として「名吉」の意からついたとされ、古くから、ボラを正月のしめ繩に挿して祝ったり、七五三の祝いに用いるなど、めでたい魚とされており、「名吉」を「みやうぎち」(みょうぎち)とも呼ぶなどと書いてあるのだが、私はどうもこの語源説が信じ難い。そもそも出世魚となるのは、ずっと時代が下ってからであり、以下に見る「日本書紀」では、忌み嫌われる魚として登場するからである。実際に泥臭い、生臭い魚としてあまり喜ばれない(但し、これは沿岸汚染が進んだ近代以降のことである)。但し、その忌まわしさを払拭するために逆に縁起のいい名にしたと言われれば、まあ、そうかなとも思いはする。実際、そうする説を見出した。江戸後期の国学者伴信友(ばんのぶとも 安永二(一七七三)年~弘化三(一八四六)年)の考証随筆「比古婆衣(ひこばえ)」(全二十巻・弘化四(一八四七)年より刊行開始)の「三の卷」の「口女」である。『此魚をなよしといふは名吉の義にて』『かの不ㇾ得ㇾ預天孫之饌、卽以口女魚以不進御者、此其緣也、とある古事を忌々』(いまいま)『しみて此を食料とするうへに言忌』(こといみ)『して名吉と呼かへたるものなるべし』とあるのがそれである。国立国会図書館デジタルコレクションの「伴信友全集」第四巻(明治四二(一九〇九)年国書刊行会刊)の当該部の画像を視認して電子化した(左下段中央よりやや右手から始まる部分)。

『「日本記」神代巻下』「日本書紀」の第十段一書第二に、

   *

一書曰。門前有一好井。井上有百枝杜樹。故彥火火出見尊跳昇其樹而立之。于時海神之女豐玉姫。手持玉鋺來、將汲水。正見人影在於井中。乃仰視之。驚而墜鋺。鋺既破碎不顧而還入。謂父母曰。妾見一人在於井邊樹上。顏色甚美。容貌且閑。殆非常之人者也。時父神聞而奇之。乃設八重席迎入。坐定。因問來意。對以情之委曲。時海神便起憐心、盡召鰭廣・鰭狹而問之。皆曰。不知。但赤女有口疾不來。亦云。口女有口疾。卽急召至。探其口者。所失之針鉤立得。於是海神制曰。儞口女從今以往。不得吞餌。又不得預天孫之饌。卽以口女魚所以不進御者。此其緣也。

   *

知られた「海彥山彥」の山幸彦(「彥火火出見尊」)の物語の釣り針探しのワン・シークエンスである。サイト「擅恣企画」のこちらに現代語訳が載るので見られたい。天皇の御膳に鰡は出さないという禁忌の根っこである。「日本書紀」には第十段一書第四にも『海神召赤女・口女問之。時、口女自口出鉤以奉焉。赤女卽赤鯛也。口女卽鯔魚也』と出るのが、「口女」初出の総てである。この「鯔魚」を「なよし」と訓じている注釈があるが、果して、それは、どうか? 根拠は探し得ず、よく判らぬ。

「ゑふな」「江鮒」。

「いな」「稻魚」。これは川を遡上した幼魚が一部、稲田に入り込んでくることによるとされる。

「すばしり」「洲場走」「洲走」砂浜の浅瀬や潮溜まりにいてすばしっこく泳ぐことから。

「餘姚縣志」明の沈應文らの編纂になる余姚県(現在の余姚(よとう)市。上海の南、杭州湾の対岸湾奥で銭塘江の河口に近い)の地誌で一六〇三年刊。

『杭人〔(かうひと)〕、之れを「蛇頭〔(じやとう)〕」と謂ふ』国立国会図書館デジタルコレクションでやや手こずったが、原本である「新脩餘姚縣志」の第十一巻のここあるのを見出せた。右から六行目(罫線で数えて)の「鱗介之品」の二項目に「鯔魚」があり、ほぼ冒頭部にこの記載がある。言わずもがなであるが、「杭人」(杭州の民)を「かうひと」(こうひと)と読むのは漢文の慣例(地名に附く「人」は訓読みする)。ボラの頭部は非常に特徴的で、頭部先頭が縦方向に平たくなって、上顎がやや突き出ており、大きな眼の後部から先だけを横から見ると、実際、蛇の頭にちょっと似ているのである。

「冬春、味よし」ボラの旬は新暦で十月から一月とされる。海水温が低い時期のボラは体温保持のために脂のノリがよい。特に「寒ぼら」と呼ばれて地方によっては好んで食される。

「停滯しやすく」消化されずに、胃腸にたまり易いことを言う。

「脯(ほしもの)」干物。

「からすみ」「唐墨」「鰡子」「鱲子」などと書く。ボラなどの卵巣を塩漬けして塩抜き処理を施した後、天日干しで乾燥させたもので、名の由来は、その形状が中国から送られた墨=唐墨に似ていたことによる。ウィキの「カラスミ」によれば、『日本ではボラを用いた長崎県産のものが有名だが、香川県ではサワラ』(スズキ目サバ亜目サバ科サバ亜科サワラ族サワラ属サワラ Scomberomorus niphonius。本文に出る「馬鮫魚」)『あるいはサバ』(サバ科サバ属マサバ Scomber japonicus・ゴマサバ Scomber australasicus)『を用いる。日本以外でも台湾やイタリアのサルデーニャ島』(「ボッタルガ」として有名)・スペイン・エジプトでも作られている。『原材料として、ヨーロッパではボラ以外の海産魚の卵巣も』多く『用いられ、台湾にはアブラソコムツ』(サバ亜目クロタチカマス科アブラソコムツ属アブラソコムツ Lepidocybium flavobrunneum:深海魚で本邦でも獲れるが、身の食用流通は禁じられている。ヒトには消化出来ないワックス・エステル(Wax ester)を肉に多量に含むためで、味は大トロのようなものだが、激しい瀉下を引き起こす)『を使うものもある』。『江戸時代より、肥前国のからすみは、越前国のウニ、三河国のコノワタとともに、日本の三大珍味と呼ばれている』。『塩辛くねっとりとしたチーズのような味わいは、高級な酒肴として珍重される。薄く切り分けて炙り、オードブルに供したり、すりおろして酢を混ぜてからすみ酢にしたりして使用する』。『「からすみ」の名は、一説には肥前国の名護屋城(現在の佐賀県唐津市)を訪れた豊臣秀吉が、これは何かと長崎代官・鍋島信正に尋ねたところ、洒落で「唐墨」と答えたことに由来するとも言われている』。製法は、①『ボラの腹を注意深く切り開き、卵巣を包む膜を破らないように取り出』し、②『取り出した卵巣の形を保ったままていねいに水洗いし、食塩を塗りつけ、樽に収めて』三日から六日間の『塩漬けを行う』。その後、③『樽から出して水洗いし、真水を満たした半切桶に入れる。一昼夜後に水中で揉んで軟らかさを確かめ、卵巣全体が均一に軟らかになっていれば』、『塩抜きを終わる。この時の塩加減が味を左右するといわれる』。④『塩漬けと塩抜きとを終えた卵巣を、傾斜させた木板の上に並べる。一並べしたら』、『卵巣の上に別の木板を載せる。これをくり返して』五『段ほどに積み重ね、一晩放置して余分な水分を除く』。⑤翌日、『板を去り、卵巣全体の形を整え、直射日光を避けて乾燥を続ける。夜間には再び重ねる。水気を抜いて翌日日乾しにし、夜間は再び積み重ねる』という作業を繰り返しつつ、『表面に浮き出る脂肪分を適宜に拭き取りながら、約』十『日間の天日干しを繰り返して仕上げ』となる。『からすみは古くからギリシャやエジプトで製造されていた』ものが、『安土桃山時代に中国(明)から長崎に伝来したといわれている』。『中国からの伝来当時はサワラの卵を原料として製造されていたが』、延宝三(一六七五)年に『高野勇助が長崎県・野母崎付近の海域で豊富に漁獲されるボラの卵で製造することを案出した』とある。高野勇助を初代とする「元祖からすみ 髙野屋」は長崎県長崎市築町に今も続いている(リンク先は公式サイト)。

「其の腹に臼〔(うす)〕あり」所謂、「ボラの臍(へそ)」或いは「算盤玉(そろばんだま)」と呼ばれる部位。ボラは貪欲な雑食性で、水底の砂泥を泥沙ごと搔き食うために強い胃を持っており、その厚く筋肉が発達した幽門部(胃が腸に繋がる前庭部分)がその正体である。]

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