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2020/08/11

萬世百物語卷之三 九、寵愛の一子

 

萬世百物語 三

 

   九、寵愛の一子

Tyouainoko

[やぶちゃん注:国書刊行会「江戸文庫」版所収の挿絵をトリミング合成した。但し、左右の縁側部分のズレがかなりあるので、密着させると、そのガタつきが却って不自然な印象を与えるため、少し中央を離して置いた。]

 

 あだし夢、いづれの時にかありけん、長門の國に奉公人の數(かず)多いながら、させる名ある身にもあらぬありけり。夫婦(ふうふ)あいすみて年久しけれど、子もなくてつねにうれいにし、神佛(かみほとけ)にまうづるにも只此事をなん、いのりけり。

[やぶちゃん注:「多い」ママ。

「うれいにし」ママ。「憂ひに爲(し)」であろう。

「神佛(かみほとけ)」「江戸文庫」版の読み。]

 

 住所(すみどころ)は郭外(かくぐわい)の陰町(かげまち)にて、晝といへど、人まれに、楊櫨(うつぎ)・木槿(はちす)の垣根も秋さびわたり、よ所(そ)よりはくらしがたかりけり。

[やぶちゃん注:「郭外」江戸時代ならば、萩城の城外。

「楊櫨(うつぎ)・木槿(はちす)」読みは「江戸文庫」版を参考にした。「楊櫨(うつぎ)」はマツムシソウ目タニウツギ(谷空木)属タニウツギ Weigela hortensis の別名で、「木槿(はちす)」はアオイ目アオイ科アオイ亜科フヨウ連フヨウ属ムクゲ Hibiscus syriacus の別名。蓮の花に似ている(とは思わないが)の意で「木蓮(きはちす)」の縮約か。]

 

 あたりの家に猫兒(ねこご)のいたいけしたるを尋出(たづねいだ)して、夫(をつと)の番などいふさびしき留(る)すをも、かれをとぎにしてぞ送りける。なるゝまゝ、いとあはれなるものに見なして、しばらくみへぬ折々あるだに、

「『こま』よ、いづくへ行きし、われにたづぬるくろうかけて。」

など、かきいだき、あたまをなで、口などおしつけ、あいするを、ちくせうといへど、したふならひ、目、うちほそめ、尾、うちふり、聲、やすらげて、あとにつきめぐり、もの給はんおりは、もすそになれむすぼゝれ、身すりつけなどするに、やがて心得、

「まてや、ものおません。」

と、たなのうへなる、まうけのやき魚(うを)、心とゞめ、うちまぜ、かいける。いにしへの「何のみやうぶ」とかや名づけさせ給ふて、あいさせ給ひけん、やんごとなきも、かくまでやは、と、おぼゆ。

[やぶちゃん注:「猫兒(ねこご)」読みは「江戸文庫」版に拠る。

「いたいけしたる」幼くていかにも可愛らしく見える。

「夫の番などいふ」夫が城の宿直(とのい)の番で家を空けるというような折りなど。

「とぎにして」「伽にして」。夜の退屈な折りの相手にして。

「なるゝまゝ」「馴るる儘」。

「みへぬ」ママ。

「こま」猫の古名「ねこま」の略。猫の名でもよい。

「くろう」ママ。「苦勞(くらう)」。

「ちくせう」ママ。「畜生(ちくしやう)」。終わりの方のそれもママ。

「したふならひ」「慕ふ」て來る「慣らひ」(常の様子)。

「もすそになれむすぼゝれ」「裳裾に馴れ結ぼほれ」。衣服の裾に親しげにじゃれついてきて。

「やがて心得」すぐに餌を欲しがっているのを知って。

「ものおません」「おます」は「御參(おまゐ)らす」「おまらす」の音変化で、「与える」の謙譲語。差し上げましょう。

「まうけ」小猫のために予め準備してある食べ物。

「心とゞめ」まことに丁寧に。

「かいける」ここは小猫に「餌をやる」の意であるから、「飼ひける」の訛りであろう。

『いにしへの「何のみやうぶ」とかや名づけさせ給ふて、あいさせ給ひけん』「枕草子」の第六段(角川文庫石田穣二訳注版通し番号)冒頭に「上(うへ)にさぶらふ御猫(おほんねこ)は、かうぶりにて、『命婦(みやうぶ)のおとど』とて、いみじうをかしければ、かしづかせたまふが……」というのがネタ元。清少納言が仕えた定子の夫である一条天皇は大変な愛猫家で、猫を自身の部屋に自由に出入りさせるために「かうぶり」(冠:この場合は狭義の意味で五位の位を与ええ叙爵することを指す)を与えて、「命婦のおちど」(「おとど」はここでは女性を指す尊敬語)と名づけて可愛がった。]

 

 とかくするうち、三年(みとせ)四とせ過ぎけるが、久しうなかりしもの、いかにしていできにけん。妻(め)、子をうみけり。しかも男子にさへありければ、夫婦ともにめづらしき事におぼへ、

「老(おい)の行衞(ゆくゑ)のたのみにも、たゞ子をこそ。」

と、いつきけるゆへ、それより、描が事は、おもひも出(いださ)ず。

[やぶちゃん注:「いつきけるゆへ」「ゆへ」はママ。「慈(いつく)しみける」で、「可愛がる」「大事に育てる」の意。]

 

 ものしらぬかなしさ、かくかはり行く心ともおもはず、いつものやうに、ふたりの中(なか)ふところねらひ、まくらのあたり、こゑたて、よりそふに、

「子の、目さめんに、やかまし。」

とて、なげ出(いだ)さる。

 魚鳥(うをとり)も、まづ、描兒にと身所(みどころ)をくわせしものゝ、いつしか、

「乳味(にゆうみ)のため。」

と妻のみ、うちくひ、ほねをさへ、

「くいちらす、座敷のちり、むさし。」

とて、すてける。

 膳のあたり、かゝづらひて、例(れい)のなでごゑする時は、あたま、はり、はな、はぢきて、

「爰なる描のやうに、せわしきは、なし。おのがやくめの、ねずみをば、とらひで。」

と、はらだつ。

 めしなんどいふものも、おほくは、わすれがちにて、うつはもののあり所(どころ)をも、しらず、そこら、こけまはり、ひつきたるはだをさへ、子鼠のために、かぶらる。

 さりとて、かつほぶし・ごまめのあぢにかいたてられし身の、未(いまだ)ねずみやうのものは、おそろしき數に覺ゆ。まして、よくとりゑんや。

 おのづから、うゑがちにて、おのがほうひげのひかりもおとろへゆく身のさまなり。

 さむさも、いやます心地に、兒のふしたる夜着(よぎ)のつま、かぶらんなど、かしらさしこむを、女どち、茶ものがたりに、

「ねこは、まのもの。兒のあたり、よせぬがよし。」

と、いはれて、母をや、はらたて、ひふき竹のふしぶしを、なやさる。

 かくても、あられず、さしあしねらひより、炬燵(こたつ)のふち、つたふに、おされて、火の中におつるもの、あつばいを身にまぶり、あしさへやけどして、つまさき、うちふり、やうやうにねぶるを、

「こたつの中、くさきは、また、ねこめが。」

と、ふとんかゝげて、何のはらたてばか、つゆゑしやくなく、庭中へなげらるゝに、

「ぎやつ」

と、なくも、いき、たえだえなり。

[やぶちゃん注:「ふたり」夫婦。

「中(なか)ふところ」で一語ととる。

「乳味」母乳の栄養。

「くいちらす、座敷のちり、むさし」「くい」はママ。「骨を食い散らして、座敷に多くの塵芥を残すは、まっこと、むさ苦しい限りじゃ!」。

「かゝづらひて」「拘(かかづら)ひて」。纏わりついて。

「うつはもの」猫の餌を入れる器。

「こけまはり」「轉(こ)け𢌞(まは)り」。躓いて転び倒れ、ふらふらとうろつき回り。

「ひつきたるはだ」飢餓のために肉がなくあり、骨に膚(はだえ)が張りついたようになって、の意でとる。

「かつほぶし」ママ。「鰹節(かつをぶし)」。以下も同じ。

「ごまめ」カタクチイワシ(ニシン目ニシン亜目カタクチイワシ科カタクチイワシ亜科カタクチイワシ属カタクチイワシ Engraulis japonicus)を素干しにしたもの。正月などの祝儀に用いる「田作り」である。

「かいたてられし」「掻き立てられし」のイ音便。

「身の、未(いまだ)ねずみやうのものは、おそろしき數に覺ゆ」「江戸文庫」版では、「身の末、ねずみやうのものは、おそろしき數に覺ゆ」とある。それでもおかしくはない。

「おのがほうひげのひかりもおとろへゆく身のさまなり」「己が頰鬚(ほほひげ)の光りも衰へゆく身の有樣なり」。

「つま」「褄」或いは「端」。

「女どち」近所の妻の女友だちら。

「ねこは、まのもの。兒のあたり、よせぬがよし」「猫は、魔の物。兒(こ)邊り、寄せぬが良し」。

「母をや」ママ。

「ひふき竹のふしぶしを」火吹き竹の、節くれだったそれをもって。

「なやさる」「萎(な)やさる」。打ち叩かれてぐたぐたにされてしまった。

「かくても、あられず」このような悲惨な状況になっても、飢えと寒さで、そのままでは居られぬので。

「さしあしねらひより」抜き足差し足でこっそりと狙いをつけて。

「炬燵のふち、つたふに、おされて」「火燵の緣、傳ふに、押されて」。

「おつるもの」この「もの」は接続助詞で「ものを」の略かとされる、順接の確定条件を意味するそれととり、「落ちてしまったので」と訳しておく。

「あつばい」ママ。「熱灰(あつばひ)」であろう。火の気の残っている灰・

「ねぶるを」「眠るを」でとる。

「つゆゑしやくなく」「つゆ、會釋無く」。僅かな思いやりもなしに。情け容赦なく。]

 

 『とかく、家の内には、おそれあれば』と、軒下の日なたもとめて、うづくみながら、『ありしむかしの榮(さかへ)をおもへば、柳の枝に魚つなぎ、かつほぶしに身をかへられしより、またなきものにあいせられしが、かく、かわり行(ゆく)人心(ひとのこころ)、いまは寒(かん)まけの名にたてゝ、はなさきのひへかえるつらさも、みな、あの子、いできしゆへなり』と、恨(うらみ)もふかくおもひよりしや、夫は留(る)すに、女は衣あらふとて、井のもとに行きしをうかゞひ、かの兒を、一口に、くいころす。

[やぶちゃん注:特異的に猫の心内語部分を二重鍵括弧で示したが、改行はしなかった。

「柳の枝に魚つなぎ」猫の餌のための生魚或いは干物を指すのであろう。

「かつほぶしに身をかへられし」「かへられし」は贅沢にも鰹節で「身を飼へられし」の謂いであろう。餓えて鰹節のようにミイラのようになったというのでは、ここの文脈にはそぐわない。

「寒(かん)まけの名にたてゝ」「こま」と呼ばれることもなくなり、謂わば、「寒さに負けた役立たず猫」の名を「立て」られるまで落魄(おちぶ)れたことを謂う。

「くいころす」ママ。「喰ひ殺す」。]

 

 夫、歸りて、おどろき、女は、なきわめけど、甲斐なし。

「扨て、ねこはいづくにか。」

と、もとむるに、おのも、かくごやしたりけん、床(とこ)の隅にすまへるさま、中々、よりつべうもなく、かの南山の白額(はくがく)の虎、千里の竹によりそふがごとく、鼻嵐(はなあらし)つよきさまなるを、

「にがさじ。」

と、やうやうにとらへて、あまりにあやしければ、上(かみ)へうつたふるに、

「ちくせうといへど、主(しゆ)ころせし罪、大かたならず。」

と、㙒邊に埒(らち)ゆひまはし、唐犬(たうけん)にぞ、はませける。

[やぶちゃん注:この話、化け猫譚ではない、猫の怨念による実録奇譚的風合いを持ったものである点で、猫奇譚としても頗る変わった一篇に仕上がっている。徹底したこれでもかという感じの子猫いじめの波状攻撃描写が、読者をして思わず小猫への強いシンパシーを与えるように構築されており、子の嚙み殺されんも止む無し、とまで私などは感じてしまったほどの、奇体なリアリズムに舌を巻く。

「おのも、かくごやしたりけん」「己も、覺悟やしたりけむ」。

「すまへるさま」凝(じ)っと蹲(うずくま)っている様子は。

「よりつべうもなく」「寄りつべくもなく」。寄りつこうとすることさえもできそうにもなく。

「南山の白額の虎」三国から西晋にかけての武将として知られ、呉・西晋に仕えた周処(二三六年~二九七年)の若き日の逸話に出るのが有名。ウィキの「周処」によれば、『呉の有力な豪族の家に生まれたが、父の晩年の子であったため、幼くして父親を失った。周処は若い頃は乱暴者でよく狼藉を働き、郷里の人々に恐れられていた』。『ある時、周処は郷里の父老に「今年は平和で豊作だったのに、なぜ皆喜んでいないのか」と尋ねた。すると父老は「南山の白額虎、長橋の蛟、そしてそなたの『三害』がいなくならない限り、喜ぶ事ができない」と答えた。周処はそれを聞くと、山に赴いて虎を刺し殺した後、川に入って蛟と戦い、三日三晩格闘し数十里も流された末、ようやくこれを始末した。郷里の人々は周処が死んだものと思い大喜びしたという。戻ってきた周処は、自分がどれほど人々に憎まれていたかをようやく知った。この時の「周処除三害」の故事は京劇の演目にもなっている』。『そこで改めて自らの身を修めようと』精進し、彼が成した業績以下はリンク先を読まれたい。

「千里の竹」単子葉植物綱タケ亜科メダケ属オキナダケ品種ネザサ Pleioblastus argenteostriatus f. glaber。日本固有種。原野や雑木林の中などに生え、稈(かん)の基部から横に走る地下茎を盛んに出し、四方に増え広がるところから「千里竹(せんりだけ)」とも呼ぶ。

「鼻嵐」獰猛なる鼻息。

「主」殺された子は男子であったから、嗣子となって主人となるはずであったことを拡大して謂ったものであろう。

「埓(らち)ゆひまはし」逃げ出せぬように厳重な囲いを結び回して。

「唐犬(たうけん)」読みは「江戸文庫」版を参考にした。江戸初期に渡来した舶来犬の一種。大形で、主に猟犬として大名に飼われた。オランダ犬。]

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