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2020/08/10

本日は「心」最終回の前日である――「記憶して下さい。私は斯んな風にして生きて來たのです。」……

 「死んだ積で生きて行かうと決心した私の心は、時々外界の刺戟(しげき)で躍り上がりました。然し私が何(ど)の方面かへ切つて出やうと思ひ立つや否や、恐ろしい力が何處からか出て來て、私の心をぐいと握り締めて少しも動けないやうにするのです。さうして其力が私に

   *

ある声「お前は――何をする資格も――ない――男だ――」

   *

と抑へ付けるやうに云つて聞かせます。すると私は其一言(げん)で直(すぐ)ぐたりと萎(しを)れて仕舞ひます。しばらくして又立ち上がらうとすると、又締め付けられます。私は齒を食ひしばつて、

   *

先生 「何で他(ひと)の邪魔をするのか!」

   *

と怒鳴り付けます。不可思議な力は冷かな聲で笑ひます。

   *

ある声「自分で――よく――知つている癖に――」

   *

と云ひます。私は又ぐたりとなります。

 波瀾も曲折もない單調な生活を續けて來た私の内面には、常に斯(かう)した苦しい戰爭があつたものと思(おもつ)て下さい。妻(さい)が見て齒痒がる前に、私自身が何層倍齒痒い思ひを重ねて來たか知れない位(くらゐ)です。私がこの牢屋の中に凝としてゐる事が何うしても出來なくなつた時、又その牢屋を何うしても突き破る事が出來なくなつた時、必竟私にとつて一番樂な努力で遂行出來るものは自殺より外にないと私は感ずるやうになつたのです。貴方は何故と云つて眼を睜(みは)るかも知れませんが、何時も私の心を握り締めに來るその不可思議な恐ろしい力は、私の活動をあらゆる方面で食ひ留めながら、死の道丈を自由に私のために開けて置くのです。動かずにゐれば兎も角も、少しでも動く以上は、其道を步いて進まなければ私には進みやうがなくなつたのです。

 私は今日(こんにち)に至る迄既に二三度運命の導いて行く最も樂な方向へ進まうとした事があります。然し私は何時でも妻に心を惹(ひ)かされました。さうして其妻を一所に連れて行く勇氣は無論ないのです。妻に凡てを打ち明ける事の出來ない位な私ですから、自分の運命の犧牲として、妻の天壽を奪ふなどゝいふ手荒な所作は、考へてさへ恐ろしかつたのです。私に私の宿命がある通り、妻には妻の廻(まは)り合せがあります。二人を一束(ひとたば)にして火に燻(く)べるのは、無理といふ點から見ても、痛ましい極端としか私には思へませんでした。

 同時に私だけが居なくなつた後(のち)の妻を想像して見ると如何にも不憫でした。母の死んだ時、是から世の中で賴りにするものは私より外になくなつたと云つた彼女の述懷を、私は膓(はらわた)に沁み込むやうに記憶させられてゐたのです。私はいつも躊躇しました。妻の顏を見て、止して可かつたと思ふ事もありました。さうして又凝(ぢつ)と竦(すく)んで仕舞ひます。さうして妻から時々物足りなさうな眼で眺めらるのです。

 記憶して下さい。私は斯んな風にして生きて來たのです。始めて貴方に鎌倉で會つた時も、貴方と一所に郊外を散步した時も、私の氣分に大した變りはなかつたのです。私の後(うしろ)には何時でも黑い影が括(く)ツ付いてゐました。私は妻のために、命を引きずつて世の中を步いてゐたやうなものです。貴方が卒業して國へ歸る時も同じ事でした。九月になつたらまた貴方に會はうと約束した私は、噓を吐(つ)いたのではありません。全く會ふ氣でゐたのです。秋が去つて、冬が來て、其冬が盡きても、屹度(きつと)會ふ積でゐたのです。

   *

長い遺書の中で先生の回顧の時制が遺書を読む学生「私」との出会い以降の時制に完全に重なった叙述となって並走するようになるのは、実は上記の段落の部分が初めてである(遺書冒頭の遺書を送るに至った経過説明部分を除く)。

   *

 すると夏の暑い盛りに明治天皇が崩御になりました。

   *

その時、私は『明治の精神が天皇に始まって天皇に終った』ような気がしました。

『最も強く明治の影響を受けた私どもが、其後に生き残っているのは、必竟、時勢遅れだ』という感じが烈しく私の胸を打ちました。

   *

私は明白(あから)さまに妻にさう云ひました。

妻は笑つて取り合ひませんでしたが、何を思つたものか、突然私に、

   *

靜 「では、殉死でもなさったらいいでしょう。」

   *

と調戯(からか)ひました。

『東京朝日新聞』大正3(1914)年8月10日(月曜日)掲載 夏目漱石作「心」「先生の遺書」第百九回の全文であるが、一部で歴史的仮名遣を現代的仮名遣に変えるなど、手を加えてある)

   *

――『私だけが居なくなつた後の妻を想像して見ると如何にも不憫』だと感じた先生が、何故、自殺を決行するのか?――この質問に読者は――必ず――答えねばならない義務がある………そうして――その秘蹟の鑰(かぎ)は靜の最後の台詞である…………

附けたりだ……

芥川龍之介はやはり夏目漱石に祟られたと言ってよい。……

私の芥川龍之介「闇中問答」を読み給え――

 

 

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