大和本草卷之十三 魚之下 魴魚(まながつを) (同定はマナガツオでいいが、「本草綱目」の比定は大錯誤)
魴魚 其形方ナリ攝州泉州多シ京都ノ俗コレヲ以佳
品トス本草有一種火燒鯿其大有至二三十斤者
今案此魚大ナル者日本諸州往〻有之本草ニ云
所ノ如シ
○やぶちゃんの書き下し文
魴魚(まながつおを) 其の形、方(はう)なり。攝州・泉州、多し。京都の俗、これを以つて佳品とす。「本草」に、『一種有り。火燒鯿〔(くわしやうへん)〕。其の大いさ、二、三十斤に至る者、有り』〔と〕。今、案ずるに、此の魚、大なる者、日本諸州、往々に之れ有り。「本草」に云ふ所のごとし。
[やぶちゃん注:スズキ目イボダイ亜目マナガツオ科マナガツオ属マナガツオ Pampus punctatissimus。スズキ目サバ科サバ亜科マグロ族カツオ属カツオ Katsuwonus pelamis とは生物学的には縁も所縁もない別種で、全く似ておらず、その体型は似ても似つかぬ平たく丸い形を成す。体色が黒っぽい銀色で金属光沢があり、最大で六十センチメートル程に成長する。著しく側扁した平べったい盤状で、腹鰭がなく、鰓孔が小さく、鱗はすこぶる剥がれやすい。本邦では本州中部以南・有明海・瀬戸内海に分布する。「まながつを」は諸本草書では「學鰹」と漢字表記したりするが、「ぼうずコンニャクの市場魚類図鑑」のマナガツオのページによれば、『「真似鰹」の意味、カツオのいない瀬戸内海などでカツオがとれないので、初夏にとれる本種を「カツオに見立てた」ところから。「真似鰹(まねがつお)」から転訛したもの』というのが恐らく語源として納得できるもので、但し、『「魚のなかでも特にうまいため」』に『「真名魚」を「真な=親愛を表す語」で「真にうまいカツオ」の意』とし、『「真に菜にしてうまい魚」、「真菜が魚」からの転訛』も退けにくい(実際に本種はやや実の柔らかさに難があるが、美味い。現在は高級魚である)ものの、まるで似ていない「カツオ」を附する必要はないように思われる。
「方(はう)」このルビは判読が怪しい。スレがひどく、よく判らぬからである。国立国会図書館デジタルコレクションの別画像では改頁の一行目で背に詰まってしまって完全にルビが隠れていて比較のしようがない。虚心に普通に読めば、こうなる。私などはやや楕円の円盤状の魚体と表現するが、多くの記載は「方」形で四角とする。四十五度回転すると確かに四角くは見える。
「攝州・泉州」摂津国(現在の大阪府北中部の大半と兵庫県南東部)と和泉国(大阪府南西部)。これで大阪湾相当。
「京都の俗、これを以つて佳品とす」西日本では古くから高級魚として好まれた。
『「本草」に、『一種有り。火燒鯿。其の大いさ、二、三十斤に至る者、有り』〔と〕』(明代の一斤は約五百九十七グラムであるから、十二キロ弱から十八キロ弱に相当する。はっきり言ってこれはデカい。デカ過ぎる。マナガツオは最大でも四十センチメートルで、三キログラムほどにしかならない。この物理的な齟齬データをも益軒は平然と載せている。ちょっと気が知れない。マナガツオにもそんな大物がいるぐらいな勝手な憶測をしたものか?)「鱗之四」に、
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魴魚【音「房」。「食療」。】
釋名鯿魚【音「編」。】。時珍曰、『魴方也。鯿扁也。其狀方其身扁也。』。
集解時珍、魴魚處處有之、漢・沔尤多。小頭縮項、穹脊濶腹、扁身細鱗、其色青白、腹内有肪、味最腴美。其性、宜活水。故詩云、『豈其食魚。必河之魴。』。俚語云、『伊洛鯉魴美如牛羊。』、又有一種、「火燒鯿」、頭尾俱似魴而脊骨更隆、上有赤鬛連尾如蝙蝠之翼。黑質赤章、色如烟薰。故名。其大有至二三十斤者。
肉 氣味 甘、溫。無毒。
主治調胃氣利五臟。和芥食之、能助肺氣去、胃風消穀。作鱠食之、助脾氣、令人能食作羮臛。食宜人。功與鯽同。疳痢人勿食【孟詵。】。
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益軒は項主体である「魴魚」を無批判にマナガツオと採っているが、まず、基本が成ってない。「本草綱目」の同定比定でまず疑うべきは淡水魚の可能性である。広大な中国大陸にあっては、圧倒的に淡水魚が食生活に馴染まれており、そこでは海水魚の割合は存外に低いのである。ここもそこを最初に検証せねばならぬという最初の一歩を益軒は踏み間違えてしまっている(これは益軒だけの誤りではなく、「和漢三才図会」の時珍もそうで、彼の場合は「本草綱目」に依拠する度合いが(名にし負う「三才図会」よりも)遙かに高いのであるが、引用する際に意図的に淡水魚であることを示す記載部分をカットして海産魚に牽強付会する例が非常に多い)。時珍は「魴魚」の多産する場所を「漢・沔(べん)」と言っている。「沔水」は漢水の古称或いは漢水の上流の呼称である。漢水は長江中流の武漢で長江に合流する完全な淡水域である。されば、この魴魚は絶対にマナガツオではあり得ないのである。私は淡水魚は守備範囲でないので同定は躊躇したくなるのだが、中文サイトを縦覧した結果、この「魴」は日本には棲息しない、
硬骨魚綱コイ目コイ科クセノキプリス亜科 Oxygastrinae Xenocypridini族Parabramis 属ヒラウオ Parabramis pekinensis(現在最新の分類名で示した)
であることが判った。グーグル画像検索「Parabramis pekinensis」を見られたい。「なるほど!」と合点されることを請け合う。
されば、今度は「火燒鯿」だ。記載から見て、これも淡水魚で扁側し、しかも恐らく「火燒」から見て、魚体が鮮やかな紅色であると踏んだ。而してズバリ! 見つかった。
コイ目サッカー科 Catostomidaeイェンツーユイ(胭脂魚)亜科 Myxocyprininae イェンツーユイ属イェンツーユイ Myxocyprinus asiaticus
生息域は長江などに限定される一属一種の大型の淡水魚である。「維基文庫」の「胭脂魚」にも『火烧鳊』の異名が記されてある。当該ページの写真は幼魚であるが、邦文の「イェンツーユイ」の本文に、『全長は』六十センチメートルから一メートルと『大型になる。背びれの前側が帆のように高く突き出しているのが特徴』で、成魚の『体色は褐色で、幼魚には三本の黒い横縞がある。また背びれの高さは、成魚になるにつれて低くなる。その体色や形態が幼魚と成魚では異なるため、かつては別種(別亜種)にされていたこともあったが、現在は』同一『種とされている』とある。悲しいことに、こちらのウィキの写真も全く同じ幼魚だ。そこで、さてもグーグル画像検索「胭脂魚」を見給え! 川の中で成人女性が抱えている写真を見れば、その大きさからも記載の体重が誇張でないことが知れる。
因みに言っておくと、「魴魚」は海水魚としても、現代中国語ではマナガツオを指さない。
棘鰭上目マトウダイ目マトウダイ科マトウダイ属マトウダイ Zeus faber
を指す(和名は「馬頭鯛」。その特徴的な体両側の明瞭な縁取りをもつ円形の黒色斑(目玉模様。弓の的に似ている)から「的鯛」(まとうだい)でもあろう)。「維基文庫」の同種に、『遠東海魴、海魴、魴魚、鏡魚、鏡鯧、馬頭鯛、日本的鯛、豆的鯛、的鯛』の異名が載る。以上、益軒の最後の鬼の首獲ったような『「本草」に云ふ所のごとし』は完全に徹頭徹尾! 無効となる。]