今日、先生は靜と結婚する――そして……透視幻覚1
Kの葬式後……人々のK自死の謎への疑問に、先生の内なる「早く御前が殺したと白狀してしまへといふ聲」という声が聴こえる――
「奥さん」と靜と先生が転居し、そうして遂に先生と靜が結婚する……
*
卒業して半年も經たないうちに、私はとう/\御孃さんと結婚しました。
外側から見れば、萬事が豫期通りに運んだのですから、目出度と云はなければなりません。
奥さんも御孃さんも如何にも幸福らしく見えました。
私も幸福だつたのです。
けれども私の幸福には暗い影が隨(つ)いてゐました。
私は此幸福が最後に私を悲しい運命に連れて行く導火線ではなからうかと思ひました。
結婚した時御孃(おじやう)さんが、―もう御孃(おちやう)さんではありませんから、妻(さい)と云ひます。
―妻が、何を思ひ出したのか、
「二人でKの墓參をしやう」
と云ひ出しました。
私は意味もなく唯ぎよつとしました。
「何うしてそんな事を急に思ひ立つたのか」
と聞きました。妻は
「二人揃つて御參りをしたら、Kが嘸(さぞ)喜こぶだらう」
と云ふのです。
私は何事も知らない妻の顏をしけじけ眺めてゐましたが、妻から
「何故そんな顏をするのか」
と問はれて始めて氣が付きました。
私は妻の望み通り二人連れ立つて雜司ケ谷へ行きました。
私は新らしいKの墓へ水をかけて洗つて遣りました。
妻は其前へ線香と花を立てました。二人は頭を下げて、合掌しました。
妻は定めて私と一所になつた顚末(てんまつ)を述べてKに喜こんで貰ふ積でしたらう。
私は腹の中で、たゞ
『自分が惡かつた』
と繰り返す丈でした。
其時妻はKの墓を撫でゝ見て
「立派だ」
と評してゐました。其墓は大したものではないのですけれども、私が自分で石屋へ行つて見立たりした因緣があるので、妻はとくに左右云ひたかつたのでせう。
私は
――其新らしい墓と、
――新らしい私の妻と、
それから
――地面の下に埋(うづ)められたKの新らしい白骨(はくこつ)とを思ひ比べて、運命の冷罵(れいば)を感ぜずにはゐられなかつたのです。
私は其れ以後決して妻と一所にKの墓參りをしない事にしました。
(以上、『東京朝日新聞』大正3(1914)年8月6日(木曜日)掲載 夏目漱石作「心」「先生の遺書」第百五回の一部を、改行と太字と記号を挿入して、オリジナルに示した)
*
考えて見給え!――先生の死後――Kの墓を参る者は誰か――誰もいないか?――いや――靜だけは、屹度、彼女の意志で参るであろう――それが残されて自立した靜の唯一の先生に反した行動であろう……しかし――学生の「私」はどうかね?――「K」というイニシャルでしか「私」に伝えることを拒否され、靜に事実を語るなという絶対禁足を考えれば――どうだ?――「私」も参ることはあり得ない……
靜の懊悩……学生「私」の懊悩……遂に先生は新しい犠牲者としての靜と学生の「私」を創り出しているのでは……あるまいか?…………
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