譚海 卷之三 小倉殿の事
小倉殿の事
○近世小倉殿と聞えしは、詩文章に名ある御方(おんかた)にて、南郭文集はじめ、諸人の集に往々贈答の事見えたり。此相公ばかりは、昔繪にある如く頰つらに髭を長く生(はやし)て、束帶の體(てい)など異形に見えられけるとぞ。
[やぶちゃん注:「小倉殿」羽林家の家格を有する公家小倉家。藤原北家閑院流。西園寺家一門の洞院家庶流。家業は神楽。江戸時代の家禄は百五十石。鎌倉時代に従一位・左大臣であった洞院実雄(とういんさねお 承久元(一二一九)年~文永一〇(一二七三)年:太政大臣・西園寺公経の子)の二男権中納言公雄(きんお 生没年未詳。出家したのは文永九(一二七二)年)が創設した。
「南郭文集」「南郭先生文集」享保一二(一七二七)から宝暦八(一七五八)年にかけて刊行された、江戸中期の儒者で漢詩人の服部南郭の撰になる漢詩文集。四編・四十巻・二十四冊。服部南郭(天和三(一六八三)年~宝暦九(一七五九)年)は京都生まれ。江戸で柳沢吉保に歌人として仕え、荻生徂徠に学んだ。吉保没後は私塾を開いて、「経世論の太宰春台」に対して、「詩文の南郭」として徂徠門下の双璧と称された。享保九年には「唐詩選」を校訂して出版し、唐詩流行の端緒を作った。]
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