大和本草卷之十三 魚之下 比目魚(カレイ) (カレイ・ヒラメ・シタビラメ)
比目魚 此魚背黑ク腹白クシテ魚ノ半片ノ如シカ
タワレイヲト云意ニテ畧乄カレイト名ツク目ハ一處ニ
二アリ近シ一名鰈二種アリ一種ハツネノカレイ也
一種ハ鞋底魚ト云關東ニテ平目ト云カレイクツゾコ
共ニ腹ヲ地ニスリテヲヨク或云丹後ノムカシカレイニ毒ア
リト云不然本無毒凡漁人カレイヲ取テハ塩水ニテ
蒸シ半熟乄海濵ニ多クアツメ沙上ニ置テワラ席ヲ
オホヒ温濕ノ氣ニテ蒸シテ後少ホス丹後ノムシガレイ
是也湿熱ノ氣ヲフクンテ正味ヲ失ナフ食スレハ或腹
痛ス故病人ニ害ヲナシコト有之其子モ同故其子
ヲ食スレハ腹痛スルコトアリ小兒不可食生カレイハ無
毒益人生ナルヲ如常蒸乄食ス最美シ性ヨシ
○やぶちゃんの書き下し文
比目魚(かれい[やぶちゃん注:ママ。]) 此の魚、背、黑く、腹、白くして魚の半片〔(はんぺん)〕のごとし。「かたわれいを」と云ふ意にて畧して「かれい」と名づく。目は一處に二〔つ〕あり、近し。一名「鰈」。二種あり。一種は、つねのかれいなり。一種は「鞋底魚(くつぞこがれい)」と云ふ。關東にて「平目〔(ひらめ)〕」と云ふ。「かれい」・「くつぞこ」共に腹を地にすりて、をよぐ[やぶちゃん注:ママ。]。或いは云はく、「丹後の『むしがれい』に毒あり」と云ふ〔も〕、然〔(しか)ら〕ず、本〔(もと)〕、毒、無し。凡そ漁人、かれひを取りては、塩水〔(しほみづ)〕にて蒸し、半熟して海濵に多く、あつめ、沙上に置きてわら席〔(むしろ)〕をおほひ、温・濕の氣にて蒸して後〔(のち)〕、少し、ほす。丹後の「むしがれい」是れなり。湿・熱に氣をふくんで、正味〔(しやうみ)〕を失なふ。食すれば、或いは腹痛す。故、病人に害をなすこと、之れ、有り。其の子も同じ。故、其の子を食すれば、腹痛することあり。小兒、食ふべからず。「生〔(なま)〕かれい」は、毒、無し。人を益す。生なるを常のごとく蒸して食す、最も美〔(うま)〕し。性〔(しやう)〕、よし。
[やぶちゃん注:魚上綱条鰭(硬骨魚)綱カレイ目カレイ亜目ヒラメ科ヒラメ属ヒラメ Paralichthys olivaceus に、カレイ目カレイ科 Pleuronectidae のカレイ類も含めた叙述である。「ぼうずコンニャクの市場魚類図鑑」の「ヒラメ」のページに、『東京での呼び名。もともとヒラメは東京近郊の限られた地域のみで使われていた呼び名。本来はカレイ、カレなどとされ、異体類(カレイ目で目が左右どちらかに移動している)は区別されていなかった』とあり、他にも『比目魚はヒラメも含めてカレイ類全般のことで、ヒラメもそのひとつ』に過ぎないとある。この事実は現在は関東の方言呼称でしかなかった「ヒラメ」が、今や、全国区まで幅を利かすようになり、誰もが異口同音に「左ヒラメに右カレイ」と鬼の首を捕ったように区別が叫ばれ(言っておくと、この分類法は厳密には正しくない。頭部の左側に目を持っているヌマガレイ属ヌマガレイPlatichthys stellatus がいるからである)、よく知られているとは思われないから、特に太字で示した。また、『「ひら」は』「平たい」こと、『「め」は魚』を表わす広汎な『接尾語』であり、『漢字「平目」』の本邦での初出は、医師で本草学者であった人見必大(ひとみひつだい 寛永一九(一六四二)年頃?~元禄一四(一七〇一)年)が元禄一〇(一六九七)年に刊行した本邦最初の本格的食物本草書「本朝食鑑」が最初であるようである。但し、ヒラメとカレイとを人見が弁別していたかどうかは定かではないと「本朝食鑑」東洋文庫(一六九七年刊)の島田勇雄氏の訳注にはある。ただ、ウィキの「ヒラメ」によれば、『ヒラメという名が現れたのは14世紀ごろだが、日本では19世紀以前にはカレイとヒラメは区別されておらず、大きいものをヒラメ、小さいものをカレイと呼んでいた。はっきりと別種として扱った文献は小野蘭山』述の「本草綱目啓蒙」(享和三(一八〇三)年)が『初出である』とある。「重訂本草綱目啓蒙」第四十八巻の「比目魚」(国立国会図書館デジタルコレクションの原本画像)で、その解説中の左頁の最後の部分で、ヒラメを『カレイノ一種ナリ形カレイヨリ狹長ニシテ薄シ故ニ クツソコ及ウシノシタノ名アリ唐山』(中国のこと)『ニテモ鞋底魚トナヅク一二寸ヨリ一尺四五寸ニイタル左一片ハ黑』(ここから次のコマ)『クシテ細鱗アリ兩ノ小目アリ』とある。一方、そのコマの左頁の後ろから三行目を見られたい。そこで『カレイハ形鯧魚(マナガツヲ)』(スズキ目イボダイ亜目マナガツオ科マナガツオ属マナガツオ Pampus punctatissimus。同種は側扁形の平べったい外見を成す)『ニ似テ狹ク扁』(ひらた)『クウスシ長サ一尺二寸ナレハ濶サヒレトモニ五寸五分バカリ頭小ク觜尖レリソノ身右一片ハ黑クシ』(ここから次のコマ)『テ細鱗あり雙眼相並テ近シ左一片ハ形平ニシテ色白シ鱗ナクシテ細紋アリ』(以下略)と述べていることから、蘭山が確かにヒラメ(但し、左体側に目を持つ多種(カレイ目カレイ亜目ウシノシタ上科ウシノシタ科 Cynoglossidae など)も含んでいるように読める)とカレイを識別していることが判る。
『「かたわれいを」と云ふ意にて畧して「かれい」と名づく』「片割れ魚・片破れ魚」で、「割れた一片、又は、対になっているものの一方」或いは「一つのものから分かれた分身」の魚の意。但し、この語言説は、或いは益軒の考えたものである可能性がある。「本草綱目啓蒙」では、ここ(右頁から終行から左頁初行)で『カタワレイヲヲ畧シテ カレイト名クト大和本草ニイヘリ』とあるからである。因みに、ウィキの「カレイ」を見ると、『日本語の「かれい」は「唐鱏」(からえい)または「涸れ鱏」の転訛とされる』とあり、『「鰈」の「枼」は葉に由来し』、『薄いものの意』ともある(恐らく、皆、誤認していると思うが、「蝶のような魚」の意ではない)。また、『王が魚を半分食べたところを水に放すと泳ぎだしたとの中国の故事から』「王余魚」「王餘魚」とも『書くが』、これらは皆、『ヒラメをも含めた言い方である』とし、『漢名は「鰈」であるが、ヒラメとの混称で「偏口魚」、「比目魚」などとも呼ばれる』と記す。
「鞋底魚(くつぞこがれい)」現行ではこれはヒラメではなく、
カレイ目カレイ亜目ウシノシタ上科ササウシノシタ科 Soleidae(同科は右体側に目がある。ササウシノシタ科の殆んどの種は小さいため、殆んど漁獲対象とならず、獲れても捨てられる。従って流通にも出現しない。但し、食べられないわけではない。「ぼうずコンニャクの市場魚類図鑑」にはササウシノシタ属ササウシノシタ Heteromycteris japonica が載り、『じっくり揚げると丸ごと食べられる』とあるが、調べると、体長は十五センチメートル内外で如何にも小さい)及びウシノシタ科 Cynoglossidae(同科は左体側に目がある)の種群に総称。特に後者のウシノシタ科に属する魚の総称としては「シタビラメ」(舌平目)が水産庁が「別表1 国産の生鮮魚介類の名称例」で公的にウシノシタ科の総称として認定し、以下の二種が例として載る。
ウシノシタ科イヌノシタ亜科タイワンシタビラメ属クロウシノシタ Paraplagusia japonica
(体長は最大で三十五センチメートルほど。単に「ウシノシタ」と呼ばれることもあるほか、「クツゾコ」「ゲンチョウ」「ゲタ」「セッタガレイ」「ゾウリ」「ゾウリウオ」「チヨオギンカレイ」「ベロ」など多彩な地方名をもつ)
イヌノシタ亜科イヌノシタ属アカシタビラメ Cynoglossus joyneri(体長は二十五センチメートル程度)
両種は共に「シタビラメ」の代表格として流通でお馴染みである。ウィキの「アカシタビラメ」によれば、『有明海地方では靴の底に似ていることから、「くつぞこ」が次第に訛り、「クチゾコ」、「クッゾコ」と呼ばれて』おり、『岡山県などの瀬戸内地方東部では「ゲタ」と呼ばれ、煮付けの定番魚の一つとなってい』て、『山口県ではアカシタビラメを「レンチョウ」と呼び煮付けなどにする』とある。また、近縁種が複数おり、『それぞれ色や産卵時期も異なるが、混称としてアカシタビラメやクチゾコなどと呼ばれる』として、以下の三種が挙っている。
イヌノシタ属イヌノシタ Cynoglossus robustus
イヌノシタ属カラアカシタビラメ Cynoglossus semilaevis
イヌノシタ属コウライアカシタビラメ Cynoglossus abbreviatus
「丹後の『むしがれい』」丹後の名産品として知られるそれは、「笹がれい」(京都・関西)・「柳がれい」(関東)・現地では「若狭がれい」の呼称が古くから有名である。但し、これはヒラメ類ではなく、種としては、
カレイ目カレイ亜科カレイ科ヤナギムシガレイ属ヤナギムシガレイ Tanakius kitaharae
を用いたものを真正とする(同種は一時期、個体数が激減したが、近年は漁業者の努力により回復し、漁獲量は安定している)。因みに「むしがれい」の「むし」は「蒸し」ではなく、「蟲(虫)」であって、これは表側の左右に虫食い状の斑紋があることに由来する(カレイ科ムシガレイ属ムシガレイ Eopsetta grigorjewi では三対)。ウィキの「笹かれい」によれば、『若狭湾は、日本海の暖流と寒流が入り込むところで、リアス式海岸となっており、そこでとれるカレイは特に味が良いと言われ』四月中頃まで『漁が続けられる。若狭の笹かれいは、古くから高級食材として京都で珍重され』、「山海名産図会」(木村孔恭(こうきょう:号は兼葭堂(けんかどう))著で蔀関月(しとみかんげつ)画になる江戸後期の傑出した全国名産図会。但し、農林産物は少なく、水産と自然物採取が主。寛政一一(一七九九)年刊)にも、『「天下にまたとない朝廷の召し上がる珍味」と記されるほどの高い評判を得ていた』とある。また、『特にメスの笹かれいは橙色の卵巣が透けて見え、オスよりも美味しいとされ高値で販売されている』。『古くより小浜市を中心とする福井県若狭地方は、海に面していない京都へ日本海側で採れる魚類の供給地であり、若狭から京都へは笹かれいの他、浜焼き鯖や、ぐじ等も運ばれて食されていた』。製法は、『水揚げしたばかりの新鮮なヤナギムシガレイに淡塩を施し、串に刺して一晩、日陰干し(一夜干し)にするという単純なもの』とある。
「正味〔(しやうみ)〕を失なふ」本来の旨味を失うということで、不審。大変、美味である。どうも宵曲の好みは干物がダメで、刺身或いは蒸し物が好物であったらしい。
「其の子」胎内の卵。すっごい美味いのに!
最後に「本草綱目」を示しておく。
*
比目魚【「食療」。】
釋名【「鰈」、音「蝶」。】鞋底魚。時珍曰、『「比」、「並」也。魚各一目、相並而行也。「爾雅」所謂『東方有比目魚、不比不行、其名曰鰈』是也。段氏「北戶錄」謂之「鰜」、音「兼」。「吳都賦」謂之「魪」、音「介」、。「上林賦」謂之「魼」、音「墟」。鰈、猶屧也。「鰜」、「兼」也。「魪」、相介也。「魼」、相「胠」也。俗名「鞋底魚」。「臨海志」名「婢蓰魚」、「臨海風土記」名「奴屩魚」、「南越志」名「版魚」、「南方異物志」名「箬葉魚」。皆、因形也。』。
集解時珍曰、『按、郭璞云、「所在水中有之。狀如牛脾及女人鞋底。細鱗紫白色、兩片相合乃得行。其合處半邊平而無鱗、口近腹下」。劉淵林、以爲「王餘魚」、蓋不然。』。
氣味甘、平、無毒。
主治補虛益氣力。多食動氣【孟詵。】。
*]
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