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2020/08/04

大和本草卷之十三 魚之下 水母(くらげ) (杜撰なクラゲ総論)

 

水母 一名海蛇泥海ニアリ故備前筑後等ヨリ出無

毒能消宿食病人食スヘシ生ナルヲ取クヌギノ葉ヲ多

クキサミテクラケノ内ニ包ミ塩ヲ不用木ノ葉ヲマシヱ

桶ニ入フタヲオホヒ水ヲ入時〻水ヲカユル久クアリテ不

敗水ナケレハヤクルヤクルトハ枯テ不可食ナリ又唐クラケ

アリ水母ヲ白礬水ヲ以テ制乄簾ニヒロケ乾シテ白

クナリタル也味又ヨシ水蛇ハクラケニ似タリ食スヘカラ

ス是ハ泥海ニハ生セス水母無目以蝦為目トイヘリ

○やぶちゃんの書き下し文

水母(くらげ) 一名「海蛇」[やぶちゃん注:ママ。「蛇」は「」の誤字。後注を見よ。]。泥海にあり。故〔(ゆゑ)〕に備前・筑後等より出づ。毒、無し。能〔(よ)〕く宿食〔(しゆくしよく)〕を消す。病人、食すべし。生〔(なま)〕なるを取り、くぬぎの葉を多くきざみて、くらげの内に包み、塩を用ひず、木の葉をまじゑ[やぶちゃん注:ママ。]、桶に入れ、ふたをおほひ、水を入れ、時々、水をかゆる[やぶちゃん注:ママ。]。久しくありて、敗〔(くさ)ら〕ず。水、なければ、やくる。「やくる」とは枯れて食ふべからず〔なること〕なり。又、「唐〔(とう)〕くらげ」あり。水母を白礬水〔(はくばんすい)〕を以つて制して、簾〔(すだれ)〕にひろげ乾〔(ほ)〕して、白くなりたる〔もの〕なり。味、又、よし。「水蛇(みづくらげ)」は「くらげ」に似たり。食すべからず。是れは泥海には生ぜず。水母に、目、無し。蝦を以つて目と為〔(な)す〕といへり。

[やぶちゃん注:刺胞動物門ヒドロ虫綱 Hydrozoa・十文字クラゲ綱 Staurozoa・箱虫綱 Cubozoa・鉢虫綱 Scyphozoa に属するクラゲ類についての、極めて杜撰な総論。マニアックな広義のクラゲ様生物群の細かな分類学的な私の見解は、寺島良安「和漢三才圖會 卷第五十一 魚類 江海無鱗魚」の「(くらげ)」の注で示してあるので、是非、参照して頂きたい。

「海蛇」じゃあ、ないっつーの! 海! これは音は「カイタ・カイダ」。「」一字でクラゲを指す漢語である。

「備前・筑後等より出づ」というのは、

鉢虫綱根口クラゲ目ビゼンクラゲ科ビゼンクラゲ属ビゼンクラゲ Rhopilema esculent

或いは

ビゼンクラゲ科エチゼンクラゲ属エチゼンクラゲ Nemopilema nomurai

を指すようには読める。但し、益軒は食用クラゲとしての対象物として記しており、両者ともに古くから中華用食材とされてきたが、本邦では後者の食用加工の歴史がないので、益軒の在留地からも前者ビゼンクラゲのみを指すと考えるべきところである。なお、近年、有明海産のビゼンクラゲは他の海域のものと別種の可能性が浮上してきており、現在、研究が進められている。

「宿食」食べた物が消化しないで胃の中に溜まる症状を言う。読みは「しゅくじき」も可。

「くぬぎ」ブナ目ブナ科コナラ属クヌギ Quercus acutissima。なお、現行の加工法は、食用にする「傘」の部位以外の触手や附属器を取り除いて、真水で汚れやぬめりをよく洗浄し、

食塩と明礬(ミョウバン:硫酸カリウムアルミニウム十二水和物)で二~四日間漬け込むことで食用となるが、この後、二次加工で一週間程度さらに漬け込んだり、さらに三次加工で十日程度漬け込む場合もある。平城京出土の木簡に備前産クラゲについての記述があることから、クラゲの食習慣は古くからあったことが判り、江戸時代には既に食品として定着していた。

「水をかゆる」漬け込んである水を新鮮なものに交換する。

「やくる」「枯れて食ふべからず〔なること〕なり」「燒くる」であろう。乾燥が極度に進んでがりがりのミイラのようになることを謂うか。

「唐〔(とう)〕くらげ」辞書類はビゼンクラゲの異名とするが、それでは益軒に失礼だろう。私は益軒はエチゼンクラゲ属エチゼンクラゲを指して、かく言っている可能性が高いように思う。エチゼンクラゲは東シナ海・黄海・渤海(後の二所が繁殖地と考えられている)から日本海にかけて分布し、時に、その中国沿海で大量発生するが、それらの個体群の一部が海流に乗って日本海に流入し、対馬海流に乗って津軽海峡から太平洋へと移動したり、豊後水道附近でも確認された例があるからである。これはもう「唐くらげ」にピッタシじゃないか。

「白礬水」天然明礬(カリ明礬石製)を温水に溶かして冷やしたもの。

「水蛇(みづくらげ)」「水䖳」でお馴染みの鉢虫綱旗口クラゲ目ミズクラゲ科ミズクラゲ属ミズクラゲ Aurelia aurita。食用に加工して食べた御仁の記載が幾つかはあるが、処理が如何にも面倒であり、食後によろしくない状況が起こったとする記載もあった。想像するに、よほど多量のミズクラゲを一気に処理しないと食品にはなりそうに思われず、その処理中、外部の有害物質が混入する可能性が非常に高い気がする。私は少なくとも加工に挑戦する気にはならないし、味も決して美味いとは思われない。誰も本格的に行ったケースがない以上、やめた方がいいと存ずる。

「水母に、目、無し。蝦を以つて目と為すといへり」クラゲに目はある。眼点である。例えば、最も一般的なミズクラゲでさえも、傘の外縁に八箇所の感覚器が附属しており、一つの感覚器に二基の眼点を有するので、あのひ弱に見える彼らでさえ十六個の眼点を有し、光の強弱をそれらで識別している。箱虫綱 Cubozoa のクラゲ類の眼点にはレンズもあり、光に対して有意に反応する。箱虫綱アンドンクラゲ目イルカンジクラゲ科 Carukiida ヒクラゲ(火水母)属ヒクラゲ Morbakka virulenta は正の走光性を持ち、夜間のライトに集まっても来る。青森から九州の太平洋岸の湾内に棲息する日本固有種のカミクラゲ(髪水母)に至っては、その多数の触手の根元部分に百基もの眼点を有する。持たない種もいるが、そうした種でも光に反応する(如何なるメカニズムで光を感知するのかは未だに判っていない)。後の部分は、恐らくはエチゼンクラゲなどに寄生して一緒に旅をするクラゲモエビ Latreutes anoplonyx のことを指しているものと思われる。彼らは防衛・移動・摂餌を受け、地域差があるものの、共生関係が密接であるらしく(林健一・坂上治郎・豊田幸調らの共同論文「日本海および東北地方の太平洋岸に出現した工チゼンクラゲに共生するクラゲモエビ」(『CANCER』第十三巻・二〇〇四年・PDF)に拠る)、仮に彼らがクラゲの体表の有害な物質や生物を除去・掃除などしているとするならば(但し、そのような事実は上記論文に載っていない)、数少ない共生寄生となるのかも知れない(小学生の頃に盛んに「共生である」と図鑑に載っていたそれらも、後に実は宿主の体の一部を食っていたり、宿主の寿命が有意に短かったり、苦しんだりするという事実を知るにつけ、私は「共生」はヒトの考えた感性的な夢であり、その殆どが実は全くの「寄生」であり、「片利共生」(この言い方自体が「共生」でないのだから、非科学的な用語として廃止すべきと考えている。「片利寄生」でよい)か、宿主を弱らせるタイプのゆゆしい「寄生」が殆んどであると考えている。「共生」というバラ色的概念は、自然界の一般的な短い個体生命体の間にあっては、極めて稀れなものであると思う。自然史的な長いドライヴの中での寄生が、宿主の器官の一部に組要み入れられてゆくというような仮説(例えばミトコンドリア寄生生物説のような)としての例外は――まあ、あり得るかも知れぬと思うにしても――である)。]

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