ブログ・アクセス1400000突破記念 梅崎春生 失われた男
[やぶちゃん注:昭和二三(一九四八)年四月号『個性』に発表され、後の単行本「B島風物誌」(同年十二月河出書房刊)に収録された。
底本は「梅崎春生全集」第一巻(昭和五九(一九八四)年五月刊)に拠った。
一部、段落末に注を附した。
なお、本テクストは2006年5月18日のニフティのブログ・アクセス解析開始以来(このブログ「Blog鬼火~日々の迷走」開始自体はその前年の2005年7月6日)、本ブログが1,400,000アクセスを、昨日、突破した記念として公開する【2020年8月8日 藪野直史】]
失われた男
芝という兵隊と三浦という兵隊のことを、ぼくは書いておこうと思う。此の二人の兵隊の印象は、その当時はそうでもなかったけれども、月日が経るにしたがってますますぼくの胸の中で鮮烈なものとなって行くようである。それが何故であるか、ぼくにはっきりは判らない。ただこのふたりの兵隊のことを思い出すと、あるやりきれない感じが、たとえば身体の内側で何かがぎゅっと収縮するような気分が、いまでもぼくをおそってくる。当時この両人をぼくは冷静に眺めているつもりであったけれども、あるいはぼくは自分の胸の底にあったもやもやしたものを、無意識のうちに自分の盲点におしやっていたのかも知れないのだ。もっともこのような盲点を利用することで、ぼくは苦しかったあの軍隊生活を、さほど傷つきもせず通りぬけてきたのではあったけれども。
ぼくがこの二人と一緒にいたのは、ある海沿いのちいさな町の外れにあった海軍警備隊である。戦争も末期のころであったから、此の部隊も応召の国民兵が相当な数をしめていて、芝も三浦も応召の老兵であった。もちろんぼくも応召兵で、いい加減歳をくった兵隊であったのだが、芝にしても三浦にしても年齢からいえば、ぼくよりも確か三つ四つ上であったと思う。二人とも体力のおとろえが、すでに姿勢や動作にあらわれはじめている年頃であったので、軍隊の勤務がぼくなどよりもずっとこたえていたことは間違いない。そうでなくてもこの部隊は、兵隊にとっては他処(よそ)よりも遙かにつらい勤務の部隊といわれていた位なのだから。
ぼくたち三人は大層親しかった。しかし親しかったというのは、お互いが好意をもち合って仲良くしていたという意味ではない。他に話し合う相手がいなかったので、いわば余儀なく親しんでいるという形であった。何故というと此の警備隊でも、ぼくの分隊だけは特別で、応召の老兵というのはぼくら三人だけであったのだから。あとはすべて志願や徴募のわかわかしい兵隊で、その間に伍してぼくらが人並みにやってゆくということは、並たいていのことではなかったのだ。親しかったといっても、しょっちゅう話し合ったり行動を共にしていたという訳では絶対にないので、だいいちそんな余裕や閑暇のあるようなゆっくりした勤務なら、後に述べるような事件は起きなかっただろうと思う。ぼくら三人はもっとも下級の兵隊であったから、朝の起床時から夜の就寝ラッパまで、文字通り寸秒を惜しんで、勤務に食事当番に甲板掃除に追い廻されていたのである。ぼくら三人がゆっくり顔を合せられる時間というのは、ほとんど巡検後のひとときであって、そのひとときですら三日に一度は整列のために乱されてしまうのであった。[やぶちゃん注:「甲板」個人(昭和一九(一九四四)年九月松山海軍航空隊甲飛十五期で入隊された方)サイト「巡検ラッパ」の「海軍の基礎教育」のページに、『兵舎内は中央の通路をはさんで居住区と寝室部分とに分かれ』、『中央通路は甲板と称してデッキ掃除の競争の場となる』。『兵舎の中央部分は分隊士、教員の居住区と事務室となっている』とあった。]
人間がその生活に、わずかの自由の時間をすらもたないということは、こんなにも辛いことなのか。きたない話だけれど厠(かわや)にしやがんでいる時などに、ぼくはよくそんなことを考え、溜息をついたりすることがしばしばであった。忙しいなかの厠というものは、ふしぎにそんな鮮明な反省をぼくにうながしてくるのが常で、その反省を急いで断ち切るようにして、ぼくはいつも厠を飛びだすのであったが、すると次の仕事がすぐ待っていて、血相かえてぼくはそれに立ち向わねばならぬという具合であった。つまり厠に入ることすらも、時間を最大限にやりくりしないと不可能な位であったので、顔を洗ったり歯を磨いたり、まして時間時間に莨(たばこ)を自由に喫(す)うことなどは、ぼくらにとってはもはや夢の彼方であった。うっかりすると一日中莨を喫うひまがなくて、夜の巡検が終ってからやっと一本喫いつけるような日もあった程だから、三人のうちで最も莨好きの三浦などは、この点だけでもやり切れなくなっていたに違いない。つねづね巡検後の莨盆(喫煙所のこと) に、三浦と芝とぼくの三人がおちあうことがあると、そんなときにその辛さを先ず口に出すのはきまって三浦であった。ぼくらが何時もおちあうのは兵舎の蔭の小さな莨盆で、入口の近くの大きな莨盆には下士官や兵長が莨をすいながら雑談しているから、自然とぼくらは吹きよせられる落葉みたいに兵舎の蔭にあつまって、ほそぼそと莨をすいつけるという訳であった。寒い北風に星群がまたたくのを眺めながら、ぼくらはいつも低い声で話をかわすのだ。ぼくらに共通の話題はおおむね今の境遇なので、詰も自然とそこに落ちるが、ふと話がそれて、故郷や過去や知っている女のことなどに走ることもある。そんな時いちばん熱心なのは三浦で、芝はおおむね黙っている。黙って煙草ばかりふかしている。やがて莨を喫いたいだけ喫ってしまうと、三人ともへんに興ざめたような表情になって、事業服の袖をかき合せながら、風のなかを小走りに薄暗い兵舎の甲板にもどってくるのである。[やぶちゃん注:「事業服」「事業服」海軍軍装の一種の正式呼称。正装の軍服ではないが、作業服の一ランク上のものであったらしい。ミリタリーグッズ・革ジャンの専門店「中田商店」のこちら(レプリカ)のようなものかと思っていたが、終わりの方で「白い事業服」とあるので、探したところ、白い上着は現物をサイト「Military Force」のこちらとこちらで確認出来た。しかも、これには記名があり、その交付先は梅崎春生が属した佐世保海兵団の佐世保軍需部のものであった。]
三浦は背が低く、瘦せて蒼白い顔の男であった。目鼻立ちはととのっていたが、額が抜けるようにはげ上って、身体つきもなにか不具じみたぎくしゃくした感じであった。もっとも三浦は身体がちいさなくせに、身にあまる事業服をあてがわれて着こんでいたから、なおのことその印象を深めていたのかも知れない。彼はすべての作業に、他人におくれをとることがしばしばであった。ことに身体がちいさいということは、ハンモック吊りには致命的なことなので、その点でも彼はひとかたならぬ労苦を忍んでいたようである。彼はそれをカヴァするために、短い手足を水車のように動かすことで、それをおぎなおうとしているらしかったが、それは必ずしも成功しているとは言い難かった。彼が吊床と組打ちしているところは、まるで水に溺れかかった人間が必死にもがいているようで、その瞳にもやはりすさまじい真剣ないろを浮べているのである。そういう点では彼は三人のうちでもっとも勤務に熱心であるといって良かった。しかし熱心だといっても、それは立派な兵隊になろうと念願しているわけではなくて、実をいうと、彼はただ自らの失態によって打たれたり殴られたりすることが一番恐かったのである。そのこと々ぼくは、彼と同じ分隊になってから程なくして感知したのだが、彼にしてみれば自分のそんな気持の動揺を、他人の眼からひたかくしにさえぎろうとしていたようであった。ぼくは彼ほど肉体的な苦痛にたいして敏感な男を、今までにあまり見たことがない。しかし苦痛といっても、たとえば腹痛とか頭痛のような痛さなら、彼は人並みにじっと堪え得るのである。彼がおそれるのは、外部から加えられる苦痛であった。いや、苦痛そのものというよりは、苦痛の予感に自分の身をおくことなのである。苦痛の瞬間が近づいてくるあのじりじりした時間が、彼にはもはや神経的に堪えられぬものらしかった。丁度注射などのときに、注射そのものの痛さより、それを待つ間の時間を辛いと、誰もが感じることがあるように。彼はことにその傾向がひどかったのだ。
たとえば巡検後に総員整列がかかって、兵舎の蔭にならんで制裁の順序を待っているときなど、三浦はもともと血の気のうすい顔色をなおさら真蒼にして、伸ばした手の指をぶるぶるふるわせている。時には肩の辺までが、がたがた慄えだしたりするのだ。三浦の手の指は細くて、すんなりしている。掌は四十に手が届こうというのに、若い女のようにしなやかな皮膚である。戦争前は地方の小都会で、株屋の手代かなにかをやっていたというのだが、それにふさわしい小さな掌であった。その掌も毎夜の吊床訓練で、いつもひびわれたり血が流れたりしているのである。整列の時の三浦の姿をみていると、まるでこの掌だけが三浦の身体から分離してどこかに脱出したいともがいているように見えた。そんなときの三浦の眼はしろっぽく見開かれて、ほとんどなにも眺めていないように見えた。この掌がかつては味わった、軟かい女の体や紙幣や株券の感触の世界の記憶が、その時三浦の全身を緊迫的な衝動とともにみたしているのかも知れなかった。いわば彼は苦痛の予感と嫌悪にはらわたをまっくろにさせて、尻を棒で打たれる順番を指をがくがくさせながら待っているらしかった。しかし彼がどんなに力んだとしても、この順番の制裁は逃れるわけに行かなかったのだ。もしほかのものを代償としてこの場をのがれることができるなら、彼はほとんどどんなものでも代償としてさし出しただろう。彼の慄える指や空白の瞳は、無言のうちにそんなことを語っているように見えた。どんなにか彼はこのような苦痛の予感から逃げだしたかっただろう!
先にかいたようにこの性格の弱味を、しかし彼は充分弱味として意識していて、それを他人に知られまいとして極度に努力していたのである。そして制裁が済んでしまうと、ひとつの苦痛が完了したというある解放感が、それゆえ俄(にわ)かに彼の身内をいっぱいにして来るらしく、そのあとでぼくらが夜寒の莨盆に落ちあうと、三浦の口調は一種の虚脱したようなはれやかさを帯びていて、それはぼくらにもすぐ感じられた。しかし彼はそれをまたぼくらから隠すためか、そんな時彼の声調は、へんに詠嘆をまじえた感傷的な調子になっていて、自分の故郷の小邑(しょうゆう)や過去の生活を語りはじめたりするのも、そんな時が多かった.。三浦の声は早口で、細く金属的である。しゃべっているうちに、彼はすぐ自分のつくった気分にはいってしまうらしく、最初のわざとらしい詠嘆の口調がぴったりと身についてきて、彼はもはや本気で過去の生活をまざまざとしのぶ風で、そこにふたたび帰って行けない自分を嘆き始めたりするのだ。彼がそんな時口に出すのは、牧江という女の名前で、その女と彼は恋仲になったまま、召集されてきたというのである。こんな年齢のこんな貧寒な男に、恋人が出来るなどとは、一寸ぼくも信用しかねるのだが、事実はいざ知らず、三浦の心の中に定着された牧江の存在は、三浦にとってはうごかすべからざる真実であるらしかった。そして、そうしているうちに、突然彼は自分の現在の状態への嫌悪を押えきれなくなってしまうのだ。早口の声が妙に不きげんに濁ってくるのである。そして彼の語調には変な強がりがまじってくる。ぼくは何時でもこんな時、道に三浦の弱さを嗅ぎとったような気持になり、何故か舌が重くなって不興げに相槌(あいづち)をうつたりするのだが、芝にしてもぼくと同じ気分になるのか、いつものぼそぼそした低い声をつぐんで、横をむいて莨(たばこ)はかりふかしているのが普通のようであった。二三本莨を喫いちらすと、ぼくらはいつもより一層しらけた気持になって、莨をそれぞれ踏み消すと、小走りで兵舎の甲板に戻ってくるのであった。ぼくらの吊床は甲板のすみに三本ならんで吊ってある。そんな夜はいつもより身体が冷えているから、なかなか寝つけない。事業服の上衣をたたんで枕にしたのに耳をつけていると、耳の底で暗い幽(かす)かな海鳴りのような冷えた血管の響きすら聞えてくるのである。そんな夜に寝つけないのはぼくばかりではない。芝や三浦の吊床などもときどき微かにゆらいで、いらだたしそうな溜息がぼくの耳まで伝わってきたりするのである。三浦の吊床はきちんと整頓されているが、芝の吊床はいつも曲っていたり吊繩がよじれたりしている。ちょっと調整すれば寝心地よくなるのだが、彼はそんなことをしないのだ。よじれてもよじれたままで放っておく。芝という男は、そんな風な男なのである。
芝のくぼんだ眼は気の弱そうな暗い色を常にたたえている。軀(からだ)は先ず先ず均勢がとれているが、動作が変に間延びしたようなところがあって、それがわざとやっているようにもとれるのだ。何かやっていても、それは手足や身体だけのことで、頭では別のことを考えているように見える。ぼくら三人のうちではまず一番身体は丈夫だし、三浦あたりよりもずっと兵隊としての仕事はうまくやれるのである。それにもかかわらず、彼は兵長や下士官から一番憎まれている。もっとも仕事が出来ない三浦よりも、何とか理由をつけて殴(なぐ)られたりする回数は、芝の方がずっと多いのである。やる気がないなら、やるようにしてやる。こんな言葉が芝をなぐる時いつも使われる言葉であった。
この部隊は兵隊にとつて、他処(よそ)よりもずっと難儀な部隊であったが、ことにぼくらは辛かった。何故というとこの部隊では、年齢に対する顧慮やいたわりは微塵(みじん)もなかったからだ。しかしそれは、ぼくらが年長であることに皆が無関心であったということでは全然ない。むしろ逆であった。年長であるからには若年の兵隊より仕事がうまく出来る筈(はず)だというような、そんなもっともらしいような理窟が皆を支配していて、何かといえばそんな言い方で、一番新しい兵隊であるぼくらは小姑(こじゅうと)みたいないびり方をされていたのである。今思えば彼等は、新しい兵隊だからという訳で追い廻していたにすぎないのだろうが、当時のぼくにしてみれば、年長であるが故に憎まれているのではないかという錯覚におち入るほどであった。年齢というものを、おそらく志願で入った兵隊などは、現実的な感覚でぼくらの上に眺めていたのではないのだろうと思う。その一例にぼくと芝が、ある若い上水から何かの理由で、兵舎の蔭で殴られそうになったことがある。その時その頰ぺたの赤い上水は殴ろうとする手をちょっと休め、芝の顔をまじまじと眺めながら突然、お前は歳いくつになる、と訊(たず)ねた。それはまことに少年らしい好奇の問いであったけれども、芝は自分の歳をあかすことになにか屈辱を感じたらしかった。暫く口ごもった揚句、絞るような低い声で芝が答えた時、若い上水はとんきょうな叫び声をあげた。「それじゃおれの親爺とひとつ違いじゃねえか」
そのせいかどうか知らないが、ぼくらはその時ひとつずつ殴られただけで済んだ。これでも判るように、ぼくらの年齢というものは、実感として彼等にはなくて、彼等の眼の前には、老いぼれた現象としてぼくらが立っているという訳であった。この上水ですら次の日は、年齢についての現実的な感覚は忘れてしまったに違いないのだ。年齢のもつ意味にこだわっているのはむしろぼくたちだけで、ことに芝にいたっては、それをひしひしと意識するらしかった。作業や訓練の場合なら、幾分気持のごまかしもつくけれども、あの嘲弄的な制裁、たとえば鶯(うぐいす)の谷渡りとか蜂の巣などという屈辱的な芸当をやらされるときは、気持を盲点におくことに慣れているぼくですら、ときに顔が感情的にこわばるのを禁じ得ないほどであったから、芝などにいたってはことのほか惨めな気持のどん底を味わっていたに違いないのだ。空の衣囊棚(いのうだな)のなかに入って、ブーンブーンと蜂の鳴声のまねをさせられているときなど、ぼくは隣の芝が顔を紅潮させ、燃えるような眼つきになって、それでも命ぜられた通りにやろうとしているのを、ついちらりとぬすみ見てしまう。芝のそうした姿をみると、現在の唇をかむような屈辱的な気分が、ふしぎに和らいできて、嘲弄されている自分というものが、何故かさほど苦にならなくなるので、ぼくはいつもこの種の制裁のときは、意識的に芝の挙動に注意をはらっていたのである。三浦にいたっては、これらの制裁は肉体的な苦痛を伴わないのだから、棒を尻で受けるよりは、気持が楽だったのだろうと思う。しかしそれも三浦の身になってみなければ判らないことだ。実のところは、その体軀(たいく)や挙動の滑稽(こっけい)さのゆえに、三浦がもっとも嘲弄の対象になっていたのだけれども。[やぶちゃん注:「鶯の谷渡り」ルビー氏のブログ「太平洋戦争史と心霊世界」の「兵隊いびり (2)」には、絵とともに、『椅子の下をくぐり、テーブルをまたぎ、また椅子の下をくぐって、ホーケキョーと鳴きながら10テーブルをまわって元に位置につく。一つのテーブルを超すごとに、ホーケキョーと鳴く。鳴き声が教班長に気に入られないと、再度やり直しさせられる』と解説があり、「蜂の巣」についても、「兵隊いびり (1)」に、やはり絵とともに、『主に真夏の暑いときの罰直で、衣嚢(いのう)を収めておく40センチ角にしきられた奥行きの深い棚が、5段8列あるが、その枠内から衣嚢をだして、その中に一名ずつ頭から体を突っ込むのである』。『これは分隊180名のうち、80名が衣嚢に入り、あぶれた100名がバッター制裁』(上方に『尻をこん棒で叩く』こととある)『を受けることになる』。『これを一斉に決行するので、(バッター制裁を受けないよう)必死だ。みんな中段に的を絞るから、上部があく。すると、中部に入ろうとしている者の背中に乗って、上部をねらう者もいる』。『棚に入ったら、両肘を張って、足を引っ張られても頑張る。10分も辛抱すれば「やめ」となる』とあり、『下の方のロッカーに頭を突っ込んでいる人の背中を踏み台にして、さらに上の棚に登って頭を突っ込むようで』、『一種の椅子取りゲームみたいなもの』と言い添えておられる。]
しかし芝は巡検後の莨盆でも、自分の気持の苦しさについては、一言も口に出したことはなかった。低いぼそばそとした声で、その日の出来事を話し合う程度で、話が愚痴におちてくると、黙りこくって莨ばかりをふかしているか、そっぽむいて星を眺めていたりするのだ。その態度はへんにかたくなな感じでもあったが、また妙に淋しげでもあった。芝は気質的に愚痴をこぼせないたちであるらしかった。彼は気が弱いくせにそんなところは妙に頑固であった。そのような人間的な甘さのないことが、自然と彼の姿勢や動作にあらわれていて、下士官や兵長から彼がにくまれるのも、あるいはそんなところからかも知れなかった。だから例えばちょっとした落度――卓の上に誰のものとも判らない手箱が置き忘れてあったりすると、すぐ芝のせいになって、彼は他の兵隊のぶんまで殴られてしまうのだ。息子ほどの年頃の兵長から殴られるとき、彼はその瞬間言いようのない苦渋(くじゅう)の色を顔いっぱいにたたえている。そしてぎらぎらした眼を見開き、殴ろうとする相手から視線をそらして、どこか遠くの方を一心に見詰めているのである。それは恐怖の表情ではなくて、やるすべのない悲しみの色であった。しかし見た感じから言えば、彼は殴られる自分に悲しみを感じているのではなくて、なにか他の形のないものにぎりぎりの憤怒を燃しているように思われた。それがなおのこと殴り手の気持を刺激するものらしかった。一つで済むところを三つも四つも殴られる。だから三浦の言葉を借りれば、芝は殴られる要領を知らない、という訳になるのだが、この説にはぼくもほぼ同感してもいいと思う。[やぶちゃん注:「手箱」兵に貸与された海軍手箱。Sarunasi氏のブログ「サルナシの掘り掘り日記~越後黄金山の砂金を訪ねて~」の「海軍手箱 ~軍隊生活の悲哀が染みこんだ私物箱~」に実物の画像とともに、『下士官・兵が石鹸、文房具、裁縫道具等の日用品を入れておく貸与品の箱で、時には机や腰掛の代わりにもなった』。『規格寸法は幅30×高さ16』×『奥行20㎝で、木材の種類、内箱の仕切りの作り、持ち手の形状・有無、鍵の有無など細かいバリエーションが存在する。物資不足の戦後の生活の中でも使用されたため、中の小物入れなどは取り外されているものがほとんどで、完璧な状態で残っているものは非常に少ない』とある。また、下方には「手箱と罰直」という、これを放置したことへの罰直ではなく、これを用いた制裁(「大黒様」と呼ばれたもの)についても解説が添えてある。]
先にも書いたように、ここはおそろしく忙しい分隊で、加えて下士官や兵長の小姑(こじゅうと)的な監視があったから、仕事がとぎれてもぼんやりしているという訳にはゆかないので、ぼくらがゆっくり話し合う機会も昼の間にはあろうわけがなく、自然と巡検後の莨盆に落ちあうことになるのだが、そんな時莨をふかしながら、だまってお互いの姿を感じあっているだけで、ぼくの心はなぐさめられるような気がした。しかしこの気分は、ある一面で不快なものを含んでいることを、同時にぼくははっきりと感じていたのである。それは丁度傷ついた獣同士が、黙ってお互いの傷口を舐(な)めあうような、そのような親近感であったけれども、それだけにお互いの惨めさを認め合うことは、その底にあるやりきれない安易さをぼくに感じさせるのであった。そのことは芝もはっきり感じていたのではないかと思う。そのくせやはり巡検が済むと、睡眠を犠牲にしてまでふらふらと兵舎の蔭にあつまってくるのも、この労苦をひとりでおさめているということが、どうにも耐えられないからであった。莨盆にあつまっても、本当のところは何も話し合うことはない。言葉にすれば嘘(うそ)になってしまうから、やむなくぼくらはその日の出来事などをぼそぼそ話し合うだけに止(とど)めてしまう。ただ三浦の場合は、その気持の芯(しん)に妙に弱いところがあって、黙って気持だけをよりそわせているだけでは不安になるらしく、時に言葉でその隙を埋めようとあせったりするのだ。だから夜の莨盆では、三浦がいちばん饒舌(じょうぜつ)である。細い声で早口にたたみかけるようにしゃべる。しかしぼくらに共通したぎりぎりの惨(みじ)めな気持は、それを埋め得る言葉などあろう筈はないので、彼は仕方なく故郷のことや自分の過去を、聞きもしないのにしゃべり出したりするのである。そのことで自分の気持がなおのこと惨めになってゆくことも意に介せずに。そんな時、舌重く相槌(あいづち)うつのはぼくだけで、芝はすぐ黙りこんでしまう。
故郷の町の牧江という女が重い病気にかかったということを、三浦が話して聞かせたのは、やはりそんな夜の莨盆でのことであった。その朝の手紙で彼はそれを知ったらしく、その手紙も牧江が重態の床で自らかいたということであった。その手紙を彼は事業服の内ポケットから出して、ぼくに見せて呉れたのである。もちろん暗がりで内容が読めるわけはなかったが、月明りで表書きの「三浦嘉一様江」と記したみだれた筆文字だけはかすかに読めた。こんな場所で見る女の筆文字というものは、変に鮮かなもどかしいような、ふしぎな印象を与えたことをぼくは今でも覚えている。いつもならそんな話題は生返事で散らしてしまうのだが、その印象のためにぼくはふと好奇心をおこして、その女はひとりなのか、と聞いてみた。すると三浦はしょんぼりした声になって、うつたえるようにぼくにこたえた。
「そうなんや。誰もみとる奴がいないんや。おれだけをたよりにしていたんだからな」
月の光が三浦の広い額におちていて、彼は面をそむけてうつむくような姿勢になった。三浦は今朝からへまばかりやって、さっぱり元気がなかったことをぼくはその時、ある忌々(いまいま)しさと共に思い出していたのである。そして三浦の感傷的な細い声と、それを裏切るような身体に合わないぶざまな事業服の姿とに、へんにとげとげしい反撥が咽喉(のど)までこみ上げてくるのを感じて、ぼくはそっけない声で言った。
「――お前が行って、看病してやればいいじゃないか」
昼間の作業で三浦がへまをやったため、その連帯でぼくらも殴られ、痛みが頰骨にまだ残っていたのだ。そのようなへまをやった原因がこんな手紙にあって、しかもその手紙を材料に三浦がぼくによりそおうとしていることを感じると、自然とぼくはつっぱねるような口調にならざるを得なかったのである。三浦はちょっとひるんだ風に身じろいだが、しばらくして自嘲するように、
「行くったって、行けるわけないやないかよ」
「病人が出来たといえば、休暇をくれるさ」
「しかし看護休暇は、肉親にかぎるんだろ」
「そうさ。だからさ」ぼくはちょっとつまったが「そりゃどうにでもなるさ。よそに縁づいた妹とか何とか、ごまかせそうなもんじゃないか」
ぼくが言ったのは勿論(もちろん)、この場の思い付きで、実現の可能性があるなどとは夢にも思っていなかったのである。可能性のないでたらめをいうことで、ぼくはこの話題をうち切ろうという心算(つもり)であった。それにも拘(かかわ)らず、ぼくのつっぱねた口調がぼくの確信のゆえと受取ったせいか、三浦はぼくの言葉に突然すくなからぬ衝撃を感じたらしかった。はっと上げた顔が夜目にも真剣な色をたたえて、その視線はまっすぐにぼくにそそがれていたのである。ある切迫したものが、ひよわな三浦の体から流れてくるようで、ぼくは思わず背中を兵舎の壁にこすりつけながらたじろいだ。そして黙って見詰めあったまま、暫(しばら)く経った。
ふと沈黙を破って、芝の低い声がした。
「帰れるわけがないじゃないか。色気をだすのはよせよ」
莨を手にもったまま、その時芝の眼は立ちすくんだ三浦の姿を、なぜか舐(な)め廻すように眺めていたのである。その声はいつもの芝のぼそぼそした口調とちがって、なにか哀れみと憎しみの抑揚がそこにこめられているようであった。その声で三浦はふと我にかえったらしかった。そして夢から醒めたように身ぶるいすると手にもっていた手紙を折りたたんで、内ポケットに押しこもうとした。月明りのなかで手紙を握った掌は、なにか浮上るようにひらめいて、彼の内側にかくれた。暫く莨を喫い終えるまで、ぼくらはそれぞれの姿勢でふたたび黙りこくつたまま立っていた。
牧江という女から来た手紙を、その夜ぼくは表書だけ月明りの下で一瞥(いちべつ)しただけで、とうとう内容は読まずじまいであった。しかしこの手紙が三浦の気持を、決定的なものへ傾けたことは、おそらく確かである。あの夜看護休暇の件について、三浦がぼくの言葉にすがってふと錯乱をおこしたのも、彼がなにか思い詰めていたからに相違なかった。あの瞬間、たんに詠嘆の対象であった彼のはるかな現実が、一挙に距離をとびこえて三浦のそばまで近づいていたのであろう。長いこと禁煙していた男が、いっぽんの莨に手をふれることで、一挙に堰(せき)をはずしてしまうように、もはやひとつの欲望が実感的な形として彼の心をぎゅっと摑んでしまったらしかった。その翌日からの彼の動作や態度に、それを裏書きするような微妙な変化を、ぼくははっきり感じていたのである。
そしてあの夜の会話で一応けりがついていたにもかかわらず、三浦がその手紙を分隊士のところに持って行って、看護休暇を願いでたということも、わらを摑む気持であったのかも知れないが、思い詰めたことから出た放心状態のせいではなかったかとぼくは思うのだ。勿論(もちろん)これは分隊士によって却下された。看護休暇というものは、原住地の市町村長からの書類でなければ貰えないので、そのことは三浦にしても知らない筈はないのである。そしてそれは単に却下されただけでなく、分隊士から叱責されたらしいことも、ぼくは三浦の口ぶりから推察できた。それよりもなお悪かったのは、そのような手続きを班長を経ずして、直接分隊士にもって行ったということで、二三日後の夜の整列のとき、彼ひとり呼び出されて、ひどく制裁をうけたことであった。制裁をうける前、彼への叱責はずいぶん長かったから、その点なおのこと彼は辛かっただろうと思う。頭を垂れて聞いている彼の後姿は、ぶかぶかの服のなかで硬直しているらしく、掌はぴったり腿にくっつけていても、むざんにがくがくと慄えていた。そして毛をむしられた鶏のように惨めに、彼は太い棒片(ぼうぎれ)で尻を打たれたのである。
その夜の莨盆で三人がおちあったとき、三浦は兵舎の壁によりかかって、身ぶるいを時々しながら、莨(たばこ)を喫っていたが、やはりこたえたと見えて口数は極めて少なかった。ぼくもなんとなく責任を感じるような気持もあるので、なにか慰めたいと思うのだが、うまい言葉がどうしても出なかった。それで国許へそっと手紙を出して、市長から電報打ってもらえばいいではないかと気安めみたいな言葉を三浦にむかって言いかけたら、三浦は顔をあげてさえぎるように口を開いた。
「そんなことしたって、間に合うもんかよ。逢いたければ、脱走するまでや」
そばで莨をふみ消していた芝が、その時何故かぎょっと三浦の方を振りむいた。そして暗い眼の奥から、するどく三浦をみつめるらしかった。白けたような緊張がきて、三浦はふてくされたような仕草で莨を投げすてた。その時芝がいつもの低い声で、押しつけられたような調子で言った。
「脱走だって、脱走できるものか、お前に」
「やろうと思えばやるさ。何でもない」
「じゃ、どうやって逃げるんだ」
三浦は返事をしなかった。黙ってかすかに身ぶるいをした。その姿に芝はじっと視線を定めたまま暫く経った。芝はふと視線を外(そ)らすと、今度はすこし早口になって突然口を開いた。それは三浦に言っているとも、ぼくに言っているともつかぬ、中途半端な切りだしかたであった。しかしその語調はおそろしく切迫した響きをふくんでいた。
「――もし俺が逃げるんだったらな、俺はこんな具合にやる。砲術科倉庫のわきから赤土の登り道があるだろう。あれを伝って裏山に入っちまうんだ。山は一本道だ――」
芝はそこまで一気に言ってしまうと、そして一寸言葉を止めてためらうように首を振ったが、また思いなおしたように肩をそびやかして、今度は非常に綿密に考察された脱走の経路を、たまっているものを一遍にはきだしてしまうような口調でしゃべりだしたのである。それはぼくを驚かせるに充分であった。いつも無口な彼が、こんなに勢こんでしゃべることがあるなどとは、夢にも想像できなかったからである。そしてその内容も、行きあたりばったりの思い付きでなく、かねてから心の中で整理されているらしいことが、ぼくをおとろかせると同時に、ぼくの心をはげしくひっぱたいたのだ。芝が説明するその経路は、山のどの道をどう越えて向う側の町に行くとか、もちろん服装は途中のどこのあたりの農家あたりで変えてしまうとか、そしてその服装で何時何分の汽車の切符を買う、といった具合で、その駅の汽車の時間まで詳しく予定されていたのである。芝の口調はそしてだんだん憑(つ)かれたように熱を帯びてきはじめた。ぼくはそれを聞いているうちに、胸をしめつけられるような息苦しさがつのってきて、思わず顔を芝の方に近づけて行った。近づけると芝の眼は燃えるような光を帯びていて、それはあの殴られるときの眼付とすっかり同じであった。戦慄のようなものがぼくの背中をはしりぬけた。気がつくと、三浦も身体をのりだして、薄暗がりで動く芝の唇に見入っているのであった。三浦の体は服のなかで、絶えず小刻みにふるえているらしかった。そして芝はふいに言葉を途切(とぎ)らせて、ぼくらの顔をじっと見廻した。
「――で、おれならそういう具合だ」暫くして芝はそう言いながら事業服の袖でしきりに額をこするようにしながら、またもとの低い声になって沈痛に言いそえた。「しかし――俺は、逃げないんだ」
「お、おれも逃げやせんで」
三浦もしばらくしてかすれた声でそう言った。その声はなにか脅えたような響きをもっていた。――
その夜の吊床のなかでぼくは眠れないまま、いろいろなことを考えていた。看護休暇の件はもはや全然望みがないことを、三浦は今日ではっきり思い知った曹であった。そうだとすれは、地球に一度だけ近づいてまた永遠に飛び離れる彗星(すいせい)のように、彼の気持は実感として一度だけ故郷の方に傾き、そしてまた無理矢理に遠く隔てられたような形である。しかし人間の気持がそのように割切れたものであるかどうか。そう思うとぼくは、おれも逃げない、といった三浦の言葉がすぐに頭に浮んできた。あの声の脅えた調子の意味するものが、いま三浦の胸の中でどのような屈折を遂げているのだろう。そしてそれに対応して、芝にあの計画を組立てさせた情熱とは何だろう。脱走という言葉に刺戟されて、芝が心に秘めておくべきことを口に出してしまったというのも、かねてから計画だけは立ててみたものの、自分に実行する勇気がないことを、芝自身が歴然と知ったからではないのか。ぼくはそして、それをしゃべっている時の芝の、悲しみに燃えるような眼付を思いうかべた。そしてすぐ次に芝の声の調子を。それは甘く誘惑的なひびきに変って、ぼくの耳によみがえってきた。ぼくは意識の中に探りあてられる核のようなものを、ひとつひとつ潰して行きながら、脱走の経路をかねてから黙々と思いめぐらしていた芝よりも、それをはき出すようにしゃべってしまった芝の方が、もっとかなしいあり方なんだと考えた。あるいは脱走の欲望を自分ひとりの胸のうちで処理しきれなくなって、しゃべってしまうことでその欲望を散らそうと、芝の頭でその時そんな無意識の計画がはたらいたのかも知れなかった。しかしそうだと考えてみても、芝という男のかなしさがぼくの胸にひびいてくることは同じであった。この脱走の意図は芝の胸のなかで、何時はっきりした形をとり始めたのか。此の分隊での今までの日々のことが、継続してぼくの頭をかすめた。そしてこうした日々が未来へずっと灰色に伸びていることが、確かな実感としてぼくにその時重くのしかかってきた。その想念からのがれようとしてぼくが、吊床をきしませて寝がえりを打とうとした瞬間、ぼくは自分の胸の中に、芝がはき出した欲望の破片が、するどく突きささっていることを突然自覚した。ぼくはそのとき銀色の月明りの下で裏山へのぼって逃れて行く自分の姿を、はっきりと瞼のうらに思い描いていたのである。ぼくは思わず両掌で顔をおおって幽(かす)かな呻(うめ)き声を立てていた。――
それから暫(しばら)くしてぼくはとろとろ眠ったらしかった。もやもやした悪夢がきれたりつながったりして、夜がしんしんと更けて行くようであった。耳のすぐそばで何か物がすれあうような微かな物音がして、その音でぼくはぼんやり眼をひらいたらしかった。夢をみていたせいで背筋にいっぱい汗をかいていて、気味わるく肌着がくっついていた。兵舎の硝子窓からつめたい月の光がななめにさし入っていた。ぼんやり暗い甲板に、となりの吊床から今三浦がすべり降りたところであった。空になった吊床がそのあおりでふらふらと揺れた。ぼくはそれを見ていた。そして頭の片すみでかんがえた。(便所に行くのかな?)
しかしぼくはふしぎな力で摑まれたように、ぼんやり眼を見開いて三浦の影から視線をはなさないでいた。吊床がずらりとならんだ甲板はしんと静かで、夢のつづきを見ているような錯覚をぼくに起させた。半醒(せい)半眠のぼくの視野のなかで、三浦の影がひっそりとうごいて、跫音(あしおと)のしないように衣囊棚(いのうだな)の方にゆくらしい。月の光のなかに突然三浦の顔がうかび上った。そしてそれでぼくははっきりと眼が覚めた。浮び上ったその顔は硬く歪んでいて、月の光のせいかまっしろに見えたのだ。ふだんの三浦のかおとは少しちがっていた。ぼくはぼくの全意識が俄かにするどく冴えわたるのを覚えながら、凝然(ぎょうぜん)と身体をかたくした。
――衣嚢棚に何の用事があるのか?
三浦の姿は窓で四角にきりとられた月光のなかから、ふと暗がりの方に消えた。その暗がりの底を白い事業服の背中が、音もなくくず折れるように低くなった。三浦はそこにしゃがんだらしかった。そして衣囊を引き出す音がかすかに聞えた。ぼくはぼくの心臓が烈しい音をたてて鳴り出すのを感じながら、引き寄せられるように視線をそこにそそいでいた。やがてほの白い姿がゆらいで、三浦はそっと立ち上ったらしかった。
広い兵舎の甲板は、すべて眠りに入っていて、死んだように静かであった。そこにずらりと吊られた吊床の下をくぐって、三浦の姿が通路の方にでてゆくらしい。名状しがたい不安がぼくをぎゅっとしめつけてきて、ぼくは上半身を思わず起した。骨がぽきぽきと鳴るのがわかった。声を出そうと思うのだが、切なく心臓がひびくので、ぼくは咽喉(のど)の奥でわずかあえいだだけであった。火のようにあつい頭の一部分で、しかしぼくはこんなことも考えていたのだ。
(衣囊のなかから紙を出して、それで便所に行ったのかも知れない)
突然背後で荒い呼吸遣いの音が、ふとぼくの耳をかすめたのだ。ぼくはぎくっとして頭をねじむけた。反対側の芝の吊床で、芝は毛布の中から首だけを立ててじっとしていた。蒼然とくらい吊床のなかで、芝の眼窩(がんか)はふかい陰影をつくつていて、どこを眺めているのか判らなかった。ただぜいぜいという呼吸音だけが、次第に早くなるらしかった。そしてその時通路をこっそり出てゆく三浦の靴音が、すこし乱れをみせながら、ぼくらの耳から遠ざかって行った。それはぼくらのひそかに保ちつづけていたひとつの欲望が、ぼくらの身辺から確実に遠ざかって行く音のように耳から消えて行った。
翌朝になってやはり三浦がいないことが明かになって、部隊は大さわぎになった。ぼくと芝は隣り合せに寝ていたというわけで、分隊士などからいろいろ訊問(じんもん)されたけれども、ぼくらは全然知らなかったという一点ばりで押し通した。芝の顔は青くふくれていて、それもあきらかに寝不足のためであった。ぼくの顔もそんな風になっているらしかつた。
朝食がすんで食器を烹水所(ほうすいじょ)に収めに行くとき、ぼくは芝と一緒になつた。ぼくらは変にだまりこくつて、重い食器を下げながら道をいそいだ。食器を収めるとすぐ課業整列のため兵舎に戻らねばならなかった。砲術科倉庫のそばを通りぬけるとき、ぼくはふとあることを思いついて、頭をそちらに向けた。倉庫のそばから赤土の上り道となり、その道はすぐ群れ立つ樹々の間に消えていたのである。ぼくは突然そこまで行ってみたい欲望に猛然とかられて、芝を呼びとめた。[やぶちゃん注:「烹水所」兵員烹炊所。一般には軍艦の台所をこう呼称する。]
「ちょっとあそこまで行ってみよう」
芝はぎくりとしたようにぼくの指さす方を見たが、その限は暗くきらきらと光った。そしてぼくらは建物の狭い間際を通りぬけて、そこまで小走りに走って行った。
道は山から流れる水のためにじとじと濡れていて、少し登ったところで迂回して山ふところに入るらしかった。ぼくらは道の入口のところに立ち止った。そこには申し訳みたいな門柱が立っていて、それがこの部隊と山とを隔てているわけであった。この山がいまひとりの三浦を呑んでいるのかも知れないことが、妙に実感としてぼくに来た。山がささやかな秘密を蔵している感じであった。赤土の道はその秘密のなかに濛然(もうぜん)と消えていた。
(しかし三浦は果してこの道をたどったのだろうか?)
三浦が昨夜通路を出て行ってからも、ぼくは長い間眠らずに、彼が戻ってくるかも知れないという漠然たる期待で、全身の感覚を緊張させていたのだ。そしてその期待のうらに、三浦がこのまま逃げ終せてくれればいいという気持がするどく動いていたのを、ぼくは今判然と思い起していたのである。
「あ!」
その時そばに佇立(ちょりつ)していた芝が、呼吸を引くような声を立てた。ぼくは芝の視線がそそがれている箇所に、はっと眼を走らせた。そこは道が一部分高まっていて、そこの濡れた赤土に靴のすべった痕がはつきりのこっていた。赤土がそこだけ滑らかに濡れていた。芝が見つめているのは、それではなかった。そこから二尺ほど離れたところに、軟かい赤土の上に、滑った男が印したのであろう、はっきりした掌の型がそのままの形で残っていたのである。五本の指が力をこめて開かれていて、指の先のところで土が凹みをつけてえぐられていた。それは本当の掌をみるより、もっと掌というものを感じさせた。掌につづく全身が、まざまざと想像された。それはあのぶかぶかの服をまとった、不具みたいな感じのする三浦の身体のイメイジであった。その掌の型と三浦の姿がぼくの想像のなかで、瞬時にしてぴたりとむすびついていたのである。
芝がつかつかとそこに歩みよった。芝の顔は蒼ざめて硬ばっていた。そしてしゃがんで自分の掌をそこに押しつけた。掌型は芝の掌より、ひとまわり小さかった。赤土をえぐった指のあとは、女の指みたいに細かつた。芝はしゃがんだまま首をあげてぼくの顔をみた。
「――あいつの掌だ」
無理に押し出したような声で、芝はそう言った。そして眼をおとすと、それを確かめでもするように、何度も何度も押しつけた。三浦の掌型はつぶれて、芝の掌型がそれに代った。芝はなおも力をこめて、えいえいと掌を押しつけた。そうすることによって、自分の気持を変えてしまうことが出来るかのように。執拗に、烈しく。
ぼくはそのそばに立ちすくんだまま、芝の手がだんだん赤土色にまみれてゆくのを、そして芝の横顔がそれにつれてしたたか殺気を帯びてくるのを、凝然と眺めていたのである。
三浦がうまく逃げ終せたのか、それとも捕まったか、それはぼくは知らない。なぜというと間もなくぼくは此の警備隊から他に転勤になったのだから。だから芝ともそこで別れた。芝ともその後逢(あ)わないから、どうなったのか判らない。
ぼくは今でも時々かんがえる。今はおそらく社会人にもどったにちがいない二人が、どこかの町角あたりでばったり逢ったら、どういう光景がみられるだろう。しかしぼくの空想はそこで止ってしまう。それよりもぼくがもし、この二人に町角であったら、ぼくは虚心に手を振ってあいさつするだろうか。また知らぬふりして、ぼくはすれちがってしまうかも知れないのだ。それは何故そうするのかぼくは自分でも判らない。何故だかは判らないけれども、ぼくは此の二人の男を思いうかべると、身体の内側がぎゅっと収縮するようないやな感じに必ずおそわれる。奇怪な悪夢のような後味が、ぼくの胸にからみついてくるのだ。二人のことはぼくの心の中で、ぼくが生きて行く日を重ねるにつれて、ますます鮮明になって行くのだけれども。