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2020/08/09

萬世百物語卷之二 八、男色の密契 / 萬世百物語卷之二~了

 

   八、男色の密契

Dansyokunomikkei

[やぶちゃん注:「江戸文庫」版の挿絵をトリミング合成した。左幅が「不聞坊」で、

 だれそ

と誰何している。右幅の門外の人物が「門彌」で、その頭上に、

たいし

 ない物

と応じている。門彌のそれは「大事無い物(=者)」の謂いで、密会時の合言葉であろう。門彌は帯刀しており、服も派手である。しかし、この門彌の顔の向きがおかしい。忍びやかに内へ声がけしたのなら、そちらを向いているべきだのに、彼は左背後の下方を見ている。しかも、その付近には何か得体の知れない奇体なものが地面部分に描かれていることが判る。何なんなのか、丸で判らぬのだが、考えようなら、門彌の衣服の下方からはみ出しており、何かの獣(狐か狸か)の体の一部か尻尾のようにも見えないではない(かの幻の異蛇ツチノコにも、あるいはエレクトしたファルスのようにも見える)。ただ、この奇体なものは、タッチが挿絵の他の部分とは明らかに異なっており、立体感がなく、或いは版本に誰かが描き加えた悪戯書きのようにも見える。なお、これもまた以前のように門彌の衣服が汚れたように見えるが、どうもこれは、この絵師が、衣服の色違いや立体感を示すために敢えて確信犯でやっている、模様付けであるということが判ってきた気がする。

 

 あだし夢、丹波の國篠山高仙寺は、橫川(よかは)の鷄足院(けいそくゐん)といへる天台宗の末寺なり。學徒に兵部卿の律師不聞坊(ふもんばう)といへるありけり。門彌(もんや)といへる少年に心ざしわりなかりけるが、住持のもとをはゞかり、心やすう、あいあふ事もかたかりける。されど、おもふ心のあさからざれば、夜ふけて人しづまるのち、おりおり、兵部卿が寮に通ひ、下(した)ひもうちとけ、曉は、はやうおき出で、歸ること、常なりけり。不聞坊もかゝる心ざしみるより、わりなき情に、おもひの火、たきます心地して、わするゝ隙(ひま)もなく、せちにぞうち歎きける。

[やぶちゃん注:「丹波の國篠山高仙寺」現在の兵庫県丹波篠山市南矢代にある天台宗松尾山高仙寺(グーグル・マップ・データ。但し、以下に見るように所在地は少し動いている)。皇極天皇四・大化元(六四五)年、インドからの渡来僧とされる伝承上の法道仙人が松尾山中腹に草庵を建て、十一面観音を祀ったのが始まりと伝えられ、九世紀初頭に最澄によって再興されたとされる。鎌倉時代には七堂伽藍に二十六坊を有する大寺であったとされる。戦国時代に矢代酒井氏が松尾山頂(グーグル・マップ・データ航空写真)に高仙寺城を築き、天正七(一五七九)年、明智光秀の丹波侵攻の際、戦ったものの、敗れて城は落城し、高仙寺も焼失している。江戸時代に入って再興され、往時の勢いを取り戻したが、明治になって衰退し、大正一〇(一九二一)年に現在の松尾山南東山麓に移転した。

「橫川の鷄足院」滋賀県大津市坂本本町のここにあった。現在の建物は「鶏足院灌室」と称して横川地区の潅頂道場となっている。

「兵部卿の律師不聞坊(ふもんばう)」不詳。「兵部卿」は、武官の人事及び軍事に関する諸事を司った兵部省の長官で正四位下。父親がそれであったのであろう。「律師」僧綱 (そうごう) の一つで、僧正・僧都に次ぎ、正・権の二階に分かれ、五位に準じた。

「門彌」不詳。

「おりおり」ママ。

「下(した)ひもうちとけ」「下紐、打ち解け」。言わずもがな、若衆道である。

「たきます心地」「焚き增す心地(ここち)」。男色の業火がめらめらといやさかに燃えに燃え上がるのである。]

 

 ある夜、また、夜ふけて來たり。寮の戶しづかに音するも、あたりしのぶがためなるべし。不聞は宵より何にまぎるゝことなく、その行衞のみおもひつゞくれば、はやうもきゝつけ、

「又、今宵も道の露わけさせ給ふがくるしさは、みづからの袖におきかへてなん。」

と侘(わぶ)れば、

「さればよ、ふしのまなり。」

と、そひぶしし、まいらせんうれしさに、

「小篠(をざさ)の露も何ならず。」

とたはぶれて、例(れい)のしめやかに、ふしぬ。

[やぶちゃん注:「又、今宵も道の露わけさせ給ふがくるしさは、みづからの袖におきかへてなん。」「今宵もまた、夜露の降りた道を踏み分けて来て下さったそのお辛さのお涙は、どうぞ、私めの袖に零(こぼ)して、しっぽりと参りましょうぞ!……」。

「さればよ、ふしのまなり。」「されば、さあ、早(はよ)う! 短い逢瀬と参りましょう!」で、「ふしのま」には直後の「小篠」(丈の低い笹。小さな竹の、その「節の間」ほどしかない短い時間に、「伏し間」(寝床)を掛けていよう。

「まいらせん」来て下さった。

「小篠の露も何ならず」前の門彌を迎えた際の詫び言を受けて「何のその」と言っているのだが、やや性的なニュアンス――勃起と射精――をも匂わせているようにも感ずる。

「例の」何時もの通り。]

 

 三更の月も入りがてに、隙(ひま)、くらうなりゆき、深夜の鐘に目覺(めざめ)て、何とやら、ものおそろしき心地しければ、やおら手さし出(いで)、門彌が方(かた)、うしろざま、髮よりなでさぐるに、それともわかず、長さ、大(おほい)さ、たゞ普賢ぼさちのめしものに、そひぶしたらんやうに、人とも覺えず。

[やぶちゃん注:「三更」夜間の時間区分の一つである五更の第三。凡そ現在の午後十一時又は午前零時からの二時間を指す。まあ、子の刻で午前零時と採ってよかろう。「月も入りがてに」とあるので、この日は陰暦の月の上旬(七日頃で午前零時頃で月の入りとなる)であったことが判る。

「普賢ぼさちのめしもの」「普賢菩薩の召し物」。]

 

 おどろくまゝ、手あたりも、つよかりけめ、かのものもおどろき、

「ひし。」

と兵部卿にいだきつく。

「心得たり。」

と、それよりは、上になり、下になり、

「一世(いつせい)の力(ちから)こくせん。」

と、くみあひ、ねぢあふほど、あたりの寮にも聞きつけ、上下(うへした)かけつけ、

「ぬす人や、入り來たる。こゝあけ給へ。」

と、こゑごゑにのゝしれど、戶は、人はゞかるがゆへ、内よりつようさしければ、あくべきやうなし。

 ものども、あまりにこらへかね、戶をおしやぶりて入る音に、ばけものは、たまらず、うせぬ。

 不聞のみ、魂(たましひ)もうするばかりに、息つきあへず、座せり。

「いかにや。」

と、やうとへど、もとより、はゞかる事なれば、えもいはず、たゞ、

「もののきたりて、おそろしき目、見つる。」

と計(ばかり)。

 それより垢離(こり)かき、うちふるひながら、「すぎやうだらに」など、くりて、

「みなみな、おそろしきに、伽(とぎ)して給へ。」

とて、やうやうに、その夜を明かしける。

[やぶちゃん注:「おどろくまゝ、手あたりも、つよかりけめ、かのものもおどろき」不聞坊がぎょっとしたため、つい撫でた手に力が入ってしまい、その妖しき物の頭部を強く指先で摑んでしまったからであろう、そ奴もまた、驚き、の意。「つよかりけめ」は上代の已然形だけで順接の確定条件を表わす手法である。

「一世の力こくせん。」「こくせん」がよく判らぬ。「極(ごく)せん」か。「一世一代の我が臂力(ひりょく)を出せる限りの極みまで強(しい)い出してやる!」か。

「上下」寺の寮内の上位の先輩僧から同輩、或いは下役の僧らに至るまで総て。

「やうとへど」「樣、問へど」。

「垢離(こり)かき、うちふるひながら」「垢離」は水垢離(みずごり)。神仏への祈願や祭りなどの際に行うそれで、冷水を浴びて身を清めること(元は禊(みそぎ)の一つである「川降(かはお)り」の音変化か。「垢離」は当て字である)。本文からは季節が判らぬが、挿絵は右幅上に色づた紅葉を描いてある。門彌(実は妖物)の着衣も秋らしい。さすれば、怪物の恐ろしさと深夜の水垢離によって、「うちふるひながら」(ブルブルと震えながら)というのは腑に落ちる。

「すぎやうだらに」「修行陀羅尼」或いは「誦經陀羅尼(ずきやうだらに)」の孰れかであろう。但し、そのような熟語としての仏教用語はないから、それぞれ「修行用の」或いは「誦経用の」、「陀羅尼」を記した経典を指すと考えてよかろう。「陀羅尼」はサンスクリット語「ダーラニー」の漢音写で、「総持」「能持」「能遮(のうしゃ)」と訳す。「総持」「能持」は「一切の言語からなる説法を記憶して忘れない」の意であり、「能遮」は「総ての雑念を払って無念無想の状態になること」を指す。ここは翻訳せずに梵語の文字を唱えるもので、不思議な法力を持つものと信じられる呪文。比較的長文のものを指す。

「くりて」恐ろしさと寒さで声に出して陀羅尼をまともに称(とな)えることが出来ないために、折った経典を上から下にぱらぱらと下ろしているのである。これは「転読」と呼ばれる読経法で、真言・天台等の密教系宗派や禅宗に於いて盛んに行われている「大般若会」(六百余巻の膨大な「大般若経」を読経したことにする儀式で見かけるやり方である。]

 

 ひそかに門彌にとへば、

「夕部(ゆふべ)にかぎり、深更まで賓人(まらうど)の入りきたるゆへ、いづ方へも出(いで)ず。」

と、いふにぞ。今更、そゞらだち、おそろしさもいやまして、まことの人をみるさへうるさく、佛にさんげして、さてぞ、戀は、やみける。

「いかなるものとも、しらず。」

とかたりしが、「法(のり)のおきてを、おかせる罪、にくし」と、おぼす佛のしわざにやありけん。

[やぶちゃん注:「夕部」はママ。「江戸文庫」版では『夕べ』である。

「賓人」客人。

「そゞらだち」「漫立(そぞらだ)ち」で「そぞろだち」に同じい。心が落ち着かず、そわそわするさま。

「まことの人をみるさへうるさく」恐怖が昂じてしまい、現実の普通の人を見ることさへ厭になってしまい。

「さんげ」江戸時代まで、本邦の仏語としての、犯した罪悪を告白して許しを仏に請うところの「懺悔」は、この清音表記が正しい。

「佛のしわざにや」というのは面白いものの、ちょっとねえ。]

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