金玉ねぢぶくさ卷之三 女良の上うるし
金玉ねぢぶくさ卷之三
女良(めら)の上うるし
君臣・父子・夫婦(ふう〔ふ〕)・兄弟(けいてい)・朋友の和したるを、聖人も「五倫」とのたまひ、是、人の愼(つゝしむ)べき道なり。然ども、夫婦は色愛(しきあい)の理なれば各別、大かたは、君(きみ)、無禮に、臣、忠をおもはず、父には誠(まこと)の慈(じ)なく、子は、親へ不孝に、兄弟、むつまじからず、朋友、いつはれり。
それ、人は五倫を具足するを以て「人倫」といふ。若(もし)これをみだす時は、ちく類(るい)に等し。たかきも、いやしきも、朋友、したしまず、兄弟、むつまじからずして、諸道、成就(ぜうじう)する事、難(かた)し。
[やぶちゃん注:「女良(めら)」「米良」が正しい。旧日向国、現在の宮崎県の旧米良地方(旧域は西米良村(グーグル・マップ・データ。以下同じ)・西都(さいと)市西部(旧東米良村及び旧三財村寒川)・木城町(きじょうちょう)中之又に相当する)。領主(藩ではなく旗本領である)は十五世紀初頭にここに移住した菊池氏の末裔とされる米良氏が米良山十四ヶ村の領主として当地を支配し、江戸時代中期の承応年間(一六五二年~一六五五年)以降は現在の西米良村小川にあった小川城(米良氏屋敷)を居城とした(米良氏は明治維新後に菊池氏に改姓)。江戸幕府からは無高の交代寄合(旗本の家格の一つで広義の「寄合」に含まれる。江戸定府の「旗本寄合」に対し、所領に住んで参勤交代を行う寄合の謂い)に任ぜられて、五年に一度の参勤交代の義務を課された。ただ、以上は当該地の歴史を述べたまでで、本話の時制を限定し得る要素は以下の話柄にはない。
「うるし」漆。ムクロジ目ウルシ科ウルシ属ウルシ Toxicodendron vernicifluum 及びその近縁種から採取した天然樹脂塗料及び接着剤に使用されるウルシオール(urushiol)。
「五倫」古来、中国で説かれてきた人間関係上の五つの徳目。父子の「親(しん)」・君臣の「義」・夫婦の「別」・長幼の「序」・朋友の「信」を指す。五常(仁・義・礼・智・信)とともに道徳の基本とされ、古くは「孟子」に説かれてあるが、「五倫」の名で纏められたのはずっと新しく明代のことである。
「ちく類(るい)」ルビはママ。「畜類(ちくるゐ)」。
「成就(ぜうじう)」同前。「成就(じやうじゆ)」。]
一年(〔ひと〕とせ)、日向の國、めらといふ所は漆のめい所にて、一山餘木(よぼく)をまじへず、うるしの木のみ、能(よく)しげれり。一郡(ぐん)の人、皆、漆を抓(かい)て、余(よ)の耕作を、なさず。しかれども、山、ひろふして、かき盡(つく)す事、なし。
然るに、奧(おく)山へ至りては、道けはしく、岩ほ、峙(そばだ)ち、人の通ひ、絕(たへ)たる所、あまたあり。さやうの所を、こなたより望み見れば、別(わけ)て、木の性(せい)、よく、ほこへ、枝葉茂りて、一しほ、うるし、沢山に見へたり。
然れども、道たへぬれば、皆人〔みなひと〕、望〔のぞむ〕に、よしなし。誠に人の至らざる所なれば、木の性、よくみちて、己(おの)れと枝より流れ出〔いで〕、土へ、しみ、岩になだれて、山は、さながら、めなふのごとし。
[やぶちゃん注:「一郡」はママ。前記の通り、旗本領であるから、「郡」ではない。
「岩ほ」「巖(いはほ)」。
「絕(たへ)」ルビはママ。「たえ」でよい。以下、「たへ」(絕へ)等もママ。
「別(わけ)て」別(べっ)して。殊に。
「ほこへ」ママ。「誇(ほこ)え」の誤り。「誇ゆ」ヤ行下一段活用の自動詞で、「よく生育・繁茂する。肥え太って大きくなる」の意である。
、枝葉茂りて、一しほ、うるし、澤山に見へたり。
「己(おの)れと」自発の意。自然と。
「めなふ」ママ。「瑪(馬)瑙」。歴史的仮名遣は「めなう」が正しい。]
[やぶちゃん注:国書刊行会「江戸文庫」版の挿絵を使用したが、同書では三幅が別々に示されてある。しかし、少なくとも最初の二幅は底本原本では、見開きで、最初の一幅の左上部が、二幅目と繋がって描かれている。そこで、この二幅をトリミングして合成し、ズレを生ずることが分かってしまう上下左右の枠を除去し、汚れも可能な限り、清拭したものをここに示した。後の一枚は(原本ではこれ)独立した一幅であるので、トリミングのみで示した。]
此里に、安左衞門といふ漆かき、奧山へ入て、谷川の流(なが)れのすそに、大きなる渕(ふち)へ、取〔とり〕はづして、かまを、おとしぬ。おりふし、此男、水練を得ぬれば、かの鎌を求(もとめ)ん爲に、水底(みなそこ)へ入りしに、ふしぎや、下(した)は一まいに、皆、漆なり。人の通(かよ)はぬ山々より、雨になだれ、日にとろかされて、徃古(わうご)より、洪水のたびたび、流れ出〔いで〕たる漆、みな、此所にあり。
安左衞門、大きに悅び、人にしらさず、密(ひそか)に是を取〔とり〕て、問屋(とい〔や〕)へ出〔いだ〕しぬ。漆は水に有〔あり〕ては、其性、そんずる事、なし。殊に水の底に年數(ねんす)を經て、うるしの淸(きよ)ふなる事、得もいわれず。其うへ、每日、大分の漆を出して、暫時の間〔ま〕に大銀(〔おほ〕がね)を出來〔しゆつたい〕しぬ。
[やぶちゃん注:「取〔とり〕はづして」うっかり取り損なって。
「一まいに」「一枚に」。べったりと底一面に。
「とろかされて」国書刊行会「江戸文庫」本では『とらかされて』と判読している。「〱」の感じの崩しで、「く」「し」「ら」辺りには見える。「ろ」にしては左手への崩しの頭と中間部の伸びが見えないのだが、意味上、躓かないそれを選んだ。私の「諸國百物語卷之五 十三 丹波の國さいき村に生きながら鬼になりし人の事」に同じような現象を素材とした話が載るが、一九八九年岩波文庫刊の高田衛編・校注「江戸怪談集 下」の同話の脚注には、漆は『漆器の塗料として、当時は貴重なもので、ここでは、その漆の溶液が天然に流れ集まり、水中で固まったもので、これは山中に自然』の金鉱脈を偶然に『発見するのと同じほどの幸運なことであった』とあった。「落雷その他の自然現象によって、木の幹が傷つき、そこからたまたま渓流の溜まり水に向かって流れ落ち、それが長い時間をかけて分泌蓄積されたということか? こういうことが実際に自然界で起こり得るのかどうか? 識者の御教授を乞うものである」と言い添えた。再び、乞う。
「問屋(とい〔や〕)」正しく歴史的仮名遣で記すなら「とひや」であるものの、概して古くから上方では「といや」と読み、江戸では「とんや」と読まれた経緯があるので、おかしくない。
「いわれず」ママ。]
近所の者ども、
「かやうのうるしを、いかゞして出すぞ。」
と、皆々、不審を立〔たて〕しが、別(べつ)して、弟十兵衞、此事、何とも、がてんゆかず、數日(すじつ)、心をつくして、兄が山へ行(ゆけ)ば、毎日、其跡をしたい、終(つい)に彼(かの)水底(すいてい)に有〔ある〕事を見付、ともに是を取〔とり〕て、問屋へ出し、快(こゝろよ)く大分の銀(かね)をもうけしが、兄安左衞門、是を知つて、物うき事におもひ、色々、思案をめぐらし、さいく人を賴んで、大きなる「龍(たつ)がしら」を拵(こしら)へ、角(つの)・いろこには、金銀(きんぎん)をちりばめ、誠(まこと)に生(いけ)るがごとくけつかうに仕立て、彼〔かの〕渕の水の落合(おちあい)へしづめ、逆(さか)まく水に、おのれと、うごくやうに仕かけ、脇へのきて、是を見れば、上なる岸には、樹木、おい茂(しげつ)て、ほの暗(ぐら)き渕の底に、彼(かの)大じや紅(くれない)のしたをのべ、まなこの光り、水にうつり、其すざまじさ、いふばかりなし。
[やぶちゃん注:「心をつくして」ここは文脈上、弟がそうすると読めるから、数日に亙って兄の行動が「気になって」か、兄の行動を「よく注意して秘かに窺い」の二様にとれる。ハイブリッドでよかろう。
「したい」ママ「慕ひ」。気づかれぬようにこっそりと後をつけて。
「終(つい)に」ママ。「つひに」が正しい。
「ともに」とあるが、後の展開から判る通り、兄と一緒に採ったのではない。兄はあくまで自分の儲けの秘密としていたのである。されば、この「ともに」は「同じように、しかし、兄には内緒で」の謂いであろう。
「もうけしが」ママ。「儲(まう)けしが」が正しい。
「いろこ」鱗のこと。平安以来の古称。
「生(いけ)るがごとくけつかうに仕立て」本物の生きた龍であるかのような作りに仕立て上げ(させ)。
「水の落合(おちあい)」ルビはママ。「おちあひ」が正しい。淵に瀧が流れ入っていた、その丁度、流れ落ちる辺り。
「おのれと」自然と。
「うごくやうに仕かけ」これはなかなかの技巧である。この手の話は多いが、動くように仕掛けるというのはなかなかのものである。
「紅(くれない)」ルビはママ。「くれなゐ」が正しい。
[やぶちゃん注:「ともに」とあるが、後の展開から判る通り、兄と一緒に採ったのではない。兄はあくまで自分の儲けの秘密としていたのである。されば、この「ともに」は「同じように、しかし、兄には内緒で」の謂いであろう。]
あんのごとく、弟、是を見て、誠の大蛇(だいじや)とおそれ、得〔え〕とらざりしが、兄安左衞門、おのれ獨(ひとり)とらん事を欲し、大きによろこんで、則(すなはち)、渕のはたへ望(のぞみ)しに、かの龍がしら、あまり、けつかうにこしらへしゆへ、人形(にんげう)とは、おもはれず、我ながら、おそろしくなりて、其身も是を得(え)とらず、それより家(いへ)へ歸りて、能々(よく〔よく〕)おもへば、
「元、我〔わが〕こしらへたる作(つく)り物、是を恐るゝは迷ひの至り。」
と、おもひ、又、行(ゆき)て見れども、大じや、しきりにうごいて、既に一口にのまんとする躰(てい)なれば、とかく恐しさに取る事、あたはず。
しかれども、そこなる漆、何程といふかぎり、しられねば、あまり、せん方なさに、人に語り、大ぜい、もよほし、行て見れば、此龍がしらに誠〔まこと〕の性根(しやうね)入〔いり〕て、中々、邊りへ人をも、よせず。後には常に渕のうへに雲おゝひ、霧のごとくなる毒氣(どく〔き〕)たちて、若(もし)是にふるゝものは、あるひは煩ひ、又は死す。
[やぶちゃん注:「得〔え〕」「得(え)」とあり、これは後者から明らかに漢字の「得」と書いていることは判るが、どうもこれは筆者の癖で(既に同様の表記がある)、この「得」は動詞のそれではなく、孰れも呼応の副詞「え」で、不可能を表わすそれである。
「ゆへ」ママ。以下同じ。
「人形(にんげう)」ルビはママ。「にんぎやう」が正しい。「人」工的に作り「形」(かた)どった模型の意。
「あるひは」ママ。]
されば、佛(ほとけ)の御經(〔み〕けう)にも、とん・嗔(じん)・痴(ち)の三つを以て三毒の大じやにたとへ給ひしが、今、此安左衞門も、それ程おゝき漆を、心せまく、おのれが兄弟におしみ、ひとりとらんとせしどん欲の心法(しんぼう)、彼(かの)大じやの魂(たましい)となれり。あさましいかな。始(はじめ)此うるしを見付し時、たとへ、こなたより知らせて成〔なり〕とも、兄弟一處に心を合(あわせ)せ、ともに冨貴(ふうき)に可成(なるべき)を、彼(か)のたつがしらを以て威(おど)さんと、たくみし心には、直(すぐ)にいろこも、はへぬべし。
[やぶちゃん注:「御經(〔み〕けう)」ルビはママ。「經」は「きやう」が正しい。
「とん・嗔(じん)・痴(ち)」「嗔」は「瞋」の誤字。人間の持つ根元的な三種の悪徳である「三毒」のこと。自分の好むものをむさぼり求める「貪」欲(とんよく:「と」と濁らないのが普通)、自分の嫌いなものを憎み嫌悪する「瞋」恚(しんい)、物事に的確な判断を下すことが出来ずに迷い惑う愚「痴(癡)」の三つ。
「三つを以て三毒の大じやにたとへ給ひしが」とあるが、厳密には動物に擬す場合、三毒は「貪」を鶏(にわとり)に、「瞋」を蛇に、「痴(癡)」は豚にシンボライズする。
「心法(しんぼう)」心の働き。ここは悪しきそれ。
「魂(たましい)」ルビはママ。
「あさましいかな」ママ。
「こなたより知らせて成〔なり〕とも」「こなたより誰彼にも知らせるなりとも」の意。
「合(あわせ)せ」ルビはママ。「せ」の衍字。
「はへぬ」ママ。「生えぬべし」。生えてきたというのも当然の報いである。]
いにしへの伯夷(はくい)・しゆくせいは、互(たがい)に國をゆづりあいて、末代までの美名(びめい)を殘し、今の安左衞門は、兄弟不順の貪欲(とんよく)ゆへに、一國へ惡名(あくめう)をながせり。せわにも、「兄弟、他人の始(はじめ)」といへば、おろか成(なる)人は、大かた、妻子(さいし)にまかされて、骨にくの情(なさけ)をわすれ、兄弟の中は、おのづから、うとふなれり。
是、五倫をかくのみにあらず、萬事に渡(わたつ)て、損、おゝし。若(もし)兄弟不じゆん熟(じゆく)なる人あらば、能々、愼(つゝしみ)給ふべき者か。
[やぶちゃん注:「伯夷(はくい)・しゆくせい」伯夷と叔齊。司馬遷の「史記」列伝の第一に挙げられてある「伯夷伝」に示される清廉潔白な兄弟の名。伯夷と叔斉は、殷の孤竹君(こちくくん)の子。父は弟の叔斉に跡を継がせようとしたが、二人とも譲り合って国を出て、周の文王のもとに身を寄せた。文王の死後、武王が殷の紂王(ちゅうおう)を討とうとしたが、二人は直前に亡くなった父文王の喪が明けていないこと、臣下の者が主君を討つことの不義を以って諫言したが、聞き入れられなかった。周の統一後、二人は周王の下で生きることを潔しとせず、山に隠れ、餓死した。そこから「高潔な人物」の喩えとして用いられる。「互(たがい)に」ルビはママ。
「ゆづりあい」同前。
「惡名(あくめう)」同前。「あくみやう」でなくてはならない。
「せわ」「世話」。世間の言いぐさ・慣用の言葉。
「妻子(さいし)にまかされて」肉親でない妻や二人の間に出来た子に「負かされて」、情にほだされ、言い負けて、彼らの言うことに無批判に従ってしまい。
「うとふ」「疎(うと)く」。
「かく」「缺(か)く」。
「おゝし」ママ。
「不じゆん熟」「不順熟」。五倫に基づいたあるべき兄弟(けいてい)の関係が上手くいっていないこと。]
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