大和本草卷之十三 魚之下 滑魚(なめり) (鯨類のスナメリ)
【和品】[やぶちゃん注:底本は前を受けて『同』。]
滑魚 一名波ノ魚形マルク乄海鰌ニ似タリ黑色ナリ
鰌ノ形ニモ似タリ長五六尺或二間ハカリ海上ニ背
ヲサシ出スヲ鉄炮ニテウツ油多シ食スヘカラス漁人煎
シテ油ヲトル漢名未詳
○やぶちゃんの書き下し文
【和品】
滑魚(なめり) 一名「波の魚」。形、まるくして、海鰌〔(くじら)〕に似たり。黑色なり。鰌〔(どぢやう)〕の形にも似たり。長さ五、六尺或いは二間ばかり。海上に背をさし出すを、鉄炮にて、うつ。油、多し。食すべからず。漁人、煎〔(いりだ)〕して油をとる。漢名未だ詳らかならず。
[やぶちゃん注:突然、とんでもないものが飛び出してきた。小型のイルカである、
鯨偶蹄目ハクジラ亜目ネズミイルカ科スナメリ属スナメリNeophocaena phocaenoide
である(和名の漢字表記は「砂滑」)。日本を生息域の北限とし、淡水である中国の揚子江にも棲息する(後述するが、新種として認定された。但し、現存数は一千頭ほどで危機的状態にある)。スナメリには背鰭が殆どないのであるが、皮膚が盛り上がった隆起があり、この背部正中線に沿って、首の後方から肛門付近にまで存在する黒い粒状紋のある隆起(高さ二、三センチ)がスナメリ識別の最大のポイントとなり、益軒はそれを「海上に背をさし出す」と言っていると良心的にとることが出来ると言える(何故、わざわざそう言ったかと言えば、イルカ類と区別していない可能性もあるかも知れないという疑いを拭えないからではある)。口吻部はほとんど発達していない(「形、まるく」)。成個体は全身に灰褐色であるが、光の加減でかなり明るい灰色を呈して見える。しかし、生まれたばかりの子は黒褐色であるから、「黑色なり」という表現を指弾は出来ない。本邦に於いて過去にスナメリの食用や採油の事実も確認済である。但し、「三間」(三メートル六十四センチ弱)というのはいただけない。スナメリの体長は二メートル未満である(日本近海では最も小さい鯨類)。三メートルを超える「黑色」となると、既に出た、哺乳綱鯨偶蹄目マイルカ科シャチ亜科シャチ属シャチ Orcinus orca を同定候補に入れる必要が出てくる。なお、スナメリは長らく一属一種とされてきたが、二〇一八年四月に南京師範大学のチーム本全ゲノム解析を行い、長江に棲息する淡水性スナメリが海のスナメリから独立した種であると発表したという記事を読んだ。長江露脊鼠海豚(チョウコウスナメリ)の新学名は Neophocaena asiaeorientalis asiaeorientalis である。
「波の魚」スナメリの異名は多い。石川創氏の論文「山口県におけるスナメリの地方名の研究」(『日本セトロジー研究』二十三号・二〇一三年刊。PDF。「Cetology」とは「鯨類学」の意)がよい。その冒頭で全国的な視野で述べた部分に出典明記されつつ(以下では省略したので、必ず原本を参照されたい)、『スナメリの別名としてナメノウオ、ナメウオ、ナメリ、スナメリクジラ、スナメリイルカ』があり、『伊勢湾でスザメ、瀬戸内海東部でナメあるいはナメノウオ、瀬戸内海西部でゼゴンあるいはゼゴンドウの名前』があるとし、『西九州ではナミノウオ・ナミウオ・ボウズウオ、瀬戸内海~響灘ではナメクジラ・ナメソ・デゴンドウ、伊勢湾、三河湾ではスンコザメ・スザメ、東京湾~仙台湾ではスナメリ』と出る。
「海鰌〔(くじら)〕」クジラ。
「鰌〔(どぢやう)〕」ドジョウ。くにゃくにゃしたしなかやか感じはそうとも言えますがねぇ……。
「漢名未だ詳らかならず」。中文ウィキの「江豚」を見ると、古くは「説文解字」に出る「䱡」を挙げ、清代の学者段玉裁がそれに注して、「現在の江豬、又の名を江豚」であると述べている。他に「䰽」=「𩶚」という字がスナメリを指しているらしいとして、以上の二種三字の漢字を最も古いスナメリを表わす漢字としている。但し、「䰽」「𩶚」は現行ではフグ類を指す漢字である(中国には世界で唯一淡水性フグが棲息する)。「本草綱目」では「江豚」を「海豚」の異名としてしまっているので同書にはスナメリは記載されていないと考えてよいか。]
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