金玉ねぢぶくさ卷之七 豐州專念寺の燕の事
金玉ねぢぶくさ 卷之七
豐州專念寺の燕の事
[やぶちゃん注:国書刊行会「江戸文庫」版の挿絵をトリミング合成し、上下左右の枠を除去し、全体に清拭した。中央上部は合成が上手く行かなかったのは、お許しあれ。]
烏啼(からすなき)が惡(わる)ければ、不祝義の前表(ぜんへう)といみ、いたちが鳴(なけ)ば火にたゝると嫌ふ。其外、鷄(にはとり)の宵なき、犬の永吠(ながぼへ)、いづれも人のいみ來りし事なれば、さだめて、是も子細あるべし。かた田舍にては、
「燕(つばめ)の巢かくる家は、其年、火難にあはず。」
とて、もし、例年巢くふ家へ、つばめの來ぬ年は、いとふ氣〔き〕にかくる事なり。人さへ明日(あす)の身の上の災難はしらぬ事なれど、かれは、未前に是をしつて、用心深く、火事にあふべき家へは、一年まへより、巢をせぬとかや、謂(いひ)つたへしが、げに、さる事もあるべし。
[やぶちゃん注:「前表」前兆。
「いみ」「忌み」。
「永吠(ながぼへ)」ルビはママ。「ながぼえ」でよい。
「いとふ氣〔き〕にかくる事なり」この「いとふ」は「いたく」であろう。]
豐前の國小倉の專念寺といふ禪寺に、每年、きたつて、巢をかけ侍(はべり)しが、ある時。住持、つばめを見て、
「なんぢら、鳥類なれども、我寺に來つて巢をかくる事、他年、然〔しかれ〕ども、其恩をおもはず、子ども、成長して、一たび、とびさつて後、又、來たる事なし。但し、世話に、なんぢらを、とこ世の國より來り、又、とこよの國へ歸る、と、いへり。されども、是も信じ難し。若(もし)、なんぢ、物しる事あらば、重ねて其國の印〔しるし〕を取〔とり〕きたり、我〔わが〕うたがひを、いせしめよ。」
と、たはぶれて謂(いは)れしに、誠〔まつこと〕、是を聞(きゝ)入れぬと見へて、翌年、又、來りし時、直(すぐ)に持佛堂へとび行(ゆき)、佛だんに於て羽(は)たゝきし、何やらん、物をおとせしを、取あげて見れば、豆粒ほど有〔あり〕て、物種(〔もの〕だね)と見へたり。
[やぶちゃん注:「專念寺」不詳。現在、小倉地区内に同名の寺は見当たらない。福岡県内に現行では四つの専念寺を見出せるが、孰れも小倉とは離れており、孰れも浄土宗か浄土真宗である(浄土系への改宗は江戸時代にはしばしば認められることではある)。移転したものかも知れぬが、判らぬ。
「他年」多年の意。
「世話に」世俗の伝えに。
「とこ世」「常世」。燕は雁と入れ替わりに渡って来るところから、万葉の時代から常世からやって来ると信じられた。稲の害虫を食い、春の神の使者とも擬えたから、長寿と冨貴と恋愛とを齎すものとも考えられ、大切にされた経緯がある。
「物しる事あらば」人の言葉が判る知恵を持っているのであれば。
「いせしめよ」「癒せしめよ」。
「物種(〔もの〕だね)」ここは何らかの植物様(よう)の種の意。]
人々、集りて評義すれども、終(つい)に日本の地にて見なれぬものなれば、何といふ事をしらず。土地をゑらんで、試(こゝろみ)に、うへ置〔おき〕ければ、目を出して、每日、
「づかづか」
と、のび、枝葉、ほこへ、はびこりて、瓜のごとくなる菓(このみ)を結べり。日を經て、見事に能(よく)じゆくしければ、
「いにしへ、橘(たちばな)の種(たね)も、とこよの國より、來れり。是も、さだめて、仙家(せんか)の菓のたぐひなるべし。いざ、破(わつ)て賞翫すべし。」
とて、人々あまた集(あつま)り、一つ二つ破て、中を見れば、中は柘榴(ざくろ)のごとくして、こまかき袋、數千(すせん)に、わかれたり。
[やぶちゃん注:「終(つい)に」ルビはママ。
「ゑらんで」ママ。
「うへ置ければ」「うへ」はママ。「植う」はワ行下二段活用であるから、「うえ」でなくてはならない。同活用をする動詞はこれと「飢(う)う」「据(す)う」の三語のみしかない。
「目」「芽」。
を出して、每日、
「づかづか」「ずかずか」の古表記。無暗やたらに枝葉を伸ばすさまを言っている。
「ほこへ」ママ。「ほこゆ」ヤ行下二段活用であるから、「ほこえ」が正しい。「誇る」と同語源の語とされ、「よく生育する・繁茂する・肥え太る・大きくなる」の意。
「じゆくしければ」「熟しければ」。
「橘の種も、とこよの國より、來れり」「時じくの香(かく)の木(こ)の實(み)」のこと。「國學院大學」公式サイト内の「万葉神事語辞典」の「かくのこのみ 香の木の実」に拠れば、『①常世の国の香り高い果物。②橘の実。必ず「時じくの」という修飾語を前にともなって用いられる。「時じく」は、紀に「非時」と表記されるように、定まった時がなく、いつでもという意で、「時じくのかくの木の実」とは、時季ならぬ時に実る香りのよい果物を意味する。「かく」は、香り高いという意とされるが、輝くという意であるとする解釈もある。記紀の伝承では、垂仁天皇がタヂマモリを常世の国に派遣してこれを探すように命じたが、海の彼方の常世の国との往来に十年の歳月が経過し、入手して帰国した時には天皇は崩御されていた。タヂマモリは天皇の御陵にかくの木の実を供え、その場で号泣して息絶えたという。かくの木の実は、常世の国の不老不死の霊果であったが、天皇はこれを口にすることなく亡くなったという筋立てには、常世ならぬ現世の人間の生の制約も暗示されていよう。記紀ともに、この木の実は「橘」であると伝える。橘は、常世に強く結び付けられている果樹とされ、紀(皇極天皇)には橘が常世神という虫を生ずる樹木であるという伝承もある。常世は、海の彼方の豊饒の源であり、不老不死の国であった。橘は、常世から将来された、豊饒を導く果樹と伝えられたのであろう。この風潮は、橘家の隆盛と相俟っていたと考えられる』。「万葉集」の「巻第十八」の大伴家持の「橘の歌」(四一一一番歌)では、『タヂマモリがこれを常世からもち来たったことを歌った後、この植物―橘の、花の芳しさ、実の美しさ、冬にも緑に繁る葉のようすを歌いあげている』。『家持はこの歌で橘家、特に橘諸兄の繁栄を歌っているとされる。なお、タヂマモリが海彼』(かいひ)『の常世の国への遣使として選任されたのは、彼が来朝した新羅の王子、天之日矛の末裔と伝えられることと関連していよう。この橘―かくの木の実は、日本原産のヤマトタチバナ』(これは和名異名。バラ亜綱ムクロジ目ミカン科ミカン亜科ミカン属タチバナ Citrus tachibana)『ではなく、温州蜜柑』(ミカン科ミカン属ウンシュウミカン Citrus unshiu)『の原種であったかとされている』とある。]
皆、ふしぎに思ひ見て居(い)る内に、
「はらはら」
と離れ、ちいさき小蛇(せうじや)と化(け)して、おのれと、うごき出(いで)、盆にみち、ざしきへ這(はい)出〔いで〕て、せいすべきやうなし。
庭に大きなる穴をほり、彼(かの)木を、根より引ぬいて、彼(かの)穴へうづみ、其外のへびどもを、やうやう集め、取〔とり〕つくして、一處(しよ)にうづみ、其上へ火をたき、あくをかけ、重ねてはへ出〔いで〕ぬやうに葬(ほうふり)ぬ。
[やぶちゃん注:「居(い)る」ルビはママ。
「這(はい)出て」ルビはママ。
「せいすべきやうなし」「制すべき樣無し」。
「あく」「灰汁」。
「はへ」ママ。「はえ」が正しい。
「葬(ほうふり)ぬ」ルビはママ。「はふふりぬ」が正しい。]
誠に、「燕のすむ常世の國といふは、仁義をしらぬ夷國(ゑびすぐに)にて、蛇(へび)を作りて、食物とし、國中に小蛇(せうじや)おゝければ、つばめは、是をおそれて、日本の地に來り、子を健立(すくだて)て、本國に歸る」と、俗說にいひ傳へしも、かやうのためしをおもへば、うたがはしからず。されば、今の燕の此種を取り來たる事、彼住持の、たはぶれに、
「迚(とて)も、成長して其國へ歸る物を、子ばかり此國にて產(うむ)といふは信じ難し。かさねて、常世の國より來たるといふ、せうこを取きたれ。」
と、いわれし詞(ことば)を聞入れて、
「我國にては、蛇(へび)に子を取られ、成長しがたきに依(よつ)て、はるばる、此國へ來り、御やつかいながら、御寺内(ごじない)を借り、子をそだてゝ歸〔かへり〕候。其子細は、是を見て、知りたまへ。」
といふ事なるべし。
誠に、人間鳥獸、境界(けう〔がい〕)かはり、其詞(ことば)は通ぜざれども、物をかんずる心法(しんぽう)は、かれと是と、かはる事、なし。爰を以ておもへば、獵師の𪈏(つばめ)をとる心は、彼國の蛇心(じやしん)なるべし。一切有情(〔いつ〕さい〔うじやう〕)に佛性(ぶつしやう)有〔ある〕事を知〔しり〕て、皆人〔みなひと〕、せつしやうを愼(つゝしみ)たまへ。
[やぶちゃん注:「せうこ」ママ。「證據(しようこ)」でよい。
「いわれし」ママ。
「御やつかい」「御厄介」。
「境界(けう〔がい〕)」ルビはママ。「きやうがい」が正しい。
「心法(しんぽう)」ルビはママ。仏教用語と考えてよいから「しんぱふ」である。「心法」は心や精神を修練する法。
「獵師の𪈏をとる」「𪈏」は合字のように見えるが、実際に漢語としてある「燕」の異体字。但し、既に注した通り、本邦では燕を吉鳥とし、豊饒のシンボルでもあったので、燕を殺したり悪戯することは厳に戒められてきたし、燕を食うという話も私は聴いたことがないので、この猟師が何故、燕を獲るのか、良く判らぬ。或いは身近にいることから、手短に鷹の餌としたものか。]
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