大和本草卷之十三 魚之下 魚膾
魚膾 細者爲膾大者為軒本草綱目本草約言等
ニ治病之功多シト云壯盛ノ人ハ食之可無害虚冷病
人老衰之人所不宐也凡生肉ハ脾胃ノ發生ノ氣ヲ
ヤフル醋ハ脾虚ニ不宐生肉生菜ニ醋ヲ加ヘ和乄生ニ
テ食ス最害アリ魚肉ヲ細ニ切塩酒菜蔬ニ和乄後
少煑アタヽメ醋ヲ少加ヘ食ス不傷胃本草ニ魚膾ハ
𤓰ト同食スヘカラス然レハ魚ト菜𤓰トヲ和乄膾ニシテ
食フヘカラス又生肉ヲ大ニ聶テ醋或煎酒ニ浸シ食フヲ
指身ト云病人不可食肉ヲ切テ沸湯ニテ微煮テ
ワサヒ芥薑醋或煎酒ヲアタヽメ肉ヲ入テ食フ無害人
ヨリ生肉ハ不滯消化易シ煮乾塩藏シタル魚滯ヤスシ
ト云人ノ性ニヨルヘシ無病人ハ生肉早ク消乄不滞
○やぶちゃんの書き下し文
魚膾〔(うをなます)〕 細き者を膾と爲〔(な)〕し、大なる者を軒(さしみ)と為す。「本草綱目」・「本草約言」等に『治病の功、多し』ト云ふ。壯盛〔(さうせい)〕の人は之れを食ひて、害、無かるべし。虚冷の病人・老衰の人、宐〔(よろ)し〕からざる所なり。凡そ、生肉は脾胃の發生の氣を、やぶる。醋〔(す)〕は脾虚に宐〔し〕からず。生肉、生菜に醋を加へ、和して、生にて食す〔は〕最も害あり。魚肉を細〔(こまか)〕に切り、塩・酒・菜に和して後、少し煑〔に〕あたゝめ、醋を少し加へ、食す〔は〕胃を傷めず。「本草」に『魚膾は𤓰〔(うり)〕と同食すべからず』〔と〕。然〔(しか)〕れば、魚と菜・𤓰〔(うり)〕とを和して膾にして食ふべからず。又、生肉を大〔(だい)〕に聶(へ)ぎて、醋或いは煎酒〔(いりざけ)〕に浸し、食ふを、「指身〔(さしみ)〕」と云ふ。病人、食ふべからず。肉を切りて沸湯にて、微〔(わづか)に〕煮て、わさび・芥〔(からし)〕・薑〔(しやうが)〕醋、或いは煎酒をあたゝめ、肉を入れて食ふ〔は〕、害、無し。人により、生肉は滯〔(とどこほ)〕らず、消化し易し。煮(に)、乾(ほ)し、塩藏したる魚〔は〕、滯りやすし、と云ふ。人の性〔(しやう)〕によるべし。病ひ無き人は、生肉、早く消〔(せう)〕して滞らず。
[やぶちゃん注:「軒(さしみ)」刺身に同じい。小学館「日本国語大辞典」の語源説に「大言海」から、江戸時代、「切る」を忌詞(いみことば)としたためかとあって、「み」な肉の意とする。江戸末期から明治にかけて編纂された国語辞書「和訓栞」(わくんのしおり:谷川士清(ことすが 安永六(一七七七)年~明治二〇(一八八七)年) 編)に「魚軒(さしみ)」と出るが、幾ら調べてみても、「軒」の漢字がどうして「刺身」の意になるのかが腑に落ちる記載には巡り逢わなかった。識者の御教授を乞うものである。
「本草約言」「藥性本草約言」。明の薛己(せつき)編の本草書。和刻本は万治三(一六六〇)年刊。
「壯盛」若くて元気がよいさま。又は、若い盛り。
「虚冷」虚弱体質、或いは、体温が有意に低下するような疾患に罹っている人、或いは、消化器系疾患等によって衰弱している人を指す。
「宐」「宜」の異体字。
「脾胃」漢方では広く胃腸、消化器系を指す語である。
「發生の氣」正常な陽気の発生。
「脾虚」消化器系機能全体の低下。
「生肉、生菜に醋を加へ、和して、生にて食す」以下の叙述から、魚の生肉を大きな切り身の状態で、しかもそれに生の野菜を添えて和(あ)えて、そのまんま、食べることを禁忌としていることが判る。
『「本草」に『魚膾は𤓰〔(うり)〕と同食すべからず』〔と〕』「𤓰」は「瓜」の異体字。「本草綱目」「鱗之四」に「魚鱠」があり、その「氣味」の中に、陳蔵器の引用として、『不可同𤓰食』と出る。根拠は記されていない。食べ合わせの類いに過ぎない。
「聶(へ)ぎて」角川書店「新版 古語辞典」に「ひう」で、他動詞ワ行下二段とし、「肉などを薄く小さく切る。はぐ」とある。「剝ぐ」の古形か。「古事記」の歌謡に既に出る。
「煎酒〔(いりざけ)〕」二種あり、①酒を煮立ててアルコール分を飛ばしたもので調味用に用いるもの。②酒に醤油・鰹節・梅干しなどを入れて煮詰めたもので、刺身・酢の物などの調味料として用いる。ここは②の意であろう。
「指身〔(さしみ)〕」これ以外にも「差身」「差味」などとも漢字を当てた。]