大和本草卷之十三 魚之下 河豚(ふぐ)
河豚 冬月春初味美シトテ衆人多ク食フ三月以後
魚ヤセテ味アシヽ凡魚ハ皆マタヽキセス目ヲフサカス
只河豚ノミ目ヲウコカス此事本草ニイヘリ此魚大
毒アリ愼身人不可食凡諸魚ノ中無毒シテ味美
キ魚多紅魚琵琶魚コチ緋魚大口魚等皆河豚ノ
コトク酒糟ニテ煑食ヘシ味ヨシ何ゾ有毒魚ヲ食フヤ
河豚ヲ食フ人タトヘハ隋侯ノ珠ヲ以テ千仭ノ雀ニナ
ケウツカコトシ〇一種サバフグ長一尺許ツネノフクヨリ
小ニシテ短カシ毒スクナシ五月味ヨシ褐色ニ乄紋アリ
〇河豚ホシテ遠ニ寄ス無毒ト云然トモ慎身人不
可食服藥人最不可食
○やぶちゃんの書き下し文
河豚(ふぐ) 冬月、春初、味、美〔(よ)〕しとて、衆人、多く食ふ。三月以後、魚、やせて、味、あしゝ。凡そ魚は、皆、またゝきせず。目を、ふさがず。只、河豚のみ、目をうごかす。此の事、「本草」にいへり。此の魚、大毒あり。身を愼む人、食ふべからず。凡そ諸魚の中、毒、無くして、味、美き魚、多し。紅魚(たひ)・琵琶魚(あんこう)・こち・緋魚(あこ)・大口魚(たら)等、皆、河豚のごとく、酒糟〔(さけかす)〕にて煑(に)食ふべし。味、よし。何ぞ毒有る魚を食ふや。河豚を食ふ人、たとへば、隋侯の珠〔(たま)〕を以つて千仭の雀に、なげうつがごとし。
〇一種、「さばふぐ」、長さ一尺許り。つねのふぐより、小にして、短かし。毒、すくなし。五月、味、よし。褐色にして紋あり。
〇河豚、ほして、遠くに寄す。毒、無しと云ふ。然れども、身を慎む人、食ふべからず。藥を服する人、最も食ふべからず。
[やぶちゃん注:条鰭綱フグ目フグ科 Tetraodontidae のフグ類の総論だが、あまり、注する意志が湧かぬほどに、現在の知見から見ると、大毒を持った魚として、養生訓先生らしいかなりの儒学的載道的な偏見に満ちている。されば、私の寺島良安の「和漢三才圖會 卷第五十一 魚類 江海無鱗魚」の「ふぐ ふくべ ふくと 河豚」の本文と私の注を見られたい。寺島は「本草綱目」もしっかり引いている。因みに、本邦でフグ目(カワハギ・ハリセンボン・マンボウ等を含む)は10科50属129種、現生種は10科100属約357種を数える。内、フグ科は現在、現生27属約180種おり、日本近海には約40種、さらにその中で1983年に旧厚生省によって食用として許可された種は22種で、その時点でも半数を超えるのである。ご存知の強烈な神経毒(拮抗薬・特異療法・解毒法は一切見つかっていない)テトロドトキシン tetrodotoxin(C11H17O8N3)はその強力な毒性によって、ウェブ上でも専門家を含めて記載ページは多い。故に薀蓄を垂れるのも気が引けるのだが、最低限の注記はやはり危険毒物である以上、私なりに必要であると考える。致死量2~3㎎、一般に青酸カリの1000倍以上、500倍、経口摂取で850倍等と記載される(ヒトの青酸カリの致死量自体がその青酸カリの精製度の差や個人差によってぶれるので、この致死倍率の数値の相違を云々するのは余り意味のあることではないと私は思う)。また、毒性を持つ部位やその含有量が種・生息場所・時期・各個体によって異なること、その作用が神経伝達に関わるイオン・チャンネル(ナトリウム・チャンネル)の遮断による神経麻痺・筋肉麻痺であること、さらに、その毒性起原が食物連鎖による海洋細菌(Staphyloccus・Bacillus・Micrococcus・Alteromonas・Acinetobacter・Vibrio 属の細菌が既に単離されている)由来で、それらを含んだ餌となるヒトデ類・貝類等を通して生物濃縮され、体内に蓄積されたものとあること等も、既に判明しており、管理された人工養殖のトラフグ(フグ科トラフグ属トラフグ Takifugu rubripes)ではテトロドトキシンが認められないことも確認されている。
『只、河豚のみ、目をうごかす。此の事、「本草」にいへり』「本草綱目」の「河豚」の「集解」に、「目能開闔」(目、能く開闔(かいかふ:「開閉」の意)す)とあるのを指す。これは正しい観察で、マンボウを含むフグの仲間にだけは目蓋様のものがある。目の縁に輪状筋という組織があり、目を保護している。物理的にこの輪状筋を突いて刺激を与えると、フグは目蓋を閉じて目を守る。但し、ヒトのような瞬(まばた)きといった速さではなく、閉じるスペードはかなりゆっくりである。刺激を与えて閉じるまで二十秒ほどかかるという記載があったが、例えばYouTube のひこべー氏の「目を閉じる魚たぬきちくん」(種はコクテンフグ(フグ科モヨウフグ属コクテンフグ Arothron nigropunctatus)とある)を見ると、飼育水槽の外から指を掲げるだけで、かなり早く輪状筋をきゅっと閉めようとする生態を観察出来る。
「紅魚(たひ)」条鰭綱スズキ目タイ科マダイ亜科マダイ属マダイ Pagrus major に代表される、タイ科 Sparidae のタイ類。マダイを意識はしているであろうが、ただ「紅」としているだけだと、タイ科でないものも広範に含まれると考えた方がよかろう。
「琵琶魚(あんこう)」硬骨魚綱アンコウ目アンコウ科 Lophiidae の内、本邦で食用に供されるは、アンコウ属 Lophiomus・キアンコウ属 Lophius・ヒメアンコウ属 Lophiodes であるが、その中でも本邦産種のキアンコウ(ホンアンコウ)Lophius litulon か、アンコウ(クツアンコウ)Lophiomus setigerus の二種がそれである。
「こち」「鯒」で、ここでは海産の条鰭綱新鰭亜綱棘鰭上目カサゴ目コチ亜目コチ科コチ属 Platycephalus の魚類、或いは、それと同じく体が著しく扁平で、頭が大きく、骨板に包まれ、多くの棘状突起や隆起線を持つ形態の似た魚類である。通常は、体を砂中に潜めて目だけを出し、周りの色彩に体色を似せる保護色を有する。
「緋魚(あこ)」
「大口魚(たら)」条鰭綱タラ目タラ科タラ亜科 Gadinae のタラ類(漢字表記は口吻が大きいことから)。
「隋侯の珠〔(たま)〕を以つて千仭の雀に、なげうつがごとし」「荘子」の「雑篇 譲王」の故事に基づく。
*
故曰、「道之眞以治身、其緖餘以爲國家、其土苴以治天下。由此觀之、帝王之功、聖人之餘事也。非所以完身養生也。今世俗之君子、多危身棄生以殉物、豈不悲哉。凡聖人之動作也、必察其所以之、與其所以爲。今且有人於此、以隨侯之珠彈千仞之雀、世必笑之。是何也。則其所用者重而所要者輕也。夫生者、豈特隨侯之重哉。
(故に曰はく、「道の眞は以つて身を治め、其の緖餘(しよよ)は以つて國家を爲(をさ)め、其の土苴(どしよ)は以つて天下を治む」と。此れに由つて之れを觀れば、帝王の功は聖人の餘事なり。所身を完(まつと)うして生を養ふ所以に非ざるなり。今、世俗の君子は、多く身を危ふくして、生を棄て、以つて物に殉(したが)ふ。豈(あ)に悲しまざらんや。凡そ聖人の動作するや、必ず其の之(ゆ)く所以と、其の爲す所以とを察す。今-且(いま)此(ここ)に、人、有り、隨侯の珠(たま)を以つて千仞の雀を彈(う)たば、世、必ず之れを笑はん。是れ何ぞや。則ち、其の用ふる所の者、重くして、要(もと)むる所の者、輕ければなり。夫(そ)れ、生は、豈に特(ただ)に隨侯の重きのみならんや。)
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「緖餘」余り物。「土苴」「苴」は「芥(あくた)」で「残り滓(かす)」の意。「所身を完うして生を養ふ所以に非ざるなり」一身を安全なところに置いて命を養うことには役立たない。「隨侯の珠」「淮南子」注によれば、伝説の宝玉。随侯が大蛇の傷を癒し、その報恩として得られたという「明月の珠」のこと。以下は、それを鳥打ちの弾き玉として、目も眩むようなそそり立つ断崖の遙か上の小さな雀を撃ったとするなら、必ずや、世間の笑いものとならぬ訳がない、という意で、「されば、生命というものが、「隨侯の珠」どころではないほどに貴重なものだということを、誰も知らぬ、と結んでいるのである。ここでは「得るところが極めて少なく価値がなく、失うところの方が甚大にして致命的であること」の喩えとして使っている。
「サバフグ」フグ科サバフグ属シロサバフグ Lagocephalus spadiceus としておく。hん種は古くから全く無毒なフグとして食べられてきた。一応、無毒とされてはいるが、海域や季節により毒性を有する可能性は厳密には排除出来ないであろう。おまけに、外見が非常によく似ているが、筋肉にもテトロドトキシンを含む頗る危険なドクサバフグ Lagocephalus lunaris がおり、彼らは本来は南方系種であったが、近年、日本近海でも北上傾向にあり、シロサバフグと間違えて食い、重症中毒例も、複数、確認されていることから、ここは逆にm益軒先生の言を真に受けてはいけないと言っておく。]
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